ペドロ・アルモドバルは自身の作品の大半をマドリードで撮影してきた。いや、マドリードの中にあるたくさんのマドリードで、と言ったほうがいいだろう。彼自身こう語っている。「この大都会で僕はいつも、それぞれの作品にぴったりな景色と、そぐわない人々を見出してきた」と。アルモドバルの映画とマドリードの関係は、ほぼ彼の自伝となっている。いずれの作品においても、彼は登場人物を巻き込んでいる。つまり、アルモドバル自身が過ごした通りや広場、地区、カフェ、建物、レストラン、バルなどが原型にあるのだ。
これがぼくのパパ。象みたいに大きいんだ! ちょっとハゲているけど、とてもかっこよくてやさしいよ。パパはベッドをととのえて、ぼくを学校に送ってくれて、料理や洗濯をして、かくれんぼうもするし、オペラだって歌うんだ。ぼくはパパが大好き! 性別への既成概念にとらわれない父親像が登場する、かわいい絵本。元気あふれるイラストに彩られたリズミカルな文章が、家事に楽しいイメージを与えてくれる。
本書の主人公アドリアナは動物が大好きな女の子。アドリアナのお父さんが一人称で詩のように韻を踏みながら、娘の好きな動物たちや、日々、動物のかっこうや動きをまねする様子を語ってくれる。でも、彼女の一番お気に入りの動物は、猫。アドリアナは本の最後でそのことを教えてくれる。読者は最初のページに戻って、本の中にいた猫たちをみんな見つけたくなるだろう。
本書を読むと、家族の多様なあり方がわかる。見事なイラストによって、読者はたくさんの動物が登場するストーリーに引き込まれる。そこでは、100歳になるおばあちゃんが誕生日祝いのパーティーに家族みんなを招待する。いろんな家族のタイプを見つけよう。さらに読者は、イラストに何度も出てくるものを探して遊べる。さあ、見つけられるかな? 文章は大文字で書かれている。
この物語の主人公は車いすに乗った小さな女の子と道端で生まれたメスの子猫。理由はそれぞれ違うけれど、ふたりは家から出るのが怖い。外に出ないでいると、人生が通り過ぎるのを窓から見ているだけ、外の世界には入っていけないような気がしてくる。女の子は毎晩お話をするが、実感はこもらなかった。なにしろ、外に出るのが怖くて、そんな経験はできないのだから。けれどある日、外を見ると、カタツムリが植木鉢に上るのに四苦八苦していた。少女と子猫は気づいたら庭に出てカタツムリを助けていた。
日本人にとても愛されている招き猫。愛嬌たっぷりで幸運を呼び込むとされる招き猫の由来説のひとつを、ミコという名の猫を主人公として脚色した作品。
本書はマルティとサロモの2人の作家による新シリーズ 『Minino (ネコ)』の一冊。本シリーズは厚紙製で、各ページの舌状の部分を指でスライドさせると、子どもが簡単に絵を動かせる仕組みになっている。ページをめくるごとに日常生活のささやかな瞬間に潜む魔法が見つかるというわけだ。ネコとその仲間たちと一緒に月への旅に出かけよう。ずっと遠くまで行けるよ!
脳は世界で一番複雑な機械だと考えられている。私たち人間のすべての活動の司令塔だ。でも、本当に完璧な機械だろうか? この質問に答える前に、本書を開いて、脳がどんなふうにできているか見てみよう。脳は間違うことだってあるんだ!
「彼らは我こそが作家だとうぬぼれてここにやって来たけれど、帰るときは自分たちが登場人物になっているわ」と、若いペルー人作家モナ・タリレ=ビルネは思う。カリフォルニアの麻薬とセックスの深みにはまりつつある中で、モナは権威ある文学賞Basske Wortz賞にノミネートされた数人の小説家たちと共にスウェーデンのとある村に降り立つ。北極圏の真夜中ちかく、文化的居住空間の境界線にあるその極限の地で、不思議な説明のつかない暴力の痕跡を見つける。