ある雨の午後、女の子は偶然、お母さんが思い出の品物を大事にしまっている箱を見つけ、今とはぜんぜん違うが、それほど遠くない過去へ旅を始める。時の流れ、私たちに影響を与える変化、来るべき機会についての物語。時間的にはさほど遠くなく、でも、短い期間のうちに起こった変化によって今とはずいぶん違う過去の子ども時代へまなざしを投げかける本。大人にはノスタルジーを喚起し、現代の子どもには好奇心と知識をもたらす。
ダニはこわがりだ。だけど、きみが助けてくれるなら、モンスターもドラゴンもミイラも魔女も幽霊も、怖いものをみんなやっつけられるかもしれない。手伝ってくれる? どうやったらいいと思う? きみもこわい気持ちを乗り越えたくない? きっとできるさ! 子どもでいるのもラクじゃない。新しい挑戦や試練だらけの知らない世界に立ち向かっていかなければならない。人が感じていること、考えていることをすっかり理解はできないし、これから何があるかわからない。世界は時としてこわいものだ。
「執筆と出版は思考と想像をリサイクルする行為だ。すなわちその目的は異なり、その結果もまたそれぞれだ」。セサル・マルティン・オルティス(1958-2010)は、そう確信していたが故に、1995年から2003年の8年間をこの小説の執筆に費やすことに何らの不都合も感じず、その後は善良な読者たちにマヌエル・メディナの存在を知らしめることに無頓着であったのだろう。
つらい闘病生活と姉の交通事故死を経て、ロドリゴは海辺の古い別荘に越してきた。ベテランジャーナリストである彼はその別荘で、若いころの思い出と思想への旅を始める。姉のシルビアの死に別の原因があるのではと直感したのもその別荘でのことだった。そこで警察も顔負けの調査を開始したロドリゴは、不法移民、麻薬取引、犯罪の生々しい現場に身を置くこととなる。ペドロ・ミゲル・ラメットが人の心の痛みの克服について描いた驚くべき小説。
愛してるって告げるには、幾通りの方法がある? たぶん世界中の人の数だけある。アクセルとエバは仕事の同僚だが、水と油のようにそりが合わない。アクセルは横柄で女好き、エバはちょっと嫌味な完璧主義者。だがアメリカ出張中に想像もしていなかった出来事が起き、生き残るためにふたりは良好な関係を築くか、少なくとも、そのように努力せざるを得なくなった。本書は独創的で様々なニュアンスを含んだロマンティック・コメディ。はじけそうなほどの愛とウィットが詰まったカクテルの中で、現実とファンタジーが結びつく。
ご存じだろうか。女児は6歳にして男児よりも頭が悪いと感じ、大学では男子学生は女子学生の能力を過小評価していることを。これらのすべては社会通念にとらわれた結果に他ならない。遊びや文化的環境が女の子、男の子それぞれの行動、表現、かかわり方に「〇〇すべし」という影響を与えている。子どもは性別に縛られることなく自由に感じ、表現し、行動したほうが良いのではないか。
ふたりの人間の間の愛情と共犯者意識が、これほど特別になったことはそうないだろう。あまりに特別なものだから、たったひとりであらゆる不慮の出来事や逆境にも対峙できると感じてしまうほどだ。100歳の祖母と無鉄砲な孫娘は、自分たちに譲渡された遺産の謎を解明するためならどんな障害も乗り越えようと心に決めている。現在の疑問を解き明かすために過去の原因を熱心に探り、想像できる限り最大の冒険に没頭するふたりの姿に、私たちは心のなかのもっとも気高く深い部分をゆすぶられ、夢を見て、微笑む。
バルセロナの中心部にある広いマンションを相続したクララ・ムンサルバッジャは、ここを仕事や恋愛、健康問題などで不運な目に遭っている女友だちが駆け込めるスペースとして使おうと決めた。夏が来てスペースが無人になったとき、向かいのマンションに謎めいたカップルが越してきた。ほどなくして、向かいからは絶えず大声で言い争う不快な声が聞こえるようになる。暴力沙汰になるのではないかという怖さ半分、ゲーム感覚半分で、クララは元恋人を呼び出し、この状況を《解決する》手助けをしてほしいと頼む。
ずるがしこさと権力、大切なのはどっち? 哲学者ラモン・リュイが考える、文学と人生の普遍的なテーマが描かれる。
おばけのウリオルとその友人たちは、とても心配な知らせを受ける。真珠捕りが住む遠方の島トムクがプラスチックのゴミに囲まれているというのだ。海の汚れによって、トムクの人々は潜水ができず、カメの生息が脅かされ、魚たちは深海に閉じ込められているのだという。島の住人や生き物たちの命が危機に瀕しているため、彼らは助けを求めることにした。リサイクルできないプラスチックの容器やボトル、袋が海にとどまり、地球の生命を脅かしているのだ。