セルバはみなと違う女の子だ。肌が青くて、砂しかない国から来た。錆びて、ベルのついていない自転車を持っているが、そのサドルにはすばらしい物語が隠されている。
何年もたってから、主人公は、セルバとの友情がどんなふうに芽生えたか、自転車の物語や、ともに体験した大冒険を思い出し、砂漠を探しにいこうと決心する。遠い夏の太陽とともに心の中にしまいこまれた、決して忘れることのない美しい思い出。
熟年期における挫折、それが、20作の短編をおさめたセルジ・パミエスのこの新しい作品集の中心テーマ。個人及び集団をみまう不運、不運を乗り越えて生き延びる能力、不運によってひきおこされるあらゆる感情が、オブセッシブなスタイルで描かれる。このスタイルこそ、何千もの読者をひきつけてやまない、最近のパミエスの著作の特徴である。
本書はサラマンカ大学という組織の初期の歩みを描いたものである。サラマンカ大学の創設は12世紀だが、カトリック女王イサベルが同大学をソルボンヌ大学スペイン版に育てようと決心して世界的に有名になった。本書は見事な散文によって、魅惑的で激しい世紀に我々をいざなう。人文主義がイタリアでおこり、ヨーロッパに広がった後スペインにも到来した時代である。イベリア半島では、すでに確立している宗教秩序を維持せんと人文主義に対抗し異端審問所が立ちはだかる。
はるか昔から、魔女オマールの一族は、血に飢えた魔女オディッシュの一族から隠れて暮らし、預言者によって選ばれし者の到来を待ち望んでいた。今、星はその時が近いことを告げている。14年間ピレネーの山奥の村で、一族の女性たちにまつわる秘密を知らないで育ってきたアナイードは、母親である赤毛のセレーネが姿を消したとき、身も凍る信じがたい真実とむきあい、危険と発見に満ちた道を歩みだす。
書店にある他の本とは異なる、サグラダ・ファミリアについての書。人間としての、また芸術家としてのガウディの経験を語らせたら並ぶもののない証人である外尾悦郎との対話。日本人の彫刻家、外尾は30年以上前にバルセロナに来てサグラダ・ファミリアの石の鼓動に魅了された。作品への関わりはガウディへの、とりわけガウディが見ていたものへの、深く沈思したまなざしがあったからこそ。
マサトラン(メキシコ)の海辺。イサベルがハンモックで目をさますと、髪がくしゃくしゃの野生の少女が彼女を見つめている。イサベルの愛情と辛抱強い教育のおかげで、その少女カレン・ニエトは話すことや読み書きを覚え、大学では単位をだいぶ落としながらも動物学を専攻し、世界有数のマグロ漁の会社社長となる。が、相当の変わりものである。知的な面はかんばしくないが、そのほかでは天賦の才を発揮し、海洋生物の保護に乗りだす。海にあってはマグロと一緒に潜り、陸にあっては人々に笑いと戸惑いを振りまく。
14歳の少年ニコは、ある朝いつもと違う道を通って学校へ向かったところ、途中で見たことのない家を見つける。不思議に思って中に入ると、奇妙な宇宙にはいりこんでしまう。
バルセロナの最も特徴的なモニュメント「サグラダ・ファミリア」を理解することは容易ではない。しかし、当のガウディは、解決できない謎としてではなく、誰にでも開かれた本のようにそれを設計した。ガウディは「彼の」作品がどこからでも見えるよう望み、それを成し遂げた。またサグラダ・ファミリアを作る全ての石、ひとつひとつの石が語りかけて欲しいと望んだ。ガウディはその建築に着手したばかりのときにこの世を去った。
レオノーラ・キャリントンは、繊維業界大物の相続人として、裕福で何不自由なく育つ運命の星のもとに生まれた。しかし、小さい頃から自分は他の子とは違うと彼女にはわかっていた。他人には見えないものが見える能力が、彼女を特別な存在にした。個人的にも芸術的にも自由な女性でいる権利を勝ちとるために、社会のしきたりや両親や教師に立ち向かい、宗教や思想のくびきを断ち切っていく。今日では伝説となった、シュールレアリズムの大女流画家レオノーラ・キャリントンの魅力あふれる人生が、私たちの夢を膨らませる。
周知のとおり、中世においてサンティアゴの道は様々な国から大勢の人々が途切れなく集まり、一大文化交流の場となった。この道を行きかったのは様々なものの見方、知識、歌、音楽、芸術様式、芸術作品、そして言い伝え。特に、当然のことながら、ヤコブの人生とその死、行った奇跡についての伝説である