『Lluvia fina(霧雨)』の成功後、ランデロは自身の独特な人生の記憶と読書をたどり、この忘れがたい作品を書き上げた。エストレマドゥーラの村里での子供時代、マドリードにやってきたばかりの少年時代、働き始めた青年時代を、当時の物語や舞台背景とともに、現実世界と同じ情熱や貪欲さでもって見事に紡ぎあげている。ここに顔をのぞかせる現代の登場人物は、往時の人々のように、真実に満ちている。
タティは海の番人。穏やかに暮らしていたが、ある日、人間たちが引き起こした海洋汚染によって、友だちの魚たちがいなくなっていることに気づく。この状況を変えるために、タティは人間たちの生活に介入することを決める。本書は8巻あるシリーズの第1巻。リズムの良い文章で、地球の番人と呼ばれる不思議な生物たちを通じ、子どもたちに環境を守ることの大切さ、その方法をおしえてくれる。地球の番人たちの仕事は、人間による継続的な汚染に苦しむ地球を守ることだ。各巻でひとつずつ、地球を脅かす問題を集中的に扱う。
遠くのある町では、マーガレット畑や雲のない空よりも大きな不思議がある。それは、昼も夜も、夏も冬も、一年365日、うるう年には366日、ルーカスの顔に浮かんでいるほほえみだ。世界中から科学者たちがやってきて調べるが、そのほほえみの理由がわからない。ルーカス本人にもわからない。彼はただ日々を楽しんでいるだけなのだ。でも一日の中で、彼のほほえみが特別な輝きを放つときがある。クマの鳴き声のようにぶつぶつしゃべる気難しい老人が、住んでいる青い家から出てくるときだ。
また鏡の前に立ち、また同じことを考える。自分の命を絶つこと。握りしめたこぶしの中には母親の睡眠薬。学校の同級生がつくる地獄から逃れられるたったひとつの希望。この世につなぎとめているのは妹のテレサへの愛だけだ。学校で何年間もいじめられ続けてきたサンティアゴは自分自身の影となった。そんなとき、ルシアが転校してくる。ちょっと風変わりで、他の子たちとは違っている。彼女は、サンティアゴのいる冷たく荒涼とした世界から彼を救い出し、笑顔を取り戻す希望をもたせてくれる。
美しい挿絵とともに、オスカー・ワイルドの最も有名な3つの短編『幸福な王子』、『ナイチンゲールとばら』、『わがままな巨人』を収めたアンソロジー。これらの短編には、著者を最も悩ませたテーマであるエゴイズム、不平等、苦痛と、それらを愛情や憐れみ、寛容さでいかに改められるかが描かれている。アルベルト・アセンシオの美しい挿絵が入った3つの感動的な短編は悲しく物憂げにみえるが、同時に魅力と詩情にあふれている。
偶然に見つかったフォルダの中に、タイプライターで書かれ、作家テセオ・イェドラの署名が入った200枚の原稿が入っていた。作家がエージェントに送ってから30年経っており、受領した証拠もなかったが、テセオ・イェドラの作品の専門家たちは、大きな文学賞を受賞したばかりの当時、大いに待ち望まれていた彼の新作であると確信した。今こうして原稿が出てきたということは、その作家が33歳の誕生日の前夜に本当に原稿を送ったという証拠である。
死は芸術の一形式になりうるのか? ルイス警視は一時的に隊を離れている。今日は首都の祭りで、誰もがマンサナレス川のほとりで楽しんでいるようだ。しかし、決まったパターンに沿って動物の死骸が何体か発見されたのが、異常事態の最初の兆候だった。ほどなくして、別の死の痕跡が見つかる。美術の奨学生である若い女性が、川のダムのひとつで、まるで儀式のような姿で殺害されているのが見つかったのだ。悲劇はこれだけにとどまらないと思われた。
20世紀の信念の女メルセデス・ヌニェス=タルガ(1911年バルセロナ生まれ、1986年ビゴにて死去)は、フランコの刑務所からナチスのホロコーストの収容所まで、信じられないほどの惨苦の経験を、その才能を駆使して真摯に語っている。自叙伝を社会学的分析で補完した一人称の物語だ。非常に女性らしい細部の描写が、証言をとくに興味深いものにしている。1931年4月14日、メルセデスはスペイン第二共和政の宣言を熱烈に支持した。1934年には、バルセロナ駐在のチリ領事パブロ・ネルーダの秘書として働く。
パゲイラス氏は背中をかくことができない。なぜなら手の代わりに傘しかないから! でも運がよかった。だって、1-1に住んでるソルミナ夫人にはたっくさんの手があるから。でも、つめはどうやって切るんだろう? それは2-1に住むロセッティ姉妹に頼めばいいんだ。ふたりには足はないけど、ハサミは持ってる。キサップ(「さあ、どうだろう」)通りの建物には一風変わった登場人物たちが爆笑のエピソードとともに突然に現れる。みんないろいろな問題をかかえてはいるが、いつも手を差し伸べてくれる隣人がいる。
この小説には読者を待ち受ける多くの驚きがあり、そこには著者イグナシオ・アバドによる金細工のように繊細な仕事や、少しずつ読者を巻き込んでいくプロット構築の正確さが隠されている。物語を組み立てる彼の能力と、主人公である名前のないジャーナリストのしっかりした人物造形に裏打ちされて、私たちの前に繰り広げられるのは、過去、現在、未来を行き来し、ついには一対の鏡のなかで、あるいは迷宮、交錯するストーリーの迷路のなかで枝分かれしていく裁断された物語だ。