人間の半数は、パートナーに性的に不誠実であると認めている。だが、残りの半分は真実を語っているのか、それとも嘘をついているのか? それを証明する唯一の方法は、探偵または電子的な手段を用いてひそかに対象者の生活を調査することだ。本書『CIEN NOCHES (百夜)』はこの人類学的実験を提起している。つまり、同意なしに6000人を調査し、最終的にはわたしたちの社会における性行動についての信頼できる統計を作成すること。主人公イレネは、性欲のなかに人間の魂の秘密を探る。
シアドールのピオガレゴ一家に生まれた仔リスのコシモは、住処にしている樹齢100年の樫の木の病気の治療法を見つけようとして、様々な出来事を経験する。この世に社会が生まれたときから現代にいたるまで、物語は教育に役立てられてきた。エンリケ・マウリシオとカルロス・タボアダによる本書も、そういった役割を担う物語にほかならない。心惹きつけるこの作品で、読者は友情、連帯、自然への愛情といった価値観の大切さに気付き、木や草についての知識を深めるだろう。
マドリードの中心部が、この物語の主人公たちが闊歩する舞台となる。フランコ政権末期の社会と、自分の声を聞いてもらうために戦った、ある世代の勇敢な女性たちによる自由の獲得を余すところなく描いた小説。フランコ政権をもっとも揺るがした汚職事件マテサは、混迷を深めていく時代の政界と社会を揺さぶっていた。この現実をよそに、上流階級の若い娘アデラには、子どものころから知っている音楽家のカルロスのことしか見えていない。
カンタブリア地方の年老いた農夫カシミロは、冬も間近のある日森の中でサミハの妖精に出会った。罠にかかった妖精は意識もなく栗の葉っぱでできた羽が一枚折れている。カシミロは看病のために小屋へ連れ帰ることにした。目を覚ましたサミハの妖精イスナラは、過去の王国や未来の王国についてのお話を聞かせることを交換条件に、この小屋で一緒に冬を越させてくれと頼む。
第二次世界大戦に見舞われたイタリアを舞台にした小説。 少年ロマン・アルベルディは、バスク一周のレースで、初めて偉大なサイクリストのジーノ・バルタリに会う。内戦で亡命したときにも、ツール・ド・フランスで再びジーノ・バルタリに会う。その後ロマンはジーノに会おうと、トスカーナのポンテ・ア・エマに赴く。サイクリングだけではなく、様々なテーマや人物がこの本で交差する。
ビルヒニアは父親との関係がずっとうまくいっていなかったが、病院でこん睡状態の父を毎日見舞うのは義務だと感じている。病に取りつかれた彼女にとって、症状は言葉よりも正直だ。その病室で、ビルヒニアの人生の決定的な瞬間に、母親や姉妹との絆が試される。彼女が母親になれる期限が迫っていた。そのとき、謎めいた魅力的な男の患者が新しく隣のベッドにやってくる。ビルヒニアと男は、少しずつ病院の無菌状態にはふさわしくないことを一緒にするようになり、ついに小さな共有スペースをつくる。
アルファベットの文字をツールとして、読者のたくさんの好奇心にアプローチするために、兄弟のふたりがこのストーリーですることといえば、散歩すること、観察すること、冗談を言うこと、そして何よりも発見することだ。なぜって、わたしたちが知っていること、知らないこと、想像することが、ふたりと歩むどんな冒険の中にもあるから。
主人公は学校に行くのが嫌いな9歳の少年マルコ。なぜって、学校にはおばけやトロール、魔女、ゾンビや吸血鬼がいて、いつも嫌がらせをしようとするから。新学期の最初はみんなが敵ですごく一人ぼっちだと感じるけれど、すぐに一緒に冒険を分かち合える友だちに出会う。マルコと友人たちは、モンスターたちの真実をみつけられるだろうか? 注意:もし寝る前にこの本を読んだら、次の朝に枕の下を見るのを忘れないで。そして、物事は、時々見た目通りじゃないってことを覚えておいて。
ベニート・ペレス=ガルドスは愛情深い男だったが、結婚して同居することや婚約には生涯、縁がなかった。彼はガレー船の奴隷のように、書くために閉じこもり、どこか自分の分身のような登場人物たちを作り上げた。回想録の中で、1864年以前には特筆すべきことは何もないと言い切っているが、彼の人生を知る人々は、ペレス=ガルドスの存在全体に大きな影響を与えたマリア・ホセファ・ワシントン=ガルドス=テイトとの初恋のことを語るだろう。
本書『El hijo de Mamá Dana(ママ・ダナの息子)』は、コロンビア・コーヒー地帯のもっとも奥深いところ、エンベラ先住民コミュニティの集落近くにある、山々に守られた小さな村を舞台にした小説。オランダ人らしくないオランダ人、ヒエロニムス・パーリングは、物語全体で4回登場し、事件現場、事件関係者、暴力と無処罰がはびこる状況、全員の上に垂れ込める沈黙を暴いていく。