スペインの初期の女性パイロットたちの生きざまに着想を得て、マル・カンテロがすぐれた文体と人の気持ちに寄り添う繊細さで女性たちの勇気を描いた感動的な作品。今よりも女性の社会進出が困難だった20世紀を舞台とする、冒険、愛、未来への希望に包まれた物語だ。3人の女性、3つの物語、3つのとき、そして彼女たちに共通するたったひとつの夢、空を飛ぶこと。
この美しいタイトルが語るように、愛はすべて、即興の真実で始まる。そこでは将来への期待と、過去を引き受ける必要性(それはいつも簡単とは限らない)が交錯する。クララは、一時的に言葉を失っているブルーノの病気を利用して、大人の愛の最初の数年についての研究に没頭する。目新しさだけではなく、避けがたい嫉妬、不安、好きになり始めた相手を手探りで発見していくことなどから、どのような関係が芽生えていくのか。
家族関係の危機と主人公のアイデンティティの問題をめぐる小説。主人公の17歳の少女は、自分の中で作り上げた理想の世界が崩れ行く様を目の当たりにし、バルセロナの裕福な家庭の只中で、シェークスピアのハムレットからエレクトラに至る文学的モティーフを展開していく。一歩引いたところから、彼女は自分の家庭生活の凡庸さや欺瞞を暴き、実の父エウセビオ・バイセレスのような登場人物を動かす隠れた打算を白日の下に晒していく。この父親が主人公の復讐の標的となる。
オートバイのスピード競技世界選手権で世界チャンピオンをかけて出場しているガスパルは、激しい最終レースの最中にプロドライバーとして歩んできた厳しい道のりと、現在の地位に辿り着くまでに想定したすべてのことを振り返る。その一方で今のライフスタイルが及ぼす実質的な影響や、競技の世界で気品を保つことの可能性について考える。この作品はユートピア小説という複雑で数少ない小説のジャンルに分類される。
ひとりの女が夫を精神病院に入院させた後、列車でマドリードへ帰るときのこと、列車の中で見知らぬ男に、彼の人生の話を聞きたくないかといきなりたずねられる。男は先刻の精神病院で働いている精神科医。患者の語ったことや書いたものを通して人格障害を研究しているという。その文書が入ったファイルを、男はたずさえていた。ところが、男は途中駅でしばしホームに降りたときに列車に乗り遅れ、ファイルは女の手に残される。こうなると、読者は女とともにファイルの中身を読みたくてたまらない。
ギリシャのERTテレビ局が閉鎖した。そこで働いていた男性ジャーナリストは経済危機を理由にヨーロッパ第2の公的テレビ局が閉鎖したことを巡る疑念と悲惨さを、もろに体験する。様々な出来事が狂ったようなスピードで起こる状況の中、アンドレアスとノラは誤解を受け、地中海の両岸に存在する極右の標的になる。現実とフィクションを大胆に織りこんだこの推理小説は、恐怖、狭量、希望が混在する経済危機下の南ヨーロッパ社会に読者を引きずりこむ。
情熱的で陽気で魅力的な、一風変わった伝記。フェデリコ・フェリーニの映画とシュールレアリスムの詩の間にあるようなアランの人生は、人の有するレジリエンスを私たちに明示し、夢を追い求めるよう誘いかける。《苦しくとも勇気ある豊かな人生が描かれたこの伝記を通して、アランは道化師の鼻、つまりこの小さな仮面が、私たちを自分らしくさせ、自分たちの小ささや厳しい現実を前にした時の困惑を示してみせ、その傷を癒すことを発見した……。今やこの発見によって彼は壊れた魂を見事なまでに治癒することができるのだ。
ア・コルーニャ県のアス・マリーニャスに暮らすある家族の物語。印象、記憶、写真、母親の日記、信頼できる証言などを元に、作者のシェスス・フラガはまるでキャンバスに絵を描くみたいにこの20世紀後半の物語を展開させていく。登場人物たちが引き寄せられる街ロンドンの入り組んだ地下鉄路線のように、多くの読み方ができるのも本作の特徴だ。また感嘆すべき孫とその強い祖母の物語でもある。
異なる舞台設定ながら似通った雰囲気が漂う4つの物語がクララ・パストールの小さな世界を作り出す。いくつもの道に枝分かれする記憶の回想と、最も近しい人々との間にできた大小の隔たりを縮めるために登場人物たちが手探りで行動するさまを、巧みに、そして繊細に描いている。
本作で、ホセ・モレリャは、祖父ニコメデスの人生を振り返る。ニコメデスは、精神病を患ったが、当時その治療や扱いはフランコ主義の時代特有の非人道的なものだった。ニコメデスについて話すことは常にタブーで、親族の集まりでもそれに触れる者はなかった。ホセ・モレリャは、わずかな手がかりを頼りに家族の数人から話を聞きだすことに成功し、祖父の人生に関するとても感動的で勇気ある物語を紡いだ。本書はまた、70年代スペインの生々しい証言にもなっている。