表層の下に隠れたものを、キャサリン・マンスフィールドは誰より巧みに描いてきた。彼女の時代の女性たちの行動原理についての深い理解により、女性の登場人物たちのみごとな立体性を発見した。
エンリケ・アモリムは恋人フェデリコ・ガルシア=ロルカの死体を盗んだのか? チャプリンとピカソの密会にもぐり込むため、ジャン・ポール・サルトルのふりをしたか? パブロ・ネルーダがノーベル賞をとるための努力を妨害したのか?
1935年、マドリード。共和派の知識人の粋が集まる学生寮に、アメリカ人の若い娘が到着する。実在の人物と架空の人物がマドリードの街角で交錯する。ポプラの丘の夕べという学生寮の有名なパーティーにひきよせられて、芸術家、ミュージシャン、伊達男、詩人、夢想家、学生たちがあらゆる場所からやって来る。ところが、ひとりの学生の死体が近くの灌漑用水用の運河に浮かんでいるのが見つかり、学生寮の心地よくすみきった雰囲気は突然吹き飛ぶ。
1924年。レビリョ教授の世界動物実験室が脚光を浴びた数年後、最新の研究成果を披露するため、教授が戻ってきた。レビリョ研究所は動物の進化に貢献し、生き物を直立させるための実験に取り組んでいる。そのため「レビリョラマ」と題するショーを、現在の研究所の本部である進化パレスで行うことにした。
El año de Los Saicos(ロス・サイコスの年)は、1964年のリマ社会の内部事情を辛辣なユーモアで語る。この年はリマ出身のロック・グループ、ロス・サイコスが登場した年で、当時、リマの社会は偽善的常識の尊重と個人の品格低下の間で身動きできなくなっていた。嘘が怪しげな生き残り戦略となり、登場人物のひとりが言うように「誰もが嘘をつく」社会だった。 この小説は「良家」のいとこふたりによる女中への誘惑をめぐる出来事を描く。
不運な世代の4人のアーティストの物語。夢に破れ、理想を失くした4人はガレージに閉じ込められていた。そこへ奇妙な生き物が現れぞっとする取引を持ち掛ける。これはスペインに恋焦がれるフォルケ・インゴという名のフィンランド人作家の人生を綴った小説で、彼は冒頭の4人に起きた出来事を書いた小説の著者。これはフォルケ・インゴの文章の注釈からフッターにまで注やコメントを付ける様々な人に関する小説。
午後、しばらく釣りをしたあと「祖父はよく僕を自宅に連れていったものだった」。そこでこの物語の若き語り手は、釣り針の「後戻りのできない残酷さ」で傷ついた魚になることの意味を、海に向かっていた時以上によく理解する。しかし魚は「大きくても小さくても、強い歯があってもなくても」釣られないように最後の最後まで闘うということも思い知る。釣り糸のように透明で堅固な文体の本作品は、その決定的闘いのさ中に私たちを引きずりこむ。読者はまた、音の出るイラストという新たな仕掛けに出会う。
他でもないピタゴラスの知性を凌ぐパワフルな知性を持つ人がいるだろうか? その時代最も大きな権力を持っていた人物のひとり、老哲学者ピタゴラスは、偉大な学者たちの中から後継者を選ぼうとしていた。その時、彼の教団の中で一連の殺人事件が始まる。犯罪の背後に、ピタゴラス自身を凌ぐほど強大で暗い知性が垣間見えてくる。謎の女アリアドナとエジプト人探偵アケノンが、殺人者が誰かをつきとめようとする。それは同時に彼ら自身の気持ちを晴らすためでもあった。挑戦的な一冊。
ペドロ・ミゲル・ラメが史実に基づき、巡礼者ロヨラの人生を魅力的な語り口で再現する。黄金世紀のわくわくする時代に読者を誘い、イエズス会に大きな足跡を残したイグナシオ・ロヨラの青春時代の葛藤、心の動き、文化状況や精神性を理解させてくれる。
少年マリオ・ルカスは星の世界に夢中だった。はるか彼方のパルサーの星々に、「リトル・グリーン・マン」が住んでいるに違いないと信じている。平和を好み、高いところから何もかも見ていた彼らが、人間たちに秩序をもたらそうと地球に降りてくることになった。出迎えることになったのは、マリオときょうだいのファビオラ、本屋のおじいさんのドン・アベリノなど。冒険や不思議、宇宙にまつわる伝説たっぷりの、「心で深く考えさせる」ホセ・ゴンサレス=トリセスの新刊本。