『空っぽの地方』は、パキスタンの信心深い戦士のキャンプからCIAやFBIのセキュリティーゲートまで読者を運ぶ。ビン・ラディンやジョージ・ブッシュを含む歴史上の人物や悲劇の裏を知る公務員など多くの人物をちりばめて展開する、魅力に満ちた謎解きである。作者はハイジャックを企てるアルカイダのメンバーが悲劇的儀式に向けて出発するターミナルに読者を誘い、誘導ミサイルになった飛行機で旅をさせ、火災が起きたワールドトレードセンターが地上の地獄になった102分間を体験させる。
臨終に際してのサリカ法典の撤廃とイサベル2世の王位継承は、スペインにおいて数知れぬ骨肉の争いや陰謀、謎といった動乱の19世紀を引き起こした。1882年、イサベル2世は権力から遠く離れたパリのカスティーリャ宮殿で亡命生活を送っていた。そこに女王にとってはまずい書類を携えて、魅力的な紳士フリオ・ウセダがサガスタの使者として訪れる。そしてもうひとり。マドリードの孤児院で教育を受けたテレサという名の若い使用人は、宮殿の暮らしとはかけ離れた視点で世の中を見ている。
1940〜50年代のスペイン、農家が点在する、マエストラスゴのある村で展開する小説。一帯の森林にはマキ(反フランコゲリラ)が潜む。その家の娘のテレサは物心両面からマキのゲリラに加担しているが、夫を治安警察に殺された母親は、そんな娘の行動に気をもんでいる。末息子が語り手となり、秘密と暴力に満ちた村の状況を明らかにしていく。テレサと親しいマキのゲリラは、治安警察のスパイだった。それがきっかけで、ある誤解から銃撃戦となる。一家はゲリラと治安警察との戦いによって翻弄され分裂させられる。
この物語は、他者に対する自分自身の価値を教えてくれる。わたしたちはときとして、人の持っているものばかりが気にかかるのだが、大切なものや真実のものは、かけがえなく貴重で唯一にして無限の、ひとりひとりのなかにあるのだ。
フラメンコを題材にした小説。この複雑な芸術に関する知識を追求するなかで青年ギタリストの身に起きる予期せぬ出来事を綴る。エバ・ジェルバブエナ、ロシオ・マルケス、ビセンテ・アミーゴの序文から始まるフラメンコの魅力の探求には、エストレージャ・モレンテ、カルメン・リナーレス、ハビエル・バロン、アルカンヘルといった大勢のアーティストが登場し、この古典音楽への理解を深める手助けとなってくれる。
ポルトガルの伝説を題材にした絵本。海と山、ふたりの巨人がひとりの人魚に恋をして、対決することになった。伝説の再話と挿絵は2014年ボローニャSM財団賞を受賞したポルトガルのイラストレーター、カタリーナ・ソブラル。
エル・ビキンゴは年老いた元プロレスラー。自分がまだ、どんな職務もやりとげられるタフな男だということを勤め先の警察の上司たちに見せたくて、同僚とともに何人かの容疑者の若者を留置所に連行する任務をかってでる。その翌日、マリア・エレナというひとりの家政婦が、かつての主人の孫の元で働くことになり、新婚家庭をたずねるが、家には誰もいない。事情をたずねてまわったり、日増しに不安を募らせる家族からの電話を受けたりするうちに、マリア・エレナはこの失踪の裏に、何か非常に重大な事実が隠れていると直感する。
孤独は私たちの感情の内部へのデリケートな旅であり、願望や感謝や正義や夢が合わさった空想に満ちあふれた冒険である。ページをかけめぐる数名の登場人物たちが、みな読者の心に残る。感じのよい泥棒ブルノ・ラバスティデ、書籍の処方師、若き夢狩人、そしてははちみつ色の目をした若い日本人女性などが、毎日午後になるとヴェニスのアパートで運命に立ち向かっていく。
ヘンリー・マレーとクリスティアナ・モルガンは1925年ニューヨークで出会った。当時ヘンリーはハーバード大学の意欲的な医者で、ボストンの裕福な資産家の娘と結婚していた。一方、クリスティアナ・モルガンは美術を学ぶ激しい気性の学生で、退役軍人の妻だった。ふたりはどうしようもなく惹かれあい、スイスに渡ってカール・グスタフ・ユングの分析を受ける。ユングはクリスティアナを深いトランス状態に沈める。
登場人物の依存関係が、1ページ目からあなたをひきつけてやまない。21世紀の最もよくある病のひとつ、不安についての物語。エクトル・アマトは俳優で、ある若い女性の殺害現場に偶然居合わせてしまって以来、不安にさいなまれている。不安が障壁となって、彼は起きたことを思い出せなくなる。苦悩をしずめて記憶を取り戻そうと、エクトルは心理学者のエウヘニア・リョルトの診察室を訪れる。彼女は事件のあとに彼の治療を受け持ったセラピストだった。