「執筆と出版は思考と想像をリサイクルする行為だ。すなわちその目的は異なり、その結果もまたそれぞれだ」。セサル・マルティン・オルティス(1958-2010)は、そう確信していたが故に、1995年から2003年の8年間をこの小説の執筆に費やすことに何らの不都合も感じず、その後は善良な読者たちにマヌエル・メディナの存在を知らしめることに無頓着であったのだろう。
大きくなったら何になるか、まだ考えたことがないのなら、想像してごらん! スープやシチューをせっせと作っているか、アルファベットを教えているか、大人や子どもの病気をなおしているのか。楽しくて創意に富んだ、身近な話題の10の子ども向けお話からなるOroneta(オロネタ)コレクションの1冊。人体、季節、動植物、発明、職業、街など多くのテーマを、カルメン・ヒルがウィットに富んだ音楽的な文章で子どもたちにわかりやすく伝える。定評ある画家たちのオールカラーのイラストが感性豊かにページを彩る。
みんながミニモニと呼ぶモニカは、いろんなものに色をぬるのが大好き。青い空、ペンギン、ゴリラ……、だけど、まだキスには、色をぬったことがない。キスってなに色? スパゲティのトマトソースみたいな赤? きっとちがう、だって赤はおこった色だだもん……。それとも、大好きなワニのみどり? うーん、絶対ちがう! だって緑は野菜の色だもん。野菜なんて食べたくない。それなら? 最後にママが解決してくれる。それもいいね。
スペイン⼈のダンサー、パウラはソウルに着いたばかり。彼⼥の夢は破れた。町は期待していたのと違い、誰よりも会いたかった⼈は彼⼥を裏切った。クリスはイギリス⼈の⼥の⼦で、ただひとつの使命を持っている。イギリスですれ違ったKポップのスターにペンダントを返すのだ。全てが悪い⽅向に向かい始めたのは、彼のせいだ…。でも、早くしなくちゃいけない。友達のダニと職場の新しい同僚ミンウに隠している問題が、今にも起ころうとしているのだ。ジェイというのがそのスターで、R*E*X というグループのメンバーだ。
家族で休暇を過ごすため、海沿いの小さな村に出かけた少年ダニエル・ビリェナ。そこで神出鬼没の奇妙な若者と接触を持つ。彼はダニエルの夢のなかに入り込み、夢を悪夢そのものに変えてしまう力を持っていた。ある日ダニエルは差出人不明の手紙を受け取る。それは13語から成る警告の手紙だった。「死者に手を出すな。さもなければ、おまえもすぐにその仲間入りだ」そのときからダニエルは、死体や謎の人物や不可解なできごとがうずまく物語のなかに放り込まれる。そこでは、見かけ通りのものは何もない。
つらい闘病生活と姉の交通事故死を経て、ロドリゴは海辺の古い別荘に越してきた。ベテランジャーナリストである彼はその別荘で、若いころの思い出と思想への旅を始める。姉のシルビアの死に別の原因があるのではと直感したのもその別荘でのことだった。そこで警察も顔負けの調査を開始したロドリゴは、不法移民、麻薬取引、犯罪の生々しい現場に身を置くこととなる。ペドロ・ミゲル・ラメットが人の心の痛みの克服について描いた驚くべき小説。
ダミアンは失業して以来混乱している。ある日骨董市でちょっとした盗みを働き、たんすに隠れるが、彼が入ったままたんすは売られてしまう。ルシアとフェデという夫婦の部屋に運ばれたたんすの中で、ダミアンは家具の一部であるかのようにそこに居着く。ありえない設定を、いかにももっともらしくラストまでもっていく巧みさが、小説に格別の緊張感を与える。ダミアンは、隠れ場所からルシア夫婦を観察するうちに、ルシアの心や恐れや夢に寄り添うようになる。
第二次世界大戦に見舞われたイタリアを舞台にした小説。 少年ロマン・アルベルディは、バスク一周のレースで、初めて偉大なサイクリストのジーノ・バルタリに会う。内戦で亡命したときにも、ツール・ド・フランスで再びジーノ・バルタリに会う。その後ロマンはジーノに会おうと、トスカーナのポンテ・ア・エマに赴く。サイクリングだけではなく、様々なテーマや人物がこの本で交差する。
強力なハリケーンで、マイナウニの街は壊滅状態に陥った。ストリートで暮らす幼なじみの3人の少年、サン、イボ、タジルは、災害後に打ち捨てられた家々に盗みに入ろうと決める。リーダーのサンは成功まちがいなしだと言い、従順なタジルは賛成した。だがイボは、もっと別の生き方があるんじゃないかと考え始め、アダミアとの出会いが、根なし草の生活を変えるターニングポイントとなった……。暴力が支配する阻害と絶望のなかで育まれる友情と愛の物語。
マリアの懐妊を知った時、ヨゼフの心によぎったのは何だったのだろうか? イエスの父親になるようにとの神の呼びかけを、彼はどう理解したのだろうか? 主のその呼びかけをどう経験したのだろうか? マリアとイエスと彼の関係はどうだったのだろうか? これらのすべての疑問には答えが無い。福音書にはヨゼフに関することはほとんど書かれていない。ただひとり、福音史家マタイだけがイエスの父親代わりとなったこの公正な男について素描している。