誰もが一度は家族の一大行事を行う機会があるはずだ。機会よりも苦行と言えるのだが。本作の主人公ルシアも一風変わった家族の伝統を守るために、息子アルヒミロの洗礼式をのどかなエル・イエロ島で行うしかなかった。エル・イエロ島はカナリア諸島の中で最も小さな島だ。ルシアにとって狂乱の週末が幕を開ける。風変わりな自分の家族や夫の家族との対峙だけではない。息子の父親は夫ではないのではという疑いを持つルシア。本当の父親を探すべきか、それとも単にルシアの思い違いなのか。
ジローナのとある小さな村の住民がヨーロッパの宝くじ史上最高の当選金額を獲得した。こぞって幸せに酔いしれたのも束の間、村民は当選くじを換金させようと幸運な当選者を探し出すレースを始める。我先にと奔走するのは一度話し出したら止まらない神父、肉屋とのセックスを空想する定年退職の女、30年間も村長を務め続ける男、パン屋の女房に恋する郵便配達員などなど。この個性溢れる登場人物たちが読者の笑いと涙を誘いつつ非常事態と化した日常生活の模様を楽しませてくれるだろう。
わたしたちをとりまく世界はすばらしい。動物、音、形、織物、感覚、自然、そしてわたしたちの自然とのかかわり方。この本はすばらしいもののカタログであると同時に、生きていることの喜びと悲しみ、そして生命の神秘をたたえる精神的な旅。アントニオ・ラドリーリョは絵本の世界に小さな革命を起こした。この上ない純粋さと純真さがここには表現されている。本書はおそらく、作者の最高傑作になるだろう。
エル・ムド(口がきけない男)はアルゼンチン北部の奇妙な村の郊外に、雌犬のインディアと一緒に住んでいる。何年も前に街からやってきて、山の中にあるトラガデロ川畔の謎めいた家に住みついた。 川についての話をし、猿を狩って生き残る方法を教えてくれる店の主人インスアを除いては誰ともつきあわないようにしている。 彼はただ静かに暮らしたいだけだ。だから、こそこそと彼を待ち伏せる村の男の行動が気にいらない。
新しい妹か弟がやってくるのを知って、主人公の子ウサギは好奇心をかきたてられる。3段階の繰り返しを特徴とする、幼い読者向けのお話。子ウサギは、妹か弟はいつ生まれるのかとお母さんにたずね、次に森の住人たちにうれしいニュースを伝えては、生まれてきたらどうやって一緒に遊んだらよいかとたずねる。やさしさ、連帯感、喜び、感動、そして最後の驚きなど、さまざまな感情がいきかう物語が、ぎざぎざして図案的でくっきりした線と、白地にやわらかなトーンの水彩を用いた絵で描かれる。
今の時代を生きる若い吸血鬼のラ・ヌリアは、おじいちゃんのエストルック伯爵と一緒に悪い人間どものたくらみをつぶそうとしている。やつらは上流階級にまぎれこみ、世界をのっとろうと考えているのだ。吸血鬼、魔女、そして愛がテーマの冒険に満ちたこのお話は、1ページ目からあなたをとらえて離さない。きっと最後まで一気に読んじゃうよ!
「マラス」は、ヒスパニック系移民が生き延びる手段として、米国で生まれたストリート・ギャングである。マルティネス=ダビュイソンはマラスという現象を説明するのではなく、彼らとの共生を試みる。1年間、エル・サルバドル最大級のマラス「マラ・サルバトゥルチャ13」の一派である「ロス・グアナコス・クリミナレス」と共に過ごした。彼らはある丘の上を拠点としているが、その麓を牛耳るライバルグループの「バリオ18」によって劣勢に立たされている。1年を通して、著者は連日「グアナコス」を訪れる。
ビオレタの家族には長い間守りぬいてきたある秘密がある。かの有名な作家ジュール・ヴェルヌは、旅行鞄と質問をどっさりかかえて、ビゴ港で下船した。ヴェルヌは植物女についてすべてのことを知りたがり……植物女たちは生きのびるために、彼の発明の助けを必要としている。謎と冒険と太古の魔法が、海中の森への一刻を争う急展開の旅を待ちうける。
フィンランド北部の小さな村、イナリに住むテントウムシの家族の物語。ヘンリの家の窓に住んでいるテントウムシ一家は、雪と寒さでいつもかなしそう。みんなが幸せになれる方法をさがしていたヘンリは、ドアをノックした郵便屋さんを見て思いついた。そうだ、テントウムシ一家を南へ送ろう。こうしてヨーロッパの北のはじっこイナリから、南のはじっこスペインのグラサレマ山脈(アンダルシア、カディス県)までの旅が始まった。とうちゃくしてカディスの緑の山々を見たテントウムシたちは大喜び。
本書の出発点となったイラストレーションは、2017年3月にボローニャSM出版賞という、児童書のイラストレーション分野で世界的に最も権威ある賞を授与された。人間の手の加えられていない自然は不思議に満ちている。そこに入り込むことは、見えない扉をくぐることだ。まわりの世界が一変し、私たちのアイデンティティーが揺らいでくる。青空のもと、何かが解き放たれる。音のない突風、私たちの中に常にあった存在とのつながり。どんな山であれ、山に迷いこむことは、それまでの自分の一部をなくすことを意味する。