■概要 ピアニストのフアン・セバスティアン・レボンテは、遠征先で父の訃報を受けアルゼンチンに帰国する。かつて軍政下で財を成し、異常な執念でフアンを音楽家に育てた父が息子に遺したのは、見も知らぬ郊外の小さな土地のみだった。フアンは身分を隠してその地で暮らし始めるが――。無数の断片から浮かび上がる父子の愛憎、家族の秘密、忌まわしき記憶とやり直しへの希望。父を追う旅に、彼が心酔した幻の音楽家の謎が絡み合う。現代アルゼンチン屈指の語り手エルナン・ロンシノが緻密に紡ぐ、人生と運命、そして、ある音楽の物語。 ■主な登場人物 フアン・セバスティアン・レボンテ 主人公。ピアニスト。父から見知らぬ土地(エル・レフヒオ)を相続する。 父 フアンをピアニストに育てた謎多き人物。 ポロ 音楽院時代からのフアンの親友。現在は音楽講師。 マモーチョ エル・レフヒオの現在の主。かつては地域の労働者の中心で政治運動家だった。 フリア マモーチョのパートナー。工場の診療所で看護師を務める。 エバ フリアの娘。12歳。 トギータ フリアの弟。 クエスタ 農場を脱走し負傷したところをフアンに助けられる問題児。鳥の鳴き真似の名手。 イポリト エル・レフヒオの労働者。クエスタの義理の父親。 ダンヘロ エル・レフヒオの労働者。河岸で鳥小屋を経営。元政治運動家。 テレ ダンヘロのパートナー。元政治運動家で歯科医を目指していた。 アニータ・ラバロニエ フアンのピアノの師匠。 ビル・ターナー レコード『ハドソン』を遺して早逝した幻のピアニスト。 ■あらすじ 【第1部】 父の訃報が届いた時、僕は東欧の街でコンサートを始めるところだった。演奏中、父から聞いたビル・ターナーの話が脳裏に蘇る。残りのツアーは中止したが、僕はオステンデ公演だけは開催すると決める。北海に面したその町の名が、昔父とひと夏を過ごしたアルゼンチンの海辺の町と同じだったからだ。だが現地で出会った女性と過ごすうちに、コンサートのことを忘れてしまう。翌日アルゼンチンに帰国する。 音楽を断念し経済的成功を追求した父は、1962年にニューヨークのラジオで聴いた音楽に衝撃を受けた。演奏者はビル・ターナー、アルバム名は『ハドソン』といった。父はこの幻の音楽家を追い、数年後にその伝記を見つけるが、彼は半年前に他界していた。父は事業で成功し、1970年代末には軍事政権の公共工事を受託し度々地方に赴いた。ある時飛行機にターナーの伝記を忘れ、記憶を辿って全て再現し、仮説を加え新たな伝記を書き上げた。 父が僕に遺したのはパソ・デル・レイという町の小さな土地のみだった。僕の誕生前にそこを訪れた父は「芸術家のための避難所のようだ」と言い、「エル・レフヒオ(避難所)」と名付けたと母は言う。僕にはその土地の記憶がない。父は電車で発作を起こして死亡し、誰にも気づかれぬまま街を何往復もしていた。「君は父さんの夢を叶えた」という父の友の言葉を反芻する。 音楽院時代の旧友ポロは、現在は妻の学校で音楽を教えている。僕は逃げるように彼らの家に滞在する。ポロの学校で講演を頼まれ、ビル・ターナーの話をする。ある日突然シカゴの自宅から失踪したターナーは、8か月後、人里離れた土地で記憶を失い裸で踊っているところを発見された。彼はこの体験を基にアルバム『ハドソン』を制作した。僕の場合、ピアノを弾くのは混乱ゆえだ。本当は父がピアニストになるべきだったのだ。 僕はここ数日間の出来事を泣きながらポロに語る。彼は僕を連れてパソ・デル・レイに向かう。エル・レフヒオは川沿いにあり、ずっと前からある家族が棲みついていた。母から今後の計画を訊かれた僕はヨーロッパに住むつもりだと答える。 僕は13歳の頃から悪夢を見続けている。父は当時、ピアノのために僕の進学を遅らせようとしていた。ピアニスト、アニータ・ラバロニエの入門試験で、最近起きた奇妙な出来事を訊かれた僕は悪夢について語り、彼女は僕がここにいたくないと思っていると見抜いた。僕はシューマンの「クライスレリアーナ」を弾くが失敗した。 早朝にポロ宅を出て、彼の車を拝借し高速道路に入る。これから自分がしようとしていることは、正しい決断だと確信する。新しい人生が始まる。 【第2部】 パソ・デル・レイに来て4日が経った。エル・レフヒオは地元で「マモーチョの土地」と呼ばれていた。廃墟のように荒れた土地で、工場に隣接し、敷地内の小屋に一家族が住んでいる。僕はクエスタという若い男が血を流して倒れているのに遭遇し、付添いで思いがけずエル・レフヒオに入る。家の女性フリアは彼に医療処置をし、離れに運ばせ目を離すなと僕に言う。フリアの娘エバが食事を持ってきて、僕は即興で「ルイス」と自己紹介する。フリアの弟トギータには、クエスタと農場を脱走後、求職中だと告げる。僕はクエスタにアニータの話をする。父はアニータの弾く「クライスレリアーナ」に魅了され僕を入門させる作戦を立てた。僕らはひと夏オステンデに籠り「クライスレリアーナ」だけを特訓した。その夏父は毎晩ある女性に電話をかけていた。 嵐が来て、クエスタは動揺し暴れる。離れが倒壊し僕は救助されるがクエスタは姿を消す。 僕は離れの修復の仕事をもらい、エバや犬のロボと交流を深める。クエスタの義父イポリトが看病の礼に来る。僕は彼に正体を見抜かれているような気がする。イポリトによれば、家の主マモーチョはかつて地域を代表する政治運動の闘士だったという。僕はイポリトの仕事を手伝うことになり、離れに下宿する。母屋の工事中、地中から大量の札束が入った鞄が出てくる。紙幣は西アフリカのものらしく総額は不明だ。僕とトギータは一束を鑑定してもらうことにする。 労働者のダンヘロは僕がピアニストだと知っているような言動をする。彼と妻テレは、政治運動に破れこの土地に流れ着いた。ここを所有していたのはフランセスという男で、不定期に訪れては家の裏の倉庫に籠っていた。彼の羽振りが良かった70年代は平穏に過ぎたが、やがて様々ないざこざが起こり始めた。いつもマモーチョが代表となって土地の労働者を守ってくれた。かつて小型機が川に墜落した時も彼が果敢にパイロットを救った。 快復したクエスタが母屋を訪ね、鳥の鳴き真似でエバを喜ばせるが、僕のことは挑戦的に睨む。僕は車椅子のマモーチョと初めて面と向き合う。軍政下でも立ち退きを拒んだ闘士は老いて衰弱していた。ある日バスルームで彼が転倒する。僕が抱き起そうとすると、彼の目が僕をとらえ表情が変わる。そして3年ぶりに言葉を発する――「ウドソン(※"Hudson"をスペイン語風に発音したもの)」。 【第3部】 ビル・ターナー唯一のレコード『ハドソン』は、1962年2月3日にライブ収録された。各曲の題名は米ハドソン河が通る都市の名からとられているが、一曲のみ「トランシト(中継地)」という題で、「バード」「リトル・トランシト」と呟くターナーの声や鳥の囀りが挿入されている。僕はふと「トランシト」がスペイン語だと気づく。マモーチョが長く封印してきた倉庫を開けると、中には僕がオステンデでひと夏弾き続けたピアノがあった。 僕はダンヘロにこの土地の話を聴く。かつて武装闘争に身を投じていた彼らは、この土地でマモーチョに匿われた。フランセスはマモーチョに同志を追い出すよう圧力をかけ、同時に彼らを恐れ、暴徒に襲わせて立ち退かせようとした。マモーチョの妻が中心になって共同体を守り抜いたが、彼女は致命傷を受け亡くなった。暴徒に住民を襲わせた時、父は何をしていたのだろう? 母は全てを知っていたのか? 倉庫の父の遺品からは、レコード『ハドソン』とレコードプレイヤーが見つかる。数十年ぶりに聴く『ハドソン』は欠陥だらけのアルバムだった。クエスタにレコードプレイヤーを盗まれ怒りが沸くが、父と自分の姿を重ね追跡をやめる。トギータは、札束は旧紙幣の偽札で何の価値も無かったと告げ、怒りにまかせて僕を殴る。 長雨で倉庫が浸水し、中の物を移動するが、ピアノは重すぎて動かない。トギータが姿を消し、僕は紙幣は本物だったのではと思い当たる。ふと、アニータがあの夏突然オステンデに現れたことを思い出す。彼女はなぜ僕たちを知っていたのか? 僕はピアノの脚を銃で撃つがピアノは崩れない。僕は荒廃した土地の再建のため『ハドソン』を売りに出すことにする。 ある朝奥歯の痛みに耐えかねた僕は、テレに処置してもらう。彼女は僕の顔を見つめ、歴史は繰り返すのねと言う。「気づかないはずがある? あんたは父親のフランセスの生き写しよ」僕は父が労働者を暴力で抑圧した時と同じ年齢で、同じ顔をしていた。僕はいわば過去から現れた亡霊で、最初から皆に正体を見抜かれここに来た真意を探られていたのだ。テレは復讐のように僕の歯を乱暴に抜き、フリアが止血に呼ばれる。皆が僕を避けるがフリアは僕を抱きしめる。 父の遺品の「ハドソン」と書かれた箱に、小説『パープル・ランド』とレコード『ハドソン』の録音記録が入っていた。父の話に相反し、「トランシト」は他の曲と別個に録音され、制作者はA.L、演奏者はM.L.という人物らしい。僕は『パープル・ランド』をフリアに読み聞かせる。僕らは世界一美しい女性の悲話に心打たれる。その名は「トランシト」だった(※原文ママ。W.H.ハドソンによる原著では「トランシタ」)。フリアはトランシトの娘の結末を知りたがるが、僕たちは残り数頁で読むのをやめ、物語を永遠に終わらせないことを選ぶ。 フリアは僕を労働組合の集会に連れて行く。乱闘が起こり大怪我を負った僕は皆とエル・レフヒオに帰る。組合依頼の仕事には報酬が支払われず、イポリトは意気消沈する。 『ハドソン』を買い手に引き渡す。レコードの箱には1枚の写真が入っていた。裏に「シカゴ、1962年2月3日、M.L.とA.L.」と書かれたそれは、僕の父ミゲル・レボンテとアニータ・ラバロニエの親密な写真だった。父は『ハドソン』の収録当日にシカゴにおり、ターナーの録音の数日後に父の弾く「トランシト」が挿入されたのだ。写真の父とアニータは30歳ほどで、現実に訪れたのとは違う未来を夢見ている。僕は父の遺品をピアノの上に積み上げる。これからすることに迷いはなかった。これをするために、僕はここに来たのだ。そして倉庫を火が包む。後には灰とピアノの残骸が残り、草の匂いがエル・レフヒオを漂う――約束のように、永遠に征服しえない新たな土地のように。 ■所感・評価 謎多き父の遺産と、彼が心酔した幻の音楽家のレコード。二つの謎を軸に、無数の記憶の断片から家族の秘密、逃れえぬ業と再生への希望を浮上させる、めくるめく人生の物語。 日本での出版を考慮するうえでまず特筆すべき点は、W.H.ハドソンの小説『パープル・ランド』が重要なモチーフとなっていることだろう。父との歪んだ関係を起点に、ヨーロッパからウルグアイの辺境に逃れた主人公が冒険を繰り広げるハドソンの物語は、プロットや舞台、随所に現れる鳥の描写に到るまで、本作の主要な源流となっている。さらに、同じ名前を持つ2つの街、時空を超えて繰り返される出来事など、遍在する反復、鏡像、そして迷宮のイメージは、『パープル・ランド』を「最高のガウチョ文学」と称えたJ.L.ボルヘスの作品を多分に想起させる。幻の音楽家を追う父の探求から、J.コルタサルの短編「追い求める男」を連想する方も多いだろう。日本でも多くの愛読者を獲得してきたハドソンやアルゼンチン作家への目配せを無数に散りばめながら、著者は、辺境からの視点、廃墟からの人生の再生といった、独自のテーマに見事に接続している。ハドソンの『パープル・ランド』では、主人公は都会に戻りほろ苦い結末を迎えるが、本書の主人公たちはこの本の結末をあえて読まずに、自分たちの物語を描くことを選ぶ。物語は、父の被造物として生きてきた主人公が、父の罪や負の人生の繰り返しを避け、新たな土地で新たな人間として生き始めるまでの道程でもあり、まさに先代の作品を糧としながらも現代的に変奏した一作として、日本のラテンアメリカ文学ファンが大いに楽しめる作品であると考える。 また、文学に加え、アルゼンチンの歴史や社会問題も物語の背景となっており興味深いのだが、史実や社会背景について、読み手の知識を前提とした説明の省略も多く、翻訳にあたっては踏み込んだ注釈と解説が必要になると思われる。アルゼンチン独特の語彙や口語表現も多数登場するので、訳語の選択に注意と工夫を要するだろう。 とはいえ、アルゼンチンや文学の知識がなければ楽しめないということは全くない。本書の一番の魅力は、文章そのものの力である。物語は1枚のレコードを巡って展開するが、独特のリズムと推進力を持つ文体はそれ自体が音楽的であり、また、ヨーロッパとブエノスアイレスで展開する第1部とエル・レフヒオに舞台を移した第2部以降は、同じモチーフを持ちつつがらりと趣が変わり、様々な謎が収斂する第3部に到って、全体を3楽章から成る楽曲のように読むこともできる。音楽についての物語でありながら、物語そのものが一つの音楽のような作品だと言えよう。そして何よりも魅力的なのは、挿入されるエピソードの面白さだ。主人公がふとした瞬間に想起する、他愛無い出来事の中の鮮烈な一瞬や、世界の様々な都市での忘れえぬ邂逅の記憶は、時に奇妙で、時にエロティックで、時におぞましく、登場人物に豊かな陰影を加えるだけでなく、無数の断片の集積から成る独特の世界を構築している。ぜひ日本の読者にもその渦に飛び込み、物語を読む喜びをたっぷりと味わっていただきたい。一つのメタファーが全く違う意味を持って反復される例も多く、再読の度に発見があるのも嬉しい。読み終えた瞬間に、もう一度冒頭から読み返したくなる小説である。 著者のエルナン・ロンシノ(1975-)はアルゼンチンのチビルコイ出身。これまでに『La descomposición(腐敗)』など5冊の小説を発表しており、作品は8か国語に翻訳されている。2020年にアンヌ・ゼーガース賞、2021年にブエノスアイレス市文学賞を受賞。本作『ある音楽』は、2022年ブエノスアイレス国際ブックフェア最優秀書籍賞を受賞している。 ■試訳(15ページ18行目から17ページ17行目まで。) 地球の裏側に、この街と同じ名前を持つ街があるということが、アン(※北海沿いのオステンデで出会った女性)には理解できない。しかもその街も同じように海に面しているのだ。どうしてそんなことがあり得るの? と彼女は言う。僕はある夏の間、父とその街を訪れた。強烈な記憶というものがあるとすれば、それはオステンデで父と過ごしたあの夏のものだ。僕の内には、ほぼ変わることなく残っている一つの場面がある。あらゆる記憶の中で永続するものは、世界のひな型、延々と続く紐に作られた結び目なのだ――まるで音符のような。ある嵐の晩、僕たちは父のジープでマル・デル・プラータを出発し、おもむろにルートをはずれ砂地の道に入った。このほうが早く着くからだ、と父は言った。ボートのように長い後部座席には、たくさんのワインの箱が詰まれ、車が窪みを超えると、バーベキュー用の肉と野菜が入った木箱に当たってカチャカチャと音を立てていたが、その宴は大人たちのもので、僕は参加できないのだった。あと2日ほどで父の50歳の誕生日を祝うことになっていた。道は真っ直ぐで人けが無く、オステンデの中心まで続いているはずだった。お前が運転してみろ、と出し抜けに父に言われ、僕はぎょっとして父を見た。なにしろ嵐のただ中で、空には稲妻と雷鳴が渦巻き、あらゆる物が普段と全く違って見えていたから。風が激しい土埃を巻き起こす。フロントガラスに絶え間なく砂が吹きつける。あんな風に向かって歩いたら、目に傷がついてしまうかもしれない。窓を閉め、指示どおりに運転を続けろ、と父は言った。車はじりじりと動き、父は用心するよう指示しつつ、もう少しスピードを上げろ、思いきって行けと僕に促す。繰り返しそう言う。次の瞬間、別々の原因を持つかもしれない二つのことが起きた、つまり、それらは互いに何のつながりもなく同時に起きただけかもしれないが、いざ同時に起こったからには両者を切り離すことはできず、同じ原因の結果でないとは考えられないのだ。一つ目は、ばらばらな染みのように遠くに見えていたささやかな照明の明かりが消えたことだ。町が消え去り、後には騒々しく明滅する空だけが残った。二つ目はジープのエンジンが止まったことだ。お前、何をした? と父は言った。僕たちは車に乗ったまま位置を交換した。風が執拗に吹き続けていた。父がエンジンをかけようとしてもかからなかった。柔らかな、塩辛い匂いが、車に流れ込んでいた。父は動じなかった。ゼーゼーという、かすれた呼吸音だけが聴こえていた。何が起きたかわからなかったが、僕は許しを求めた。海を照らす稲妻、その断続的な閃光が、物の輪郭を浮かび上がらせていた――柱、ケーブル、大地。その閃きの一瞬に、僕たちは、釣り竿を手に走って道を横切る男を見た。どこかで会ったロドリゲスという男のように、父には見えた。ロドリゲスだと思う、と父は言った。そして夜の中で視界を広げようと窓を拭いた。僕にかろうじて見えたのは、ロドリゲスと思しき男のズボンのオレンジ色だった。その一瞬、その刹那が、記憶に刻み込まれた。僕たちは、今や屋根に叩きつける水音を聴きながら、車の中に留まった。緊迫感は少しもなかった。湿気と饐えた夏の匂いのする小屋に閉じ込もっているより、こちらのほうが良かった。僕たちは一晩中そこで過ごした。でも父は決してそうは言わなかった。そこで一晩過ごすことになるとは決して言わなかった。雨は夜明けの数時間前まで降り続いた。父はドアにもたれて鼾をかいていた。雨が止むと、僕は車から降りることにした。空気は広々として、様変わりしていた。自分たちがどこにいるか把握しようと、僕は闇の中を数メートル歩いた。傷ついた動物のような海のうめきが近くに聞こえた。程なくして、黒々とした雲の下から、最初の薔薇色の帯が現れた。父がわざとあんなことをしたのか僕にはわからないが――父はいつも、あれは謎の出来事だったと話していた―― 一抹の疑いが残った。むしろ僕はこう考えるのが好きだ。父はあのようにして――海を前に、嵐に埋もれて一夜を過ごすことで――消えることのない一つの場面を僕に贈ろうとしたのだと。それは消えることがないんだ、と僕はアナに言う、今、小雨の下、オステンデの浜辺を歩きながら。あれは父の決断だった、物事をそのように――消えることのないようにするための。