フアン・セバスティアン・レボンテが音楽家になったのは、天才によるものではなく、絶対的な父方の権威によるものだった。東欧の小さな町をツアーしていたとき、父の訃報を受け、ブエノスアイレスに戻る。遺産相続についての話し合いの中で、1970年代に経済的に恵まれた立場にあった父親が、わずかな土地しか残さなかったことを知る。
年若きジャーナリスト、ジュアン・バリャステルはヨーロッパ同盟体制に興味はないが、ある式典のニュースをカバーするためにブリュッセルに飛んだ。この旅は向き合うことを避けている恋愛や家族の問題から離れるのに好都合だった。だが欧州連合の本部があるブリュッセルでバレンシアオレンジ生産者に壊滅的な打撃を与える貿易条約が可決される寸前であることを知る。
ある事件の解決のため、バルトに残された時間は3日。しかしシプレス通りには彼が探し出そうとしている手掛かりよりも、もっと多くのことが隠されている。一軒一軒訪ねては足りないパズルの欠片を集めていくが、そのたびにパズルが大きくなっていくように感じる。ただ確かなことは、誰も隣の住民がどんな人物なのか知らないということだ。
40歳の誕生日を目前に控えたディナは、ある辛い病の早期であると診断され、ふたつの別れのショックを受け、思いがけない3つのプレゼントを貰った。そんな疑問だらけの状況に置かれたディナだったが、自分の中に沸き起こる怒りや迷い、喪の悲しみを払拭するために真実の究明に乗り出す。友情の真価や忘却に対する認容と言葉が持つ大きな力について書かれた生命力あふれる物語。病はもちろんのこと殺人事件、売春、女性の人身売買から似非宗教の闇組織の話も出てくる面白い小説。
「毎日の我らの酒よ、昼も夜も我らを見放すことなかれ」毎朝サンドゥンガはこう唱え、その日の最初の酒を1杯飲むと、気の向くまま過ごすために家を出る。欲望も目的も持たず、流れ任せの人生だが、それ自体がこの面白い小説の筋になっている。あるひとりのメキシコ先住民があるがままに世に出るが、様々な出来事に巻き込まれる。素晴らしくもない日常のせいではないが、大抵の場合不幸な出来事だ。
年若きパウラ・センはとてつもない野心を持った競泳の選手で、4着でフィニッシュしてもトレーナーは喜ばないことを知っている。彼女は空中を滑らかに泳ぎ、ビルの壁を突き破り天空を漕ぎ進む夢を繰り返し見る。競泳の偉大な女性チャンピオンたちの姿に自分を投影するが、パウラの野望は彼女たちのレベルに達することではなく、追い越すこと。
2019年8月、G7のサミット開催の直前に1頭のクジラがオンダリビアの海岸に打ち上げられた。富を象徴するお祭り騒ぎに水を差すための自然からのメッセージだろうか。あるいはエコサイドを続ける政府の非難を目的とした反体制グループの工作だろうか。いずれにしても40トンの動物の死骸は公衆衛生上の脅威であることに間違いない。クジラの死の原因調査と責任の所在を突き止めることが急がれる。
個人的にも文学的にも変わる時期の最中にあったこの小説の語り手は、ドアや隣の部屋に印を目にするようになった。それは自分とパリ、カシュカイシュ、モンテビデオ、レイキャビク、ザンクトガレン、ボゴタを結ぶ印で、これまで話したくて仕方なかった体験談の数々を文字にして人生の図版にしたいという思いを主人公に取り戻させていく。現代の特徴のひとつである両義性を題材にした大いなるフィクション。
この小説の舞台となる新しい世界では、妊娠は女性の体外で起こる出来事だ。ゆえに思いがけなく妊娠したことを知ったソエはパートナーと共に深い森の奥に逃げ込む。そこには科学の進歩を避けて人々が隠れ住む小さな居留地がいくつか点在していた。このふたつの世界の対比は胸を突く。生にまつわる情熱的なこの小説で、著者は人の本質に係る要となる疑問を提起するとともに、すべての始まりである母性に対する賛歌を捧げる。
成長していく4人の子供と彼らを守る、あるいは守ろうとしている母親。小さな娘は観察し、疑問に思い、静寂を数える。ビッグニュースの後にまたニュース、腹を立てたりびっくりしたり、陰謀は道を険しくする。