枢軸国とのつながりが明白であるにもかかわらず、フランコ体制が第二次世界大戦後にも存続したのは、終戦後に構想された国際関係の新しい秩序における概念的歴史的アナクロニズムの結果だった。本書は、1975年に死去するまで独裁者フランコが権力の座にとどまるのを可能にした、1945年から1953年までの複雑な世界情勢の外的な決定的要因の説明を試みる。
川や湖、海、泉は、歴史が始まって以来無数の作曲家たちにインスピレーションを与えてきた。本書はCDつきの子ども向け絵本。これまで多くの音楽家が、生命力あふれる水をテーマに作品を書いてきた。それらの曲を聞くと、音を通して水が目に浮かんでくる。透明感、流れる音、大波のうねり……。そういった水のさまは美しい音に移しかえられ、バロックの時代から現代まで、いくつもの忘れがたい曲となってわたしたちのもとに届いている。
1924年。レビリョ教授の世界動物実験室が脚光を浴びた数年後、最新の研究成果を披露するため、教授が戻ってきた。レビリョ研究所は動物の進化に貢献し、生き物を直立させるための実験に取り組んでいる。そのため「レビリョラマ」と題するショーを、現在の研究所の本部である進化パレスで行うことにした。
1938年。ヒットラーにより世界平和は脅威にさらされていた。ナチスはどの国に対しても不滅の体制を誇っていた。だが、実際にはそうではなかったのは、ある意味、ガルボという偽名で知られるフアン・プジョルがいたからだ。ガルボは自信に満ち、更にはごまかし、大胆さ、尽きない想像力、人間的魅力などありあまるほどの長所があった。1940年、彼はそれまでで最も重大な決断を下す。ナチスを倒すまで闘うこと、しかもそれをドイツ軍の内側からしようというのだ。しかし彼はひとりではなかった。
El gato que no quería ser gato(ネコになりたくなかったネコ)、El secreto de Esmeralda(エスメラルダのひみつ)、Un héroe llamado Miraralcruzar(ヨクミテワタールという名のヒーロー)、El secreto de los dulces robados(ぬすまれたお菓子のひみつ)、El mercado de los jueves(木曜日の市場)の5編を収録したお話集。
1615年のマドリード。バルセロナから到着したばかりの若者が、迷路のように入り組んだ凍てつく人けのない道を歩き回り、ようやく目的地にたどりついた。死期が近いひとりの老人が毎日通うみすぼらしい居酒屋だ。老人はミゲル・デ・セルバンテス、『ドン・キホーテ』の生みの親だ。若者は作家セルバンテスに謎めいた小さな古い櫃を渡すという使命をおびていた。櫃と引き換えに、セルバンテスは40年前の出来事を語らねばならない。亡命の途中でバルセロナに避難したおたずね者の郷士だった時のことを。
1530年、ひとりの若者が偉大な編集者アルド・マヌツィオの未亡人に近づき、亡夫の生涯に関する文章を見せる。真実の物語が、想像していた武勲とかけ離れていることは知られていない。マヌツィオはギリシャ文学の至宝の最高の版を作ろうと1489年にヴェネツィアに到着するが、手写本を盗まれたり、義父で印刷屋のトレサニに課金を要求されたり、若き妻マリアが入れ込んでいるエピクロス主義の流布に対して権力者の検閲が入ったり、想定外の困難に見舞われる。
当局がカレンダーから1日を削除すると決定した。選ばれたのは10月6日、エドゥの生まれた日だ。突然誕生日がなくなったエドゥは、いつまでも10歳のまま。もちろん、そんなのおもしろくない。こういうことが起こるのは初めてじゃない(どうして2月は28日しかないんだ?)といっても、なんのなぐさめにもならない。そこで、エドゥは誕生日を取り戻すために闘おうと決心し、「禁じられた物の店」にかけつけた。途方もないことに挑戦するには、途方もない解決策が必要だ。そこでエドゥは「時間吸引機」を手に入れた。
サラマンカのトルメス川のほとりでラサロは生まれた。ひどく貧乏で、小さなうちから自分で食いぶちをかせがなければならなかった。幸せな世界に生きているとは言いがたかったが、利口で機転のきくラサロは、なんとかして逆境を乗り越えていく……。こうして本書は、貧しさゆえに様々な主人の元を転々とし、飢え死にしないため知性を磨いていったひとりの少年の歩みを自叙伝の形で綴る。父はなく、まだほんの子どものラサロを母はひとりの盲人にひきわたす。盲人につきそい、手をひいて生計を立てるためだ。
どんな旅も3つの領域で展開する。内面の旅、時間の中で進行する旅、空間を移動する旅だ。空間の旅は感覚を満足させ、時間の旅は経験を豊かにするが、人間を変えうるのは内面の旅だ。だが、人間は世界の行方を変えられるだろうか? 本作の登場人物たちは冒険に出発し、偶然に導かれて小さな物語がよせ集められ、しまいに全体の変転をもたらす。はらはらする螺旋のような語りを通してこれらの短編は、私たちが生きることになった複雑な世界に自問するよううながす。