1901年に発表された『El tío Gorio(ゴリオおじさん)』は、詩人のホセ・マリア・ガブリエル=イ=ガランの手による数少ない物語の一作。フアン・ルイス・イグレシアス(原作)とホセ・クルス・デ・クルス(作画)は、このガランの代表作を独自のアプローチにより風俗画タッチの漫画に仕上げた。本作では、ガブリエル=イ=ガラン自身が物語の語り手そして主人公として登場し、彼が創作した登場人物、ゴリオおじさんとプリアおばさんという愛と打算で結ばれた夫婦と交流する。
楽しませ、笑わせ、でも考えさせるためのFrutas y verduras(果物と野菜)シリーズの1冊。トマトはとてもはずかしがりやで、学校に行っても、ほかのクラスメートのように授業中に大きな声で話したがらない。すごくはずかしいのだ。ところがある日、はずかしさをのりこえて、みんなとお話しできるようになる。
1892年、英国。名高い収集家で冒険家のクリスチャン・モンゴメリーは慌てた様子で、孫のウィリアム・ジャクソンにしばらくの間事業を見ていてほしいと頼んだ。経営する骨とう品店で売る品を求めて、カラカスに行かなければならなくなったのだという。だが、時が過ぎても彼は戻らず、謎めいた手紙が届いて、心配したウィリアムは助けを求めることに決めた。
コブナント学院ではその夜も、いつも通りに時が過ぎるはずだった。ふたりの若い魔女、エリザ・キットラーとケイト・サンジェルマンがリトル・ヒル墓地の死者たちを一斉に目覚めさせようと決めるまでは。それはほんのいたずらのつもりだったが、ふたりは放校になってしまう。今やエリザに残された道は社交界にデビューして申し分のない夫を見つけることだけだった。
鳥を売る男はこのロベール・ブラジヤックの小説の重要人物のひとり。30年代の典型的なパリジャンが登場する小さな世界のすべてが彼を中心に巡る。登場するのは3人のソルボンヌの大学生で、その中には若く美しいイザベルがいる。そして小売商マリー・レペティトコルプス。過去の出来事のせいで孤独な人生を送っていたが、道に迷ったふたりの少年、セルジュとミッシェルが現れ、もうひとりの重要人物、カブリティーリョのせいで人生が変わり、満たされるようになる。
リカルド・アルカンタラが贈る、日常生活の中で自分の真価が認められていないことがあると感じる子どものお話。たとえばシュートを失敗してやじられたとき、授業中に話して先生に叱られたりするとき……。でも泳ぎに行くときや、学校にいるときには、いい友だちに囲まれているんだ……。ノエミ・ビリャムサがイラストをつけた、感情についての優しい物語。
エンカルニ・コラルが文を書き、キエル・ラモスが絵を描いたこのかわいらしい物語は、私たちを魔法で満たし、そして自分の感情を知るお手伝いをしてくれるだけでなく、友情の価値はあらゆるものに勝ると教えてくれる。困難が大きなチャンスに変わることもあるということを示す友情の物語だ。エルマは羽を失った妖精。鼻を変えられる愛情深いモンスターたちが、エルマの羽探しを手伝う。色のついた鼻で、モンスターたちはエルマに自分の感情を知り、コントロールすることを教える。
「哲学は常に懐疑主義の実践である」と言ったのはバートランド・ラッセルである。疑うことを学ぶということは、与えられたものから距離を置き、常識と先入観を疑い、明白なものに疑問を呈することである。ひたすら否定するためではなく、調査し、分析し、論証した上で決定するために。
ドゥナ・ガルシアとルカス・ガルシアは同じ名字だが、兄妹でもなければいとこ同士でもない。お隣さんで友だちだが、ずっとそうだったわけでもない。知り合ったころ、ルカスはドゥナの友だちになんてなりたくなかった。なにせドゥナに会わなくてすむように、箱で庭に壁までつくったんだから! だけどほんのちょっとの我慢とユーモアがあれば、友情が芽生えることもあるんだ。そうなったら……すごい発見だよ! 評判のクリエイターふたり、ジャウマ・クポンスとオスカル・ジュルベによるこの絵本で、友情の価値を学ぼう。
『Cuentos Desexplicados(語られなかった物語)』は数多くの登場人物と名作物語を、靴下みたいに取り換えたシリーズ。驚きとユーモアに満ちたストーリーは、小さな読者たちの想像力を飛躍させ、発達させる。