メノルカ島のシウタデリャ。マリア・メデムが産休を終え地元警察の刑事の職に戻った時、70歳代のふたりの女性の殺人事件が起きる。遺体が発見されたそれぞれの住まいには3つの共通点があった。ミント系の強い匂い、パソコンから繰り返し流れるラファエルの同じ楽曲、そして隅々まで片付いた室内。バルセロナ警察の殺人課にいた経歴を買われ、マリアはこの難解な事件の捜査を任される。
時間をかけて自分の居場所を見つけたダニエルだったが、その夜、ポルトボウの人気のない駅で友人の到着を待っている間に、思い出がふいに押し寄せてくる。なんということのない平凡な人生、ソフィア・ドゥランとの思い出、そんな人生に影を落とす、近年のヨーロッパの歴史がからんだある悲劇を織り交ぜて話は進行する。記憶の中で主人公は、その時々の心の動きという舞台を通して読者を物語に導く。都会の風景描写は読み手を魅了し、親密なトーンにサスペンスの味付けの加わった物語は、一気に読まずにいられない。
ある晩校長は予期せぬ電話を受ける。フランス研修旅行中の彼の高校の女生徒が自殺未遂をしたというのだ。それは、次々と起こる思いがけない重大な出来事の始まりとなった。ワイナリーやぶどう畑が広がる牧歌的な風景を背景とする地方の学校では、カリキュラムにはない悪事や復讐や暴力からの学びが繰り広げられている。長く教育に携わってきた著者はこの小説で、教室や新しいテクノロジーの出現や異文化の交流といった事象が、変わりゆく教室や暮らしの現実の中に、豊かさだけではなく争いをもたらしていることを提示している。
1970年、スペイン。ダルマシオの運命は古紙回収作戦の初日から悪い方へと向かいだした。これが恐るべきブラス先生の好感度を少しでもあげて、無事学年を終える最後のチャンスだというのに。しかしどこかうまく行かず、我らがヒーローは毎年夏に訪れるカラロチャに来てもその悩みが頭から消えなかった。そして驚くべき結末を迎える。「よくないね、坊主、良くないことだよ」
紀行ジャーナリズム再び。21世紀の真っ只中、地球の隅々が地図に載り、計測され、写真に撮られ、詳細に説明されている。未知の大地を見出し、何かを発見するといった感覚を味わうことは最早不可能なのか。ロバート・カプランやイーヴリン・ウォー、ドミニク・ラピエール、そしてウィンストン・チャーチルに至る、文学ジャーナリズムの偉大なるマエストロの足跡をたどるレポーターにとっては不可能ではない。本書は読者を、あまり踏破されていないヨーロッパの果てへと誘う。
あるスペイン人営業マンが、東欧各国にある自社の拠点に出張の旅に出る。そこは彼が激動の80年代を過ごした地だ。冷戦時代の世界秩序が崩れ去り、資本主義へ移行する中、彼はプラハ、ブカレスト、ソフィアを再び訪れ、彼の人生に大きく係わった人々との再会を果たすが、歴史的出来事や時の流れが彼らの生き方や価値観、活動に及ぼした変化を見て愕然とする。最後に訪れたプラハで、協力者のカミラと再会するが、彼女が忽然と姿を消したことをきっかけに驚くべき旅が始まる。
オリベルはカンタブリアのスアンセスにコロニアル様式の大きな家を相続する。改修の最中壁の中から赤ん坊の死体が出てきて、その隣には時代に全くそぐわないものが一緒に置かれていた。この発見をきっかけにこの地域一帯で次々と殺人事件が起きていく。司法解剖の結果はどれも不可思議なものばかりで、治安警備隊の捜査は難航し、オリベルは窮地に追い込まれる。オリベルは残された時間と戦いながら、殺人犯を見つけるための旅に出る。まったくのフィクションながら、歴史的データの多くは事実に基づく。
名誉、復讐、そして運命。時代の波にもまれた侍の物語。時は1600年、大海が国々を鍛え男たちを静めていた時代、フィリピンを目指して航海中のテルシオ軍の少尉ダマスコ・エルナンデスは出世して女官コンスタンサと結婚することを夢見ていた。同じ頃日本は群雄割拠の世。後に伝説となる長期に渡る包囲戦が行われていた伏見城では、4万の兵を率いる敵軍に対して、ほんの一握りの強者が城を守っていた。名誉の最期を遂げるには最早切腹しか無いと思われたその時、大将がその中のひとりに切腹を諦めさせ、ある任務を命じる。
新聞記者のマルタ・ビラスが、ビゴに港に浮かぶバイク乗りの死体を発見した時、殺人犯が被害者のポケットに忍ばせた小さな玩具が自分の人生を変えることになるとは夢にも思わなかった。閉鎖してしまった玩具メーカー、ファモビル社が製造初期に発売したシリーズの小さな人形が、この事件と対岸のカンガスで漁師によって引き上げられた警備員の殺害事件、そしてその後ガリシアの海岸のあちこちで次々と発見された死体とを結ぶ唯一の手掛かりとなる。
この両親を、自分で選んだわけじゃない。好みも得意なこともそう。誰を好きになるかとか……敵さえも選んだわけじゃない。才能や弱点も。罪だってそうだ。生まれる国も、愛する人たちが私たちを呼ぶのに使う名前だって、更にその愛する人たちも自分が選んだわけじゃいない。人生が私たちを選ぶのだ。そして時には、人生にも選べないことがある。心の痛みから逃れるためにある世界をでっちあげるしかない男と、新たな世界を作り上げる代わりに自らの痛みを誰かに肩代わりさせようとするもうひとりの男。