アフリカに伝わる寓話。主人公である、世界で最も長生きで賢く、辛抱強い生き物が、いかにしてあらゆる動物を救ったかを描く。敏捷で抜け目ないウサギも、大きく威圧的なゾウも、サイも、チンパンジーも……、だれも伝えられなかった生き延びる方法を、ボアは知っていた。西洋の文化で危険や残酷さ、死を連想させる生き物だ。アフリカの伝承をもとにしたこの物語は、偏見を打ち崩すだけではなく、生物種間の均衡と調和を壊しながら、地球に住むほかの生き物たちに対して我々人類がはるか昔から握ってきた覇権に焦点を当てている。
しばしば私たちは、自分をちっぽけな存在だと感じるが、周囲の人々に視線を向ければ、自分は大きく、とても大きくなれるということに気づく。ほんの些細な行為が重要で、大きな行動のきっかけとなる。私たち一人ひとりが、個性を際立たせることができるのだ。ひとりの女の子の目を通して見ると、世界はとても大きくて、私たちを感動させ、変化させてくれるんだということがとてもよくわかる。自分がちっぽけであるという感覚、恐れや混乱に対する、自身の潜在能力を発見することについて語る本。
新しいフラメンコを愛する人々に向けた解説書。純粋派と革新派の論争はあらゆる科学・芸術分野で見受けられるが、フラメンコの世界は特にその対立が激しい。著者はタイトルでその立場を明らかにし、純粋派がこだわる伝統的衣装を拒否してこそ存在意義を持つ、革新派のハイブリッドな性質を探究する。巨匠たちを否定することなく、絶えず再構築され、様々な栄養を取り込み、新旧の入れ替わりによって活性化する芸術として、フラメンコの理解をサポートする。
ある日、ぼくが悩みごとをかかえていると、おじいちゃんがやってきてぼくに言う。「マックス、今日はあの古いカシノキにいっしょにのぼろう。おまえくらいの年のころ、わたしもよくのぼったものさ。上からだと、何もかもちがって見えるぞ」
13回目の誕生日、アマンダ・ブラックは、彼女が生後数か月のときに失踪した両親の署名入りの手紙を受け取った。手紙にはあるミッションが書かれていた。《おまえは私たち一族の最後のひとりだ。最後のブラックなのだ。自分がどんな遺産を受け継ぐか知りたければ、おまえ自身が見つけ出さなければならない。そしてそのためには、かつてのおまえの両親の家、今やお前の家であるブラック館の所有権を手にしなければならない。
ユーモアと優しさとあいまいさに満ちた、取り外し可能な絵はがきサイズの40ページ。カラー絵はがき20枚(スペイン語版)と塗り絵用絵はがき20枚(英語版)を収録。カタルーニャ出身でイラストレーターでもあり画家でもある著者の個性が光る、アーティストブック兼大人のための塗り絵帳。
アマンダは見せかけの生活を送ってきた。毎日、大嫌いな弟の子守をするよう母に強いられても気にしないふりをする。《親友》に恋人を奪われても傷ついていないふりをする。もう彼のことなど愛していないふりをする。幸せな生活を送っているふりをする。ネイト・ルイスはお坊ちゃん。ネイト・ルイスは大きな家に住んでいて、いつも何の努力もせずにほしいものを手に入れてきた。ネイト・ルイスは自分を大切に思う人などいないと思っている。
挿絵入り書籍。旅人で作家のガビ・マルティネスと、考古学者で博物学者そして探検家のジョルディ・サラリョンガ共著による本で、挿絵はジョアナ・サンタマンスが担当。目に見えない動物や、およそ誰も見たことのない動物を探して地上のあらゆる場所を訪れる。すでに絶滅し、もう見ることのできない動物、その生活様式や、人類が直接、あるいは生活環境を損なう形で害を与えた影響により、見ることが非常に難しくなった動物たちについて描写している。
1936年、国民蜂起の前日に、治安警備隊の刑事がナバラ州のレクンベリに着いた。市役所の守衛の命を奪った殺人犯の足跡を追ってきたのだ。守衛は強固なカルロス党員で、共和国側に属する村の教師の敵だった。あらゆる形跡が殺人の容疑者として教師を指し示していたが、ある若者のおかげで刑事は別の手がかりを見つける。その若者は役所の職員で、村のパン屋でもあった。生涯でたった1冊、繰り返し読んで暗記するほどになった本『ドン・キホーテ』からインスピレーションを受けてものを考えたり行動したりする人物だ。
東南アジアを舞台にした冒険小説。出張でシンガポールへ行ったソフィアだったが、運命に翻弄され、お金やパスポートも無く、漂流したボートでひとり大海をさまよっていた。彼女はこの運命と同様、あり得ない形で、バスク出身の向こう見ずな男オリャウリと島の謎めいた住民ジャハンが抱える問題に巻き込まれていく。ふたりはジャワ海で起きた盗難事件の関係者として当局から逃げているお尋ね者だった。