『Caminos de noche(夜道)』(Barcanova、2017-当サイト2018年紹介作品)で始まる三部作『La luz de Artús(アルトゥスの光)』の第二部。第一部のストーリーから離れたところから物語は始まるが、第一部の主人公ルットが、モンセグル城で再び登場する。安全な隠れ家に見えた城だが、戦争は大陸を火の海とし、軍隊は執拗に彼女を追い、長い触手を伸ばしてくる。新たな困難に立ち向かわねばならないとルットはわかっているが、どうにもならないこともある。
これまでとは違う形で語られ、描かれた、すばらしい赤ずきんちゃんの物語。ペローやグリム兄弟の物語に基づいて、アーティスト、ロラ・モラルによる再話に、美しい挿絵をつけた新版。折りたたんだページがあり、開くと片側では赤ずきんちゃんのお話が語られ、もう一方の側では登場人物や村、エピソードやおばあさんのケーキの作り方などのサイドストーリーが展開する。セルヒオ・ガルシアの繊細な絵が、まだ魔法のあった時代に読者を誘い、夢が現実となる。あらゆる年齢の読者の心をつかむ。
1965年夏、カロリーナと勇者たちはマドリードとバルセロナでビートルズの前座として歌った。国じゅうが彼らの歌を知っていた。世界のほかの国々も、もうすぐ彼らに夢中になるはずだった。しかし、1966年、彼らは表舞台から姿を消した。その後の消息を知る人は誰もいない。これは1963年のある夜ベニカシムで知り合い、自分たちの夢を守ろうとした少年と少女の物語だ。そして何よりもお互いを思い合い、ともに不可能なことを可能にしようとした友人グループの物語でもある。
母であることは、ほとんどの場合幸福と結びつけられるものだが、ときには悪夢にも変わりうる。公園で遊んでいた息子が行方不明になった母と、わが子として育てるためにその子をさらった女の場合がそうだ。深刻な肉体的・感情的不安定さを背景に、同じ子ども――最初はダニエルという名で、その後レオネルと名付けられた――の母である女たち、そして同じ空虚感を抱えた母たちの物語が、親密さ、家庭内暴力、社会の不平等、孤独、寄り添うこと、罪と愛に対して我々が持つ先入観を私たちに突きつける。
チェスターは特別なクマだ。宇宙からきたクマ。いや、違うかも。私たちは時々ほかの人の風変りな習慣に驚かされることがある、が、だからっていちばんの親友になれないわけじゃない。語り手の男の子が、自分の一番の友だちである、宇宙クマ、チェスターのおかしな習慣を説明する。読み進め、絵を見ていくうちに、チェスターが地球のクマのような習慣を持たないことがわかる。だけど、それはたぶん、主人公の男の子が考えるように宇宙から来たからではなく、チェスターが私たちの思ったようではなかっただけのことだ。
マリソルはペットの犬のモモと散歩に行きたい。出かける準備をしていると、慎重で用心深い父親から、雨がふりそうだからとコートを着せられる。親はときどきどれほど過保護になるか、そんなエピソードがどんどん積み重なっていく楽しい物語。ストーリーは2つの場面で繰り広げられる。愛犬モモと散歩に行こうとがんばっているマリソルがいる家の中と、家の外と。マリソルは窓から外を見ているが、家の中のことと並行して、外でも信じられないことが起きる。
キッチンで楽しくリラックスした時間を我が子と共有してもらうための本。ヨーロッパの一流シェフがそれを後押しする。シェフが自身の得意料理を、オリジナルレシピの真髄もそのままにていねいにアレンジ。それぞれの料理を、ひとつひとつ手順を追って説明し、みなが喜んでくれる料理を作るために、大人がするべき作業と子ども達のできる作業とを区別しながらわかりやすく図解する。
映画「メン・イン・ブラック」や「ライフ・イズ・ビューティフル」が好きな人なら、この小説は見逃せない。とんでもない状況におかれ、息子が父親を信頼しなければならない物語だ。もしきみの父親が、きみの仕事はエイリアンをつかまえることだと言い出したら、きみならどうする? 父親を信じる? この本の主人公ニコ・ダスクロットは、まさにそういう目にあう。けれども、父親に説得されて、ニコは疑いながらもそれに従う。
ある雨の午後、女の子は偶然、お母さんが思い出の品物を大事にしまっている箱を見つけ、今とはぜんぜん違うが、それほど遠くない過去へ旅を始める。時の流れ、私たちに影響を与える変化、来るべき機会についての物語。時間的にはさほど遠くなく、でも、短い期間のうちに起こった変化によって今とはずいぶん違う過去の子ども時代へまなざしを投げかける本。大人にはノスタルジーを喚起し、現代の子どもには好奇心と知識をもたらす。