どうしてこんなに急いで起こされたんだろう? まだ夜なのに。荷物もほとんど持たずに出発なんて。ピクニックに行くわけじゃない。みんなの顔には恐れと悲しみが浮かんでる。パパはわたしの手をぎゅっと、痛いくらいに握る。泣き出したい気持ちだけど、泣かない。どこに行くんだろう? どうして逃げるんだろう? 話題のフィクションである本作の主人公の疑問は尽きない。
幼い子どもにとって、福音書を理解するのは難しい場合がある。そこに出てくる用語や場面、登場人物は、大人の世界やイエス・キリスト特有の文脈になじむよう想定されているからだ。数年前からRezandovoy(レサンドボイ、「祈りながら私は行く」の意)のグループは毎週日曜日、主日の福音書を子ども向けにアレンジしたミサを行っている。本書にはマルコによる福音書の文章を集成。イラストのおかげで読者がその場面を楽しみ、大人も童心に返って真理を直観することができる。
冒険推理小説として読める、芸術の世界を描いた図版入り作品。本書はユニークな形で芸術とその歴史にアプローチしていく。数々の作品が時の流れとともに様々な場所を経て現在に至る、その旅(戦争、略奪、返還、有名な窃盗事件、遺産の奪い合い、コレクションの流行、売買やオークションがもたらした結果)をテーマとしている。
キューバ戦争からすでに多くの年月が過ぎた。貧困と不幸に打ちひしがれた兵士だったアルベルト・コルネル=イ=エスピガはもう二度とみじめな思いをすることはない。彼は生き残り、新たな男になったと感じた。その予感通り富を築いてカタルーニャの上流階層と交流し、裕福な家庭をもった。時は政治的に不安定でいつ火花が散ってもおかしくない状態にあった。1901年の選挙ではカンボとプラット=ダラリバ率いるリーガ・ラジウナリスタが勝利。王党派とレルー派は暴動を起こし、政府がさらに追い打ちをかけた。
サムエルは怖いものがほとんどない。犬だって高いところだって知らない人だって嵐だってヘビだって怖くない。だけどひとつだけ、ちょっと怖いものがある。それが何か見つけたくない? サムエルのように恐怖心に立ち向かい、たいがいはやっつける、すべての子どものための物語。恐怖と勇気というテーマはいつでも重要だ。人生や世界にどう立ち向かうかは、恐怖にどう立ち向かうかにかかっているからだ。
町の中央にある古く美しいマルモ墓地は、バーチャルな生者が集う場所だ。そのうちのひとりニルスは、自分がそういう存在なのがうれしくてたまらない。女の子をナンパするという、一番好きなことに打ち込めるからだ。リサイクルされた死者にはいろいろと利点があって、都合が悪いときは幽霊モードになれば、人に気づかれずにすむというのがそのひとつ。ところが、特別な女の子シリは彼らを見つけてしまった。ニルスはそれがおもしろくない。バーチャルな生者は、だれにも自分の存在を知られてはならないからだ。
ルカスのママとパパはスーパーヒーローだ。ルカスのためならなんだってできる。ルカスの髪をとかし、服を着せ、宿題だってやってくれる。だけど夜になるとすっかりくたびれて、ルカスと遊びたがらない。ある日ルカスは、これからは自分のことは自分でやるぞと決心する。難しいチャレンジだけど、やりとげて、ほんとうのスーパーヒーローになってみせる。幼い子どもたちが、日常の課題を大きな冒険にするようはげます楽しい絵本。
地中海の起源に関する神話物語。地中海が接する村々のつながり、海岸を抱く架空の都市と、そこにかつて存在していたであろう住民たち、そして今日そこに住む人たちの精神をめぐる軌跡についての寓話。
亡くなった父親を埋葬するためにダニエルは特別な車で生まれ故郷へ向かう。その車とは霊柩車。運転手はコメディアンさながら、一風変わったおしゃべりなエクアドル人だ。ダニ・モスカとは果たしてどういう人物なのか。彼自身が言うように単にロマンチックな歌を作るだけの男なのかもしれない。しかし貧しい地域で育った子供であることも間違いない。そして人生に往々にしてあるように、ひょんなことから深い絆で結ばれる友と出会う。音楽を生業として旅を重ね人生を謳歌した。
『ティラン・ロ・ブラン』は世界文学の最高傑作のひとつ。地中海のあらゆる街でカタルーニャ語が話され、また書かれていた時代に、バレンシア人ジュアノット・マルトレイによって創作された。作品の中で、読者は夢を叶えようとするひとりの騎士の戦いや恋愛模様を目の当たりにする。その夢とは、コンスタンチノープルを敵から解放するということだった。慣習、戦争、恋愛…あらゆることが語られるがゆえに総合小説といわれるが、とりわけ際立つのがその真実性だ。ティランは賢明さ、勇敢さを以って敵を倒していく。