16歳の少年サムエルが主人公の探偵小説。サムエルは家族の事情で、探偵事務所を経営している叔父のフアン・ドミンゴのもとに一時的に身を寄せ、叔父の新しい事件に協力することになる。ふたりで一緒に捜査するうちに、ラ・マンチャのワイン醸造家が高価な宝石〈ポリュペモスの目〉を盗まれたことを発端とする、張り巡らされた陰謀に気付く。事件にかかわりがあると見られるのはダミアン・ロメロという行方不明者とその同僚たち、古美術商、宝石商、骨董品を集める女性とその甥。
わたしたちが無くしていったものすべてを見つけることができたら素晴らしいと思いませんか? 1995年に、ある少女は左手の手袋を無くしました。少女が手袋を捜していると、すべての紛失物が行きつく所、〈失われた博物館〉に出くわしました。博物館は何階もある建物で、すてきな部屋がたくさんあり、二度と見ることができないと思っていた物であふれています。さあ、中に入ってください。でも、迷子にならないでね!
オオカミや熊、鳥、小鬼やヒキガエルを怖がらせる怪物、ましてや子どもたち、王女さま、お年寄り、犬や猫などは震えあがるような怪物が、機嫌の悪い男の子に部屋から追い出されるなんて想像できる? これはそんなお話。主人公の怪物がお腹をすかせ、靴もなく寒さに震えながら町をさまよう羽目になり、途方に暮れてつぶやく。「怪物が追い出されるなんて話、どこにある?」
運よく海を渡れたとしても、海は後ろに過ぎ去り、前には多くの店や汚れ、単調さや悲しみが横たわる。日々が同じように過ぎていき……ある日、それが一変する。そのとき君は店や行列や柵のはるか向こうに目をやるだろう。山々に。未来に。それを探しに行きたければ、探す理由を見つければいいだけだ。
本が大好きなエンマ。数日後に誕生日を迎える友人のセバスティアンに最高のプレゼント、つまり「最高に楽しい本」を贈りたい。問題は、そんな本がどんなものなのか誰も知らないことだ。ある日の午後、エンマはアリシアの本屋に行き、最高に楽しい本がないかと尋ねるが、アリシアはわけがわからず、エンマにどんな本なのか、何かヒントをくれるよう頼む。エンマが最高に楽しい本には恐竜が出てこないとダメだというので、アリシアは恐竜が出てくる素敵な本を何冊か見せる。
ルシアは外見と中身が違うと感じている。髪は刈り込み、耳にはいくつもリングをつけ、男物の服を着ている。家族は兄弟ふたりと父親。母親は他界しており、形見にギターをもらったが、もう音が出ない。そこで、若い才能を発掘するコンテストに出ることにした。しかし、参加するにはギターと見栄えのよい衣装が必要だ。インターネットで探していると、魔法使いのおばさんを提供するサイトを発見した。冗談か何かだろうかと思いながらも申込書を送ったところ、翌日、部屋の中にカリストがいた。
ヨーロッパ最大のスラム街カニャダ・レアル。社会からはじき出されたこの地区の中心を舞台に、子どもの素朴で優しく創造的な視線を通して、何千人もの人々の厳しい現実を文学に変えたのが本書だ。社会から排除された人々に焦点を当て、そこで暮らす子供たちの声を伝えて、何年も前から停滞している建物の一部撤去か集団移住かという問題を可視化した、大胆で危険な必読の書。
ある日、ミロはママのおっぱいを飲んでいました。ところが、あまりに吸い過ぎたので、ママを丸ごと飲み込んでしまいます。ミロはママに会いたくてママを捜しに行くことにしました。自分自身を食べようとしますが失敗し、ママを出さなければならないと考えました。最初は鼻から出そうとしますが、うまくいきません。大きなおならで空中に噴き出すことでとうとうママを取り戻すことに成功しました。ママは喜びのあまり、ミロを食べてしまう勢いでキスの雨を降らせました。大きなおならをしたミロは、結局また欲しくなりました。
この本は、子どもたちを東洋の詩の真髄、とくに俳句の世界へと案内します。俳句は、非常に人気のある詩の形式で、わたしたちの感覚のなかに呼び起こされる印象を通じて自然を導き出そうとするものです。想起されるイメージのほとんどは、アンプルダン(カタルーニャ地方北部の地域)の土地から着想を得ています。イラストはナチュラルかつシンプルで、それぞれの詩から着想を得たものです。イラストは詩とぴったりマッチして、見る者の想像力を掻き立てます。
ハナは今日、グレーのコートを着ています。歩きながら、だれかほかの人のように感じられたらどんなにいいだろうと想像します。きっとすばらしいに違いありません! けれど、ハナはまだ一番すばらしいものに気付いていませんでした……。これは自尊心の物語。自分が何者かよくわからなかったり、自分のよい面は忘れて他人のよい面ばかりが目についてしまったり、そんな瞬間が語られています。教師用資料付き絵本。