不公平、魔法、戦争と愛……遥か昔、とある架空の王国では、邪悪な王ロムバル・ナトケが国中を恐怖に陥れていた。王の野望は果てしなく、すべてが王の支配下にあった。魔法は禁じられ、人々は恐れおののいて生きていた。そこで、 ニクライ・エスタネブラヘという若き靴職人が先頭に立って反乱を起こす。
ダニ・サンタナに何があったのか? ジャーナリストのダニは殺されかけ、今は体の上から下までギプスに覆われている。病院という独自の法則を持つ世界で、彼は車椅子生活を送ることになったラグビーのユースチームの選手グラトゥと親しくなる。落ち着きがなく、おまけにハッカーでもあるグラトゥは、保健システムの破たんの原因調査にサンタナを巻き込む。その頃、世界有数の億万長者、メキシコの実業家ロベルト・M・ファウラがバルセロナに到着する。
2016年UPC(カタルーニャ工科大学)SF賞受賞作品。ジグラットへようこそ。この不思議な惑星の移民たちは劣悪きわまる環境の中で数世紀にわたり生き延びてきた。その間加速度的な進化を遂げた結果、異質なものへと変化していた。やがて灼熱が惑星を襲う。王室警備隊長の指揮の元、住民の大移動が始まった。脅威に満ちた旅の先に待っているのは天国か、はたまた地獄か。
1960年代のキューバ。革命が勝利した国で、一見何の共通点もないふたりの若者が友達になる。ペドロ・フアンは体育会系で筋骨たくましい。ファビアンはひ弱で臆病で近眼、ピアノが弾けてホモセクシュアル、1920年代にスペインから移住してきた両親を持つ。ふたりの意外な友情は続き、幾星霜を経て彼らの人生は再び交差する。ペドロ・フアンはあらゆるタイプの女性とセックスを楽しむ快楽主義者になっていた。
舞台は、鉱山が閉鎖し、発電所も解体予定で先行きが見えないレオンのとある村。薬剤師の母を持つ息子と飼料屋の娘の物語。希望もなく「レンガ」を摂取する人々の物語。愛、ガソリンスタンドの駐車場に残された改造車、礼拝堂のがれきに積もったほこり、ニワトリとその睾丸を使った実験の物語でもある。そして何より、物語を語って相手を誘惑し、操り、口車に乗せようとする者の物語。
カルラス・スルダビラの、最も有名な小説。主人公(独立心旺盛で、自分をしっかり持った娘)の性格や、主に内的独白で表現された現代性により、その時代の新しいカタルーニャ文学を代表する作品となった。1929年刊行時の作品の魅力は、今日の読者にも保たれ、カルラス・スルダビラの最も重要な散文作品とみなされている。
ダミアンは35年前から映画館の映写室で働いている。自らの手で映した映画を通して世の中を見ることに慣れ、その登場人物のように考えたり話したりする。ところがある日、映画館が閉鎖されることになり、彼の知る世界はがらりと変わる。彼も妻も失職し、しだいに自分たちが他人の目には見えない存在になっていくことに気づく。社会的にというだけでなく、物理的に消えていくのだ。しかし、混乱や新たな状況への戸惑いは、自分たちと同じ状況にある人びとと知り合うことでやわらいでいき、その人びとの中に助けを見いだしていく。
セサルとマラは経営学部の学生カップルで、卒業を間近に控えている。ふたりは街で暴漢に襲われるが、見知らぬ男、ミケルが現れて事なきを得る。ミケルは、芸術学部の学生で、どのようにして襲ってきた男たちに警察が来たと思いこませ、彼らを追い払ったのかの顛末を説明する。数日後、セサルは事件を振り返り、芸術に関するミケルの持論は、マーケティングに応用したらとても役に立つのではないかと考える。ふさわしい舞台と雰囲気を創れば、人々の決断を左右できる。そしてそれこそが、ものを売る者がやるべきことだ。
ある程度名の通った女優であるバレリア・ファルコンは、毎週木曜日往年の舞台女優アナ・ウルティアを訪ねている。ウルティアはディオゲネス症候群を患い、どん底の状態だ。彼女の斜陽は若い新進女優ナタリア・デミゲルの登場と重なり、ナタリアに、別名アディソン・ドウィットこと、シニカルなロレンソ・ルカスはぞっこんになる。ナタリアの幸せを壊す権利は誰にもない。彼女はとても細身だがスクリーンではぽっちゃりして見える。
ノラは40歳になる既婚女性で、ある秘密を隠している。彼女は飛行機の機上でナチョという若い生物学者と知り合い、初めて不倫をする。この出会いから依存と情熱のゲームが始まり、ノラはそこから次の展覧会のための絵を描きあげていく。従来型の結婚に感情を捕らわれている女性の愛、官能、そして性欲への目覚めの旅を描いた小説。ノラは他人が欲することでなく自分が欲することをすることを学ぶ。「あなたが求めることは何でもする」から「私が求めることは何でもする」に至る道のりである。