■概要
サビナは、バスク地方の、大都市からそう離れていない孤立した集落に住んでいる。早くに夫を亡くし、大黒柱として農家と家族を頑なに支え、過酷な状況も乗り越えてきた老女だ。意志の強さ、農村暮らしへの愛着、社会性の乏しさなどから、粗野な〈手なずけられない女〉と呼ばれるようになる。物語の冒頭で、サビナは健康問題に直面し、自分の弱さを思い知らされる。その強い性格ゆえに周囲の助けを受け入れられず、自分自身と農家の中に引きこもってしまう。サビナはもはや自活できないことを受け入れるか、それとも何としても自分の尊厳を守るか。重大かつ悲劇的な決断を迫られることになる――。
■主な登場人物
サビナ バスク地方の田舎で農家を営む年老いた寡婦。義弟と暮らしている。
ヘンリー サビナの義弟。片足を切断し、介護が必要。
エステル サビナの長女。
カルメレ サビナの次女。夫とは別居。娘はリベ。
ホセバ サビナの長男。末っ子。妻はマイテ。2人の子どもがいる。
フィデル サビナの亡夫。ヘンリーの兄。
ルルデス サビナの隣家に住む女性。夫のマリオと暮らす。
■あらすじ
P21~30 I
サビナは脚の静脈瘤の手術を終え退院間近。次女のカルメレが付き添っている。サビナは隣人ルルデスに義弟ヘンリーの介護を頼むが、カルメレを通して監視している。自分以外は信用できない。息子のホセバ一家が見舞いにやってくるが、相手をするのが面倒なサビナは寝たふりをする。ホセバはヘンリーを、そしてゆくゆくはサビナも老人ホームに入居させることをカルメレに提案するが、カルメレは乗り気ではない。経済的な援助しか申し出ないホセバにいらつくカルメレは、この辺りではアルツェレカと呼ばれているサビナの家で、サビナの世話をすることにする。
P31~43 II
退院の日。主治医が予後の注意点を説明する間も、サビナはヘンリーや羊たちの事が気になって仕方がない。脚が思うように動かないのに、紙おむつも松葉杖も使わず、弱みを見せまいとする。その一方、家に着きジャーマンシェパードのタイソンを見るや、再会の喜びをあらわにする。真っ先に長女のエステルに電話するが出ない。ホセバの助言で松林をひとつ売りアパートを買ってやったが、勝手に事を運ぶサビナに怒っているようだ。次に二階へ上がりヘンリーの様子を見る。術後の体力の衰えを指摘されるが、なんともない振りをする。
サビナは尿意をもよおすが、カルメレに介助を頼めない。かろうじてトイレへたどり着くが、失禁してしまう。こっそり後始末をし、汚れた体を浴槽で洗おうとするが、体勢を崩し身動きができなくなる。仕方なくカルメレを呼ぶが、ばつの悪さから礼も言わずに追い払う。
P45~57 III
退院翌日。医者から着圧ストッキングを履くように言われたが、サビナは言うことを聞かない。ヘンリーはいつものように、大した用事が無くても大声でサビナを呼びつける。サビナはヘンリーの排泄の処理をする間、心の中で毒づくが、手際よく丁寧に世話をする。ヘンリーは3年前、糖尿病のため左脚の膝から下を切断していた。
亡くなった夫のフィデルは、ひげ面の共産主義者だったので『フィデル・カストロ』と呼ばれていた。1950年代終わりに移民先のアイダホから戻り、サビナと知り合い結婚に至った。それを機に、アメリカで得た資金を元手に生家アルツェレカを買い戻したのだった。
フィデルの死後、ひとりで40頭もの羊の世話は無理だと、子ども達に大半を売られてしまった。その上、エステルが女性と付き合っていると分かり、サビナはエステルを激しく問い詰めた。それから2年音沙汰が無かったが、カルメレの仲裁で一応和解した。
P59~70 IV
翌日昼食後、カルメレはヘンリーを施設に入居させる話を持ち出すが、サビナは自分が世話をすると言いゆずらない。声を荒げるサビナに、たまらずカルメレはホセバに電話をかけるが、弟はひとごとだ。怒ったカルメレはサビナを残し、帰ってしまう。サビナが手術の傷口を覆っていた包帯を外すと、化膿している。こんな状態から果たしてよくなるのだろうかと不安がよぎる。
P71~81 V
その夜、サビナはフィデルに捨てられる夢を見て飛び起きた。フィデルが闘病の末亡くなったとき、サビナは50歳にもなっていなかった。女性が農家を継ぐなど村人たちは認めなかったが、フィデルはアルツェレカと弟をサビナに託した。ルルデスは、土地を売りアパートに移れば安泰だと無神経なことを言ったが、その言葉がサビナを奮い立たせた。
朝になり、サビナは川で丸太を見つける。一瞬、人かと思う。というのも以前、水の中にいる死んだ赤ん坊を、鳥がむさぼっている夢を見たからだ。それは昔、サビナが流産した辛い過去を思い出させた。手術の傷口も構わず、裸足で川に入り、丸太を引き揚げようとするが、できない。夕方ルルデスがお菓子を作ったという口実でやってくる。サビナはルルデスの自慢話や詮索をうまくあしらい、追い返す。一方でタイソンが羊に噛みつき、脚にけがをさせてしまう。サビナはヘンリーに加えて羊の介抱もしなくてはならない。
P83~95 VI
日曜日、ルルデスの車でミサへ行く。以前はスクーターに乗っていたが、転倒したため子ども達に免許を取り上げられた。人付き合いに意味を見いだせないサビナだが、ミサが終わるとタベルナに集うのが慣例だ。午後にはカルメレ親子、ホセバ一家が昼食を食べにやってくる。今回もエステルは来ない。食後、慌ただしく帰ろうとするホセバに、サビナは川の丸太を引き上げるように頼むが、時間がないとはぐらかされる。
P97~108 VII
翌朝、医療士のサンティがやって来るというのに、ヘンリーは替えたばかりのシーツの上に故意にスープをぶちまけて面白がっている。そんなヘンリーだが、サンティにサビナの右脚を診るように耳打ちする。しかし、サビナは取り付く島もなく、サンティを追い出す。
その後テレビを観ていたサビナは、突然チェーンソーをつかみ、川へ向かう。丸太を真っ二つに切ると、腰に縄を巻き付け、丸太の半分を家まで引きずる。もう半分を運ぶ途中、脚の痛みに襲われ立ち止まる。太ももが燃えるように熱い。それでもなんとか家まで運ぶ。ルルデスからの電話で一部始終を知ったカルメレは、サビナの家に向かう。丸太の件には触れず、ヘンリーを介護施設に入れることを再び提案する。毎日の生活が楽になる、ふたりのためだ、と言うが、ルルデスとカルメレが通じていたことを知ったサビナは、怒ってカルメレを追い出す。カルメレはサビナを説得できるとは思えず、サビナが留守の間にヘンリーを施設に入れる手はずを整えるようにホセバに頼む。
P109~118 VIII
サビナが病院へ出かけた隙に、カルメレとホセバはアルツェレカで施設の迎えを待っている。普段と違う気配を感じたヘンリーはサビナの名を呼び叫ぶ。介護士たちはヘンリーをストレッチャーに乗せ施設へ連れていく。サビナが病院から戻ると、すぐに異変を察知しカルメレを問い詰める。サビナは激高し、ふたりを恥知らずと罵る。まわりは彼女がヘンリーを見捨てたと思うだろう。そう思うとサビナはやりきれない。
P119~129(最終頁) IX
ヘンリーのことが頭から離れず、サビナは眠れない。誰もいないヘンリーの部屋を見て、連れ戻そうと決意する。全ては自分の決断だったが気が変わったと言わなければならないのだろうか。さもなければ世間は子どもたちが実権を握っていると思うだろう。いや、まだ自分にもできることはあるはず、と鼓舞する。
羊小屋へ行き、羊の傷の様子を診る。だいぶ回復したので包帯を外してやる。ふと、羊やスクーターなどを奪われたときに感じた喪失感が再びサビナを襲う。溜まっていた怒りややるせなさがこみ上げてくる。さらに、サビナはヘンリーの不在を寂しいと思っている自分に気づく。これまで人の世話をして生きてきた。それを奪われた今、どうしてよいか分からない。
サビナが洗濯物を干しに裏庭に出るとすかさずルルデスがやってくる。サビナの様子を見に来たと言うが、サビナはカルメレに告げ口をした件を責める。みんなの好意だと言うルルデスに反論しようとするが、涙がこみ上げてくる。
カルメレがヘンリーの服を取りに来る。やり合う気で迎えたサビナだが、カルメレは謝りもせず、事務的に服を集めるとすぐに出て行く。取り合ってももらえないサビナ。ヘンリーと同じように施設に入れられ、他人に依存して生きる自分を想像できない。そんな風には終われないと思った瞬間、母親の記憶が蘇る。もう耐えられない、ひと思いに殺してくれ、と病気の母親に懇願されたサビナ。枕を手に取り母親の顔に押し当てるが、できなかった。サビナは羊小屋の扉を開ける。「お願い、サビナ。やってちょうだい」という母親の声がこだまする。サビナは猟銃を手にする。ヘンリーのようにはなりたくない。そんな風には終われない。サビナは猟銃の銃口を上げ、引き金を引く――。
■所感・評価
原題“Basa”(バサ)はバスク語で、野生の・粗野な、手に負えないといった意味で、村人はサビナをそう呼ぶ。妊娠5か月のときに迷子になった羊を山へ探しに行ったり、茂みで用を足したり、汚れた台所ばさみで娘の爪を切ったりと、サビナの粗野ぶりが物語の流れの中で過去の出来事とともに描かれる。老いや介護、家族への疑惑という重い内容を扱う本書だが、ときには驚かせ笑わせる、サビナの無骨なエピソードに度々救われる。
物語は三人称で語られる。第1章の前、3章・6章の最終頁、そして9章の後の最終頁に、ルルデスのモノローグが盛り込まれている。最初は誰が話しているのか分からないが、読み進めていくに従い、詮索好きのルルデスがカーテンの隙間からサビナの台所をのぞき見て、夫のマリオに逐一報告しているということが分かる。においまで感じられそうな描写で、臨場感がある。一方、サビナの心情は心の声として語られている。罵り言葉が多数出てくるので、それらを違和感なく日本語で表現するには工夫がいりそうだ。また主人公サビナに対するまわりの思いはあまり語られていないので、欲を言えばもっと読んでみたかった。
サビナが置かれた状況は、いわゆる老老介護だ。年老いて手術後間もないサビナにとって、身体的にきついのは明らかだ。しかし他人の面倒をみることを心のよりどころにしているサビナ。図らずも介護から解放されたとき、サビナに何が残っているのか。自分の存在とは何か。サビナの心が揺れ動く。
最後の数ページは嫌な気配が忍びより、どんどん引き込まれる。サビナは子どもの頃に父の自殺を目の当たりにし、母から殺してくれと頼まれた過去を持つ。夫のフィデルも看取った。そんなサビナは自分の尊厳を守るために死を選ぶ。サビナの最期に寄り添っていたのは、彼女が唯一素直に愛することができた動物たちだった……。ここで物語は終わるのだが、この後起こりうることを想像すると心が痛み、残される者たちのことを考えずにいられない。サビナは、社会の犠牲者にならないように戦い、他人から誤解されている女性。現代社会の誰しもが共感できる部分があるだろう。また作者の意図とは違うが、『バスク』という地名が日本でもある程度知名度を得た今、ぜひ日本の読者にこの農家の物語を読んで欲しい。
作者ミレン・アムリサはスペイン・バスク地方出身で、子どもの頃から祖母、叔母など多くの年上の女性を見てきた。その体験が活かされているという。本作は児童書を専門としてきたアムリサ初の長編小説。2017年イガルツァ・サリア賞、2019年シエテ・カリェス賞を受賞。ミレン・アグル・メアベ(2021年国民文学賞詩部門受賞)によって、バスク語からスペイン語に翻訳された。原書は2019年にElkarより出版。
■試訳 (87ページ下から11行目〜89ページ最終行 ミサ終了後のタベルナにて)(※現在形での描写に、過去形で回想が挿入される)
横並びに座っている女達は言い争っているが、サビナはた4めらいもなく立ち上がり、タベルナに向かう。(転んだ姿を見られるくらいなら、クソでも食らうほうがマシさ)
テーブルの上に新聞を広げ、死亡記事をチェックしていると、他の者達も教会から出てきていつもの場所に座っていく。片側に男性3人、反対側に女性4人。サビナは真ん中、向かいに誰もいない席につく。
「さて、飲み物は?」トルティージャを持ってきたタベルナの女主人が聞く。
「ぶどうジュースをひとつ」コンチが答える。
「こっちにも同じものふたつ」ルルデスが指を上げる。
「あたしには赤ワインを。若いのでいい。」サビナが注文する。
「ちょっとあなた……」
「ちょっと、何さ?」
そしてコンチが、やれ母親を迎えに来るのが遅かった、やれ救急に行けばよかったのに家に連れ帰った、とミラの娘を批判するのを無視して、サビナはつまみを口に運ぶ。ルルデスとビトリアは孫の話に夢中だ。ルルデスが孫は母親より自分に懐いていると言えば、ビトリアは上の孫がドイツに留学していると言う具合に。
サビナは黙って、松林についての男たちの話に熱心に耳を傾けている。どちらの会話にも入らない。自分が女たちの一員だとは思わないが、男たちに対等に扱われることもない。無表情なサビナも、ホアキンが古傷に触れるとびくっと反応する。
「もし生き返ったら嘆くだろうよ……。フィデル・カストロがあんなに丹精込めて育てた松林を、この女があんな安値で売っちまったって知ったら……」
サビナが寡婦になったとき、村人たちはあることないことを言い、罵った。サビナの羊は疥癬にかかっているとか、長女をくま手で威嚇して追い出したとか、動物としか話さないとか、手伝おうとしたホアキンを用水路に突き落としたとか……。サビナ……手なずけられない女……。
サビナはいつも牙をむいているが、夫が話題に上がっているときは黙ってこらえる。ほとんど何も無いカウンターを見ると、山積みの新聞とメニューが隅に、反対側の隅には時代遅れの公衆電話と、ほとんどのメニューに斜線が引かれたアイスクリームのポスター。(あたしの人生の選択肢ももうほとんど残ってないね)
カウンターの後ろには瓶が並び、聖パンクラティウス像、金色の花飾りが付いた写真立て。セスタ・プンタ(訳者注:バスク地方発祥の球技)の選手時代のホアキンの白黒写真が入っている。(くそったれ! チャンピオンのベレー帽を3つ4つ持ってるからって、何をやってもいいと思ってるのかね! 自分の痰を詰まらせて死んじまえばいい!)
写真の上には、リンボクの飾りが付いた時計。(1時15分前じゃないか!)ぶつぶつ言うと立ち上がる。
「ルルデス! 急ぎな!」
サビナは同じテーブルの面々に挨拶もせず引き上げる。ホアキンの前を通るときは、ぴんと背筋を伸ばす。
「このクソ女が!」ホアキンが用水路からサビナに怒鳴った。
サビナは引き裂かれたブラウスを腕で隠し、さらに大きな声で叫んだ。
「誰にも指一本触れさせないって言ったろ!」
サビナは走って逃げた。
「あら!」アルツェレカに着くとルルデスが驚いて言う。「今日はカルメレの方が早かったわね」
「ちょっと待ってておくれ。あんた用にカリフラワーをとっておいたから……」
前日から目を付けていた、一番元気そうなカリフラワーをふたつ摘み取ろうと畑に入る。(カルメレが家の中にいる! あたしがふらふらしてる間に……。ちくしょう、なんてこった! カルメレがいるんじゃ、ヘンリーが厄介なことになってるに違いない……)