だれもが知る昔話を、性差別・不平等・暴力の要素なしに再話したシリーズ。おひめさまはいつもかよわくて従順でほっそりしていて、王子さまは決断し冒険し、魔女は悪くて賢明さに欠け、愛さえあればなんでもできる……。こういった神話や偏見を取り除き、オリジナルにくらべて意義のある物語になっている。著者はここで提案する男と女の新しいモデルが、子どもたちにとっての平等の見本になるよう願っている。この「眠れる森の美女」の主人公は娘は、くだらないものではなく、本当に大事な3つの贈り物を授かる。
1960年代のキューバ。革命が勝利した国で、一見何の共通点もないふたりの若者が友達になる。ペドロ・フアンは体育会系で筋骨たくましい。ファビアンはひ弱で臆病で近眼、ピアノが弾けてホモセクシュアル、1920年代にスペインから移住してきた両親を持つ。ふたりの意外な友情は続き、幾星霜を経て彼らの人生は再び交差する。ペドロ・フアンはあらゆるタイプの女性とセックスを楽しむ快楽主義者になっていた。
フェリペはかぜをひいていて、くしゃみが止まらないけど、薬をのみたくない。だけど、友だちが教えてくれるなおし方はどれもむちゃくちゃで、ちっともなおりそうにない。だからかわいそうに、フェリペはかぜをひいたまま! この絵本に出てくるフェリペは、かぜをひいてもおばあちゃんには耳をかさず、友だちのいうことばかり聞く。経験ゆたかな人の言葉には、教えられることがたくさんあるのにね……。
「美しいストーリー。描写から詩へ。普遍的なストーリー。イメージから理想へ、そしてエッセンスへ。魔術的なストーリー。自分たちがあるべき姿を、かつて私たちは思い描いていた。戒めのストーリー。道はいつも帰還を待つ。唯一のストーリー。ひとつのストーリーだけが登場人物を落ち着かせ透明にし、長年自分がかつていた場所に戻らせてくれる」「人生には進む方向があるが、そちらへと私たちを導くのも人生だ。こちらが導こうとするなら、人生は私たちを粉々にし、ふりだしに戻そうとする。そのような瞬間がこの本にはある。
この本には、いろいろなタイプの兄弟と、兄弟間のさまざまな関係が出てくる。楽しくゆかいな文章を、カラフルでやさしいイラストがひきたてる。
家庭や学校で、言葉のリズムで遊びながら学べる本。平等、違いの尊重など、人にとって大切なことを身につけるための道であり、想像の翼を広げ、自然を尊重するための贈り物であり、外国語を身につける意欲を引き出すために開かれた窓。
『沈黙のホテル』というこの暗示的なタイトルから、ハビエル・バスコネスは私たちを戦慄の極みに連れていく。真夜中にホテルの闇を切りさく子どもの泣き声よりも身に毛のよだつものがあるだろうか? しかし、この小説の一番の読みどころは、絶望する複数の人々の物語が織りこまれていることだろう。舞台は、子どもという最も弱く無防備な存在を被害者とする連続誘拐と殺人に震撼する都市。この街で登場人物たちは愛と自分自身を探し求める。
いきなり成果を収めるのは簡単ではない。必ずしもいつも完璧な文章が丸々書ける訳でもない。ゼロは丸だし、ミートボールやジャガイモだって丸だ。物事は見かけによらない……それとも、見かけどおりか。この本は作家のための手引書。小説は現実の写しなのか? それとも現実は小説を超えるのか? オーケストラの指揮者は音の製作者、それとも単なるオブザーバー? 読者は単に読むだけか、はたまた本と影響し合うのか? 作家とは天性のものなのか、それとも成すものなのか?永遠の謎… 小説の書き方を知るには最適な本。
不倫の恋人たちは、偽りの感情も本当の感情も、同じ確信をもってかわしあう。それが繰り広げられるのは、ほかに証人などいないふたりきりの場所だ。だが、もし偽りが真実で、本当は、夫に取って代わるのを恐れているのだとしたらどうなるだろう? この物語の語り手である無名の男は、この疑問を解き明かそうとして書いているのではない。「別の人間になりきり」、不貞を理解できたなら気がすむのだ。自分の中には、感情の絶頂と賞味期限があり、愛人の中には、既婚者であるのを嘆くだけの投げやりな感情があるのを認識している。
子どもと青少年に向けて環境保護のメッセージを伝えるファンタジー小説。著者が言うには、環境悪化は人々の生活様式の変化だけでなく、自然への無関心の結果引き起こされたものである。ココは自分は「だらしなくて忘れっぽくて、かなりぼんやりしている」と考えている未来世界の女の子。大規模な環境破壊により荒れ果てた、不毛の地に住んでいる。この悲劇は人類の愚かさゆえに起きた。ココにはサルに似たしっぽがあって、おかげで木にうまくよじ登れる。