アルファベットの文字をツールとして、読者のたくさんの好奇心にアプローチするために、兄弟のふたりがこのストーリーですることといえば、散歩すること、観察すること、冗談を言うこと、そして何よりも発見することだ。なぜって、わたしたちが知っていること、知らないこと、想像することが、ふたりと歩むどんな冒険の中にもあるから。
主人公は学校に行くのが嫌いな9歳の少年マルコ。なぜって、学校にはおばけやトロール、魔女、ゾンビや吸血鬼がいて、いつも嫌がらせをしようとするから。新学期の最初はみんなが敵ですごく一人ぼっちだと感じるけれど、すぐに一緒に冒険を分かち合える友だちに出会う。マルコと友人たちは、モンスターたちの真実をみつけられるだろうか? 注意:もし寝る前にこの本を読んだら、次の朝に枕の下を見るのを忘れないで。そして、物事は、時々見た目通りじゃないってことを覚えておいて。
ベニート・ペレス=ガルドスは愛情深い男だったが、結婚して同居することや婚約には生涯、縁がなかった。彼はガレー船の奴隷のように、書くために閉じこもり、どこか自分の分身のような登場人物たちを作り上げた。回想録の中で、1864年以前には特筆すべきことは何もないと言い切っているが、彼の人生を知る人々は、ペレス=ガルドスの存在全体に大きな影響を与えたマリア・ホセファ・ワシントン=ガルドス=テイトとの初恋のことを語るだろう。
本書『El hijo de Mamá Dana(ママ・ダナの息子)』は、コロンビア・コーヒー地帯のもっとも奥深いところ、エンベラ先住民コミュニティの集落近くにある、山々に守られた小さな村を舞台にした小説。オランダ人らしくないオランダ人、ヒエロニムス・パーリングは、物語全体で4回登場し、事件現場、事件関係者、暴力と無処罰がはびこる状況、全員の上に垂れ込める沈黙を暴いていく。
『Lluvia fina(霧雨)』の成功後、ランデロは自身の独特な人生の記憶と読書をたどり、この忘れがたい作品を書き上げた。エストレマドゥーラの村里での子供時代、マドリードにやってきたばかりの少年時代、働き始めた青年時代を、当時の物語や舞台背景とともに、現実世界と同じ情熱や貪欲さでもって見事に紡ぎあげている。ここに顔をのぞかせる現代の登場人物は、往時の人々のように、真実に満ちている。
タティは海の番人。穏やかに暮らしていたが、ある日、人間たちが引き起こした海洋汚染によって、友だちの魚たちがいなくなっていることに気づく。この状況を変えるために、タティは人間たちの生活に介入することを決める。本書は8巻あるシリーズの第1巻。リズムの良い文章で、地球の番人と呼ばれる不思議な生物たちを通じ、子どもたちに環境を守ることの大切さ、その方法をおしえてくれる。地球の番人たちの仕事は、人間による継続的な汚染に苦しむ地球を守ることだ。各巻でひとつずつ、地球を脅かす問題を集中的に扱う。
遠くのある町では、マーガレット畑や雲のない空よりも大きな不思議がある。それは、昼も夜も、夏も冬も、一年365日、うるう年には366日、ルーカスの顔に浮かんでいるほほえみだ。世界中から科学者たちがやってきて調べるが、そのほほえみの理由がわからない。ルーカス本人にもわからない。彼はただ日々を楽しんでいるだけなのだ。でも一日の中で、彼のほほえみが特別な輝きを放つときがある。クマの鳴き声のようにぶつぶつしゃべる気難しい老人が、住んでいる青い家から出てくるときだ。
また鏡の前に立ち、また同じことを考える。自分の命を絶つこと。握りしめたこぶしの中には母親の睡眠薬。学校の同級生がつくる地獄から逃れられるたったひとつの希望。この世につなぎとめているのは妹のテレサへの愛だけだ。学校で何年間もいじめられ続けてきたサンティアゴは自分自身の影となった。そんなとき、ルシアが転校してくる。ちょっと風変わりで、他の子たちとは違っている。彼女は、サンティアゴのいる冷たく荒涼とした世界から彼を救い出し、笑顔を取り戻す希望をもたせてくれる。
美しい挿絵とともに、オスカー・ワイルドの最も有名な3つの短編『幸福な王子』、『ナイチンゲールとばら』、『わがままな巨人』を収めたアンソロジー。これらの短編には、著者を最も悩ませたテーマであるエゴイズム、不平等、苦痛と、それらを愛情や憐れみ、寛容さでいかに改められるかが描かれている。アルベルト・アセンシオの美しい挿絵が入った3つの感動的な短編は悲しく物憂げにみえるが、同時に魅力と詩情にあふれている。
偶然に見つかったフォルダの中に、タイプライターで書かれ、作家テセオ・イェドラの署名が入った200枚の原稿が入っていた。作家がエージェントに送ってから30年経っており、受領した証拠もなかったが、テセオ・イェドラの作品の専門家たちは、大きな文学賞を受賞したばかりの当時、大いに待ち望まれていた彼の新作であると確信した。今こうして原稿が出てきたということは、その作家が33歳の誕生日の前夜に本当に原稿を送ったという証拠である。