この作品は、他のモンスターとは違うモンスターのお話。プロディヒオーソ・レペルスという名のモンスターは、他のモンスターが食べるものに耐えられず、それにひどい口臭。 そのため、他のモンスターたちは彼を避け、彼は避けられないようにするために、食べるのをやめることにする。ある日、空腹に耐えられなくなった彼は、森で落とし物の本を見つける。それを丸のみすると、なんと、その食べ物が自分に合っていることに気づく。そこで、村の家々から本を盗んででも、もっと本を探すことにした。
ミニモニは愛犬のマックスとお散歩するのが大好き。マックスとならすごく分かり合える。でも、大人たちの話は時として理解に苦しむ。例えば、愛の話…、山をも動かす、って言うけど、同時に、とても小さいものの中にあるらしいし、愛があれば私たちは飛べるらしい。愛の概念や愛するということについて私たちに、新しい視点から楽しく考えさせるため、ミニモニとロシオ・ボニーリャが帰ってきた。だってミニモニは、大人の説明に全然納得しないで、こんな質問をするんだ。
バウマンが予期した「液状化する社会」は、公共の言説や、あらゆるフォーマットの画面上に留まらず、SNSの中にも無限に表れている。これらのコンテンツは必ず〝ストーリー〟を必要としている。そこから発せられるメッセージはそれ自体が目的となり、装飾や誇張があったり、明らかに推測に基づいているものであっても、ほぼ問題視されない。重要なのは、それが相応な構造を有し、狙っている戦略に合致しているという点である。
海とそこに住む魚や人魚、船乗り、海藻、軟体動物、子供や大人たち、その魅力に触れる詩集。凪の時も嵐の時も、夜も昼も、風の歌にも波の砕ける音にも、渡り鳥の鳴く声にも、恐れを抱かず、その美しさ、多様性、広大さに驚く。
アーティストのリュイソットの手ほどきで君が学ぶのは、現実をそのまま描くというより、紙の上で創造的な本能を自由に発揮するのに必要な基礎知識を身につけるということ。それは、ヘアスタイル、アクセサリー、口ひげ、顔だち、靴や柄、構図、パターン、色…。この楽しい絵画の本には、絵を描くことへの恐れを取り除き、創造的な肖像画の技法を体験するための、数々の秘訣が詰まっている。まず友達に来てもらって……さあ、彼らの肖像画を描いてみよう!
さあ、これから、ロボットの歴史を巡る素晴らしい旅に出よう。語り手はベルタ。ロボットは、みなさんの想像以上に長い間、私たちの生活の一部となってきた。その起源は、仕事、時間の計測、宇宙観測、音楽の創造などのために、人工生命を作りだそうという人間の永遠の衝動から生まれたものである。そしてその進化は絶え間なく、ますます速くなっている。この特別な旅を通じて、ロボットランドの最も現代的な住人から原始的な先祖、さらにフィクションの世界に属するロボットたちにいたるまで、あらゆるロボットに出会うだろう。
どう猛なオオカミが隠れている。赤ずきんちゃんを助けてあげないか? 傷つき、沈黙している多くの子どもたちの心に向けて、声を上げるよう励ます物語。今こそ自分たちの話を語り、耳を傾けてくれる人を見つける時だ。この絵本は、暴力、虐待、児童性的虐待(CSA)を象徴的な形で取り上げており、著者たちが参加する様々な支援活動で対応した子どもたちの実際の言葉から作られている。
「毎日の我らの酒よ、昼も夜も我らを見放すことなかれ」毎朝サンドゥンガはこう唱え、その日の最初の酒を1杯飲むと、気の向くまま過ごすために家を出る。欲望も目的も持たず、流れ任せの人生だが、それ自体がこの面白い小説の筋になっている。あるひとりのメキシコ先住民があるがままに世に出るが、様々な出来事に巻き込まれる。素晴らしくもない日常のせいではないが、大抵の場合不幸な出来事だ。
40歳の誕生日を目前に控えたディナは、ある辛い病の早期であると診断され、ふたつの別れのショックを受け、思いがけない3つのプレゼントを貰った。そんな疑問だらけの状況に置かれたディナだったが、自分の中に沸き起こる怒りや迷い、喪の悲しみを払拭するために真実の究明に乗り出す。友情の真価や忘却に対する認容と言葉が持つ大きな力について書かれた生命力あふれる物語。病はもちろんのこと殺人事件、売春、女性の人身売買から似非宗教の闇組織の話も出てくる面白い小説。