大きな悪いオオカミ、フェロスの妹は、心配でたまりません。自分の息子がちっとも悪くないどころか、これ以上ないほどいい子過ぎるからです。フェロスはそんな妹を慰め、甥っ子を自分の家に来させるようにいいました。自分が甥っ子を真の悪いオオカミに鍛えてやろうというのです。子どもオオカミは伯父を訪ね、伯父の言う通りにしようとします。恐ろしい遠吠えをしたり、ウサギを狩ったり、赤ずきんちゃんを怖がらせたり、おばあさんを食べたり…… けれど、いつも失敗してしまいます。
『Flores de Bach(バッチフラワー)』は、私たちがどのように行動し、なぜ特定の行動をとるのかを認知し、また自分の感情や自分自身について、少しずつ理解するのに役立つ本だ。同時に、この本を通じて私たちは、プライベート、仕事、社会全般、さらには精神的な暮らしぶりの違いに関係なく、自分がどこにいて今何が起きているかを知ることができる。全ての感情は、たとえそれが隠れたものであっても、私たちの器官、もちろん肌にも記録されている。
犬や羊たちとともに気楽で波風のない人生を歩んでいるひとりの羊飼い。彼はまだ、金とラム酒に飢えた世界に自らを引きずりこむ見えない力があることに気づいていない。そう、彼はまだ、自らをその存在の深淵まで連れて行き、自分自身を映し出す、すなわち、本当の自分の底に向き合わせる悪魔の契約を認知できていないのだ・・・。
職人の技が際立つマヨルカの菓子とパンの店。彼らは料理の伝統に深く根ざし、製品に注力する。もともとはお祭りやお祝いの席で作られていたものだ。本書は8つのセクションで構成され、パイ、菓子パン、総菜パン、エンパナーダ、マヨルカ伝統のエンサイマーダなどの昔ながらのレシピを紹介する。インカ(マヨルカ)でパン店を営む著者のホアン・セギは、エンサイマーダの世界一、マヨルカのパン・モレノのベスト5、インカのベストショップ金賞などに輝いた。一家はもう100年以上菓子とパンの店を営んでいる。
ファティマとその家族は海をわたる旅に出ます。その旅のなかで、通り抜けるのが最も難しい国境は紙のように脆いものでできているのかもしれないということを、ファティマたちは知ります。わたしたちがこの本で伝えたいのは、今日、世界中にいる何千人という移民の生活とよく似たファティマの物語、そして彼らがしばしば、官僚主義に象徴される障害に直面することです。役人たちは人々を放逐し、そして国境を、紙でできた国境を設けます。移民の人々が理想の地を見つけられることがわたしたちの願いです。
最も著名な哲学者たちの、食べ物についての考察(とその飲食)の遍歴。19世紀半ば、オイゲン・フォン・ファーストがガストロゾフィーという本を執筆したが、それは良い食事、良い思考、良い生活を求める快楽主義者のエレジーだった。
星の色が違うのはなぜ? 他の惑星から見た太陽の大きさは? 宇宙や地球はびっくりするような秘密や不思議なことでいっぱいだ。本書はカラフルですばらしい幾何学模様を用いて、対比を容易にし、地理学に芸術を持ち込んだ。惑星、大陸、島々などが、円や多角形や線やらせんを描き、私たちを取り囲む世界を説明してくれる型破りな地図帳。
全文を巻末に配置した大型本。これにより読者は、別の時代の小さな世界に現れた男の子とともに各ページをじっくり見ていくことができる。あるいは小さな世界ではなく、その子が巨人なのかも? 『ガリバー旅行記』にオマージュを捧げた作品。4歳から。
ガリシアの農村で暮らす3世代家族のユーモアに満ちた愛情深い小説。離婚したばかりのジャーナリストのフリアはマドリードを離れ息子のセバスと故郷のガリシアに戻ることにした。転地で心を癒すため、また母親の面倒を見るために決心したことだった。10歳のセバスは祖母のルスを神のトールと信じて疑わない。なぜなら、彼女は片時も愛用の金槌を手放さないからだ。しかし、たとえお菓子のポルボロンを靴下に隠そうが、物が二重に見えるようになるまでワインを飲もうが、嘘ばかり言おうが、セバスは祖母をとても愛している。
「僕のことをグーゴルと呼んでいいよ」でも、グーゴルって誰? または何? グーゴルは他者がそうあってほしいと望むものではない。両親や13人の兄弟とは違った、自分自身でありたいと思っている。なのに、みんなは質問ばかり浴びせてくる。それでグーゴルは自分の道を歩み出した。自由気ままに幻想的な所、たとえば、虚栄心の強いテアトルム・ムンディ(世界劇場)とか、頑固な人々の国とか、言葉だけでできた森とかにたどり着く。未来と忘れ得ぬ友達でいっぱいの幻想世界。