「夢を失ったら、あなたは悪夢の奴隷になる。だから、この世界には必要なんだ……夢見ることを恐れない人が」。両親がなぜかいなくなり、レベッカはごく幼い頃にしか会ったことのない祖父、バルバティン先生のところで暮らさなくてはならなくなった。風変わりな家の冷ややかでよそよそしい祖父のもとで途方に暮れていたレベッカは、やがて両親が消えたのは偶然ではなかったこと、自分もまた危険にさらされていることを知る。
マルタは10年間ずっと隠してきた秘密をパートナーに打ち明けた。それは、勤めていた高齢者施設で知り合った老人、ダニエル・ファウラ・オイゴンの奇妙で心惹かれる人生の話だ。ダニエルが亡くなった時、マルタは彼の日記と手紙、そして謎の女性サヤに捧げたソナタの楽譜を見つけた。日記はダニエルが少年時代から晩年まで、自分の人生を綴ったものだった。
繫栄を極めた、西洋のとある国際的都市で不思議な現象が起こる。初めは不愉快な偶然の出来事としか思われなかったが、間もなくそれが悪意のある脅威に変わり、市民の心の内にある確信が覆される。社会全体に影響が及ぶこの現象を皮切りに、著者は密告、恐怖、疑念、はたまた略奪や魔力、迷信などにより社会が腐敗していく過程を描きだす。混乱の中、神話的絵画をゆったりと修復するような時間の流れの中で、ひとつの愛が静かに生まれる。
マリアナ・エンリケスの世界は私たちの世界とは無縁のようだが、読み進めるうち最後は自分のものとなる。数行でもその世界に足を踏み入れ、空気を吸ったならば、生き生きとした感情表現のとりこになり、忘れられなくなる。細分化され悪夢となった日常に読者はうちのめされ、ストーリーやイメージに感情をかき乱され、それらが頭から決してはなれなくなる。例えば、「激越な女たち」と自称する集団は、ウイルスと化した重度の家庭内暴力に抗議する。
ヨーロッパの中心にいる十代の若者や大学生は、実在の虚無を満たすために、きわめて現代的な思考と古い原理的な信念を併せ持っている。それは文化の土台をゆるがし、私たちを地獄の奥底へと落下させる。21世紀のネット社会を生きる理想主義の若者たちは、中世風の正義の味方を名乗る者のなかに白馬の王子がいることを期待している。だが、おとぎ話が語られる前に正義の味方は死んでいきかねない。メソポタミアの古い信仰の性の奴隷は、非人道的な屈辱を甘んじていた。
1930年4月、リベル・デブラのエブロ川の河原で、ローラと呼ばれていたドロルスの遺体が発見された。彼女の最後の恋人であるボアダと、村の医師ラムセスはこの事件の捜査に乗り出し、ローラの人生をたどり始める。エブロの川辺での貧しかった幼年期、そして村を出て19世紀末の近代化しつつあるバルセロナへ。貧しいソモロストロ地区からリセオの豪華なサロンに至るまで、ひとりで身を立ててきた女性の人生のさまざまなシーンを彼らはつなぎあわせていくが、彼女は30年間隠し通してきた恐ろしい秘密を持っていた。
1936年11月20日、ひとりの男が死に、ひとつの伝説が生まれた。男の名はブエナベントゥーラ・ドゥルティ。修理工にしてアナーキストのピストル強盗、そしてバルセロナの反ファシスト義勇兵。50年後、フランス人ジャーナリスト、リベルタード・カサルはドゥルティの死にまつわる謎を明らかにしようと決意する。
繊細で注意深いまなざしと気取りのない感情を持つパロマ・ディアスは、ふたつの物語の交差点に立ち、物や物語や思い出となって追いかけてくるふたつの過去(家族と集団の、政治と個人の)を探っていく。記憶の衰退という辛い現実を前に、本書『私たちが忘れさったもの』は、記憶を回復し、再評価、再現しようとする堅い意志を、エネルギッシュで才能豊かに、確かな筆致で示して見せる。内面をこまやかに描いた、読者をひきつけてやまない誠実な作品。
「ピッシンボニ家の人々はだれにも好かれていなかった。丘の上の蔦の絡まる家に住んでいたが、他の家々からあまりに離れていたので、村の外に住んでいると思われるほどだった。兄弟が大勢いたが、家長のイグナシオと妻のマルティナがまだ生きているのか、だれも知らなかった。村で姿を見かけることもなかった。
ビセンテ・フリーマンは新入りだ。新しいところに来るのはこれが初めてではないので、それほど心配はしていない。しかし今回は違う。今回はバルバラがいる。「ガーディアン」のボスだ。あるいは、そう彼女は思っている。それに「アパッチ」もいる。この地区で恐れられているワルどもだ。皆がビセンテに何かを求めている。でも、何を求められているのか、彼自身はよくわからない。おまけに彼はくさくさしている。ビセンテ・フリーマンが本当は何者か、今こそ示す時だ。2016年バルコ・デ・バポール賞受賞作。