■概要
異なる世代、異なる属性の人々の人生の一コマを切り取った4つの物語からなる短編集。ある日ある時、遭遇した出来事や関わった他者によって、ある者は何かを悟り、ある者はその後の人生に大きな影響を与えられ、またはある者は生涯忘れられない記憶をその脳裏に刻む。
登場人物の何気ない表情や動作や会話、美しい色使いの風景、光や影が、臨場感をもたらし、読む者をいつの間にかストーリーに引き込む。
登場人物のセリフ以外には、モノローグやナレーションなどの文字による描写がなく、確たる結論が示されずにストーリーが終わるため、読者は各話を再読せずにはいられない不思議な磁力を持った作品集。
■あらすじ
第一話 大人未満
十代半ばの少年ナチョは、小説家の母と祖母の家まで長距離ドライブ中(母は父と別れ再出発する所だ)、母のおしゃべりに付き合うのに飽き飽きしている。立ち寄ったサービスエリアで、母のトイレ休憩を待つ間、連れの女性に暴力的に接する男性を見かける。ナチョは義憤に駆られ男性に注意をするが、逆に掴みかかられる。女性がその場をとりなして事なきを得、感謝されるが、母には何が起きたかは告げない。
祖母宅で昼食後、ナチョは近所をスケボーでぶらついていたところ、いきなり獰猛な犬に吠えられ、バランスを崩し骨折で動けなくなってしまう。そこに偶然、業務用バンで通り掛かり、親身になってナチョを助けて病院まで送ってくれたのは、あのサービスエリアの男性だった。男性はナチョを病院に送ってくれただけでなく、事故現場に戻ってスケボーを取りに行ってくれるほど気さくで親切だった。
第二話 銀幕の恋人
カルロスは往年の映画俳優。今は引退し株取引に精を出す。かつての代表作はアレホ・ドゥケだ(注:「007」シリーズのような内容と思われる)。ある日、愛犬と散歩の途中に、突然、車で誘拐されてしまう。誘拐の主犯は裕福な初老の男で、アレホ・ドゥケの大ファンである老母の夢(アレホ・ドゥケとおしゃべりしたい)を叶えてやりたいというのだ。乱暴なやり口に憤るカルロスだが、なす術もなく、アレホ・ドゥケの衣装にメークアップを施され、認知症と思われる老婦人と対面する。演じるのは久しぶりだが、老婦人との会話にうまく調子を合わせてきたところで、老婦人の口から飛び出したのは意外な秘密だった。夫以外の男性の子を宿したまま結婚したというのだ。ショックでうろたえる当の息子。
カルロスは無事解放され帰宅する。父の身を案じて警察まで呼んだ子供たちには何も語らず、自分の浴室で、奇妙な一日を反芻して一人笑うカルロス。
第三話 選択科目
カフェの仕事を終えたエバは、父から祖父の死の知らせを受け、自宅で喪服に着替え、迎えに来た両親とともに葬儀場に向かう。家族とは疎遠な様子だ。到着した葬儀場で、偶然にも高校時代の教師ルイスの葬儀が行われていることに気づく。ルイスはサブカルチャーアニメ映画を授業に取り入れるエキセントリックだが人気の選択科目の教師だった。
ふと入ったルイスの斎場で、呼び止めてきた遺族の女性に挨拶をしたところ、いきなり頬をぶたれる。困惑し立ち去るエバに、ルイスの甥が追いかけて来る。
常に生徒に気さくに接し、沢山のことを教えてくれた最高の教師だったと甥に語るエバ。が、甥によると、数年前にルイスは複数の女生徒らと不適切な関係を持ったという疑いで、新聞沙汰になり、退職に追い込まれた。結局、証拠不十分で罪には問われなかったものの、教職に復帰できないまま、やがてガンに罹患し失意のうちに死んだというのだ。
かつて、厳しい両親や看視役の兄に隠れて描いていたエバのイラストを褒め、その才能を励ましてくれたルイス。彼は、エバ宛てのメッセージを書いて漫画雑誌を一冊くれた。その一冊は彼女の自宅のアトリエの本棚に今もある。そしてある日の事を反芻し始める。
その日、自宅にある漫画コレクションから本を貸すという目的で、ルイスはエバを誰もいない自宅に招待した。居心地が悪く、なんとなく気が進まず、何も借りずにそそくさと暇を告げるエバ。玄関で今日のことは秘密だとルイスに念を押されたのだった。
第四話 ローカルアーティスト
アントニオは本業の傍ら、20世紀初めに没した無名の地方画家オラシオ・アルメンドロスの作品一部をコレクションし、地道に研究の末、画家に関する著書を出版するに至った。素晴らしい水彩画を生み出したにも関わらず、なぜアルメンドロスはほとんど評価もされず、家族を持たず貧窮の中その人生を終えたのか、アントニオは問い続けている。
定職に就かずその日暮らしの息子から連絡があり、息子を訪ねるアントニオ。恋人が妊娠したので、商売を始めたいと金を無心してくる。アントニオは、これ以上援助をする気はないと邪険に突っぱねる。
一方、研究本が評価され専門会議で講演をすることになり、大雨の中、アントニオは現在の妻と遠方に自ら運転した自動車で赴くが……。
ベビーカーを押す恋人と連れだって、アントニオのアパートのドアを鍵で開ける息子。自分たちがアパートに住むために父の遺品整理に来たのだ。父の愛した水彩画を手にし、ふと思いを馳せるが、恋人に何も残すなと言われ、躊躇しつつもゴミ捨て場に全ての作品を置いてくる。
息子の立ち去った後にゴミ捨て場に来た女性が、アントニオのコレクションを見つけ、大切に一枚だけ家に持ち帰る。その作品を気に入る幼い娘。
やがて10代になった娘は学校の課題のため、件の水彩画をテーマに取りあげたいが、ネット上には作者の情報が見つからない。父と書店に赴くが、アントニオの著書はすでに絶版だ。書店員の提案に従い、赴いた図書館でついにアントニオの著書を見つける。アントニオの著書を読む少女。水彩画の出どころをついに見つけた、と両親に嬉々として伝える。
モノクロの世界。アントニオが現れる。一心にキャンバスに向かう画家がいる。「アルメンドロスさん?」と画家の背中におずおずと声をかけるアントニオ。なぜかアントニオのことを知っている様子だ。自分のことを知っているか問うと「ここでは皆知り合いだよ」という返事に照れくさい表情をし、画家の作業がひと段落つくのを待つアントニオ。
■所感・評価
現代のスペインを舞台に、異なる年代や社会に属した登場人物を配した30頁ほどの4編の物語。いずれも起承転結の「結」は読者に委ねられる。アメリカの作家レイモンド・カーヴァーを彷彿とさせる作風との評価がある。個々の読者の人生経験によって、物語の解釈や味わいは少しずつ異なるであろう。
この作品では、シンプルなコマ割りの中に、作者の画力とストーリー構成力がいかんなく発揮されている。登場人物の視線やしぐさ、セリフ、各コマの構図、水彩画調の彩色は、物語を緩やかに紡ぎ、読者はいつの間にか登場人物の傍らで物事の顛末を見守っているような感覚で話を読み進む。特に季節や時間帯で異なる日の光や室内照明、影の表現方法は秀逸で、登場人物のリアルな日常が浮き上がる。
日本の短編漫画では、主人公のモノローグを用いて、その心情や物語の背景や顛末を語ることがよく見受けられるが、この作品にはそれが一切ない。読み手は、登場人物らの会話から断片的に情報を得るのみだ。字ですべてを表現する小説より、視覚と聴覚に頼る短編映画の鑑賞に近いと言えるかも知れない。このような、意外なシーンで物語が終了する作品に至っては、何か見落としたことはないか、果たして自分の解釈は正しいのかと、読者は再読を促される。映像作品であれば、巻き戻した時に意図しない所に飛んでしまったり、セリフの途中だったり、作品鑑賞を台無しにしている気がするが、コミックの利点は、読者は作品を冒涜せずに好きなペースでコマを読み進めたり、気になるページに戻ったりできる所であろう。
日本で似たような短編作品を発表する作家には、オノナツメ氏やえすとえむ氏、不思議な読後感で言うと、ジャンルや手法はやや異なるが、魚喃キリコ氏の短編も挙げられる。
同じスペイン人の作者によるコミックとして日本ですでに刊行されたパコ・ロカ氏の作品も、ストーリーテリングや彩色の美しい画力で評価されているが、その読者層に加え、日本の短編漫画、または海外の短編小説や短編映画を好む層にも訴えかける良作である。モノクロ作品においては必須の、ドラマティックなコマ割りや効果的な描線を表現方法として用いる代わりに、この作品は水彩画タッチの淡い彩色に、光と影を効果的に取り入れ、登場人物の心情と物語世界を表現している。よって、カラー出版は必須と言える。日本でも出版されているバンド・デシネの大きいサイズの紙の媒体だとコストがかかりすぎることも予想されるので、ワイド判サイズ、またデジタルでの配信もひとつの選択肢かも知れない。
■試訳 ※( )内は描写の説明
P.112
(服や残飯が散らかった部屋でソファに座るアントニオ。コーヒーテーブルの上には山盛りの吸い殻の灰皿や皿が放置してある。コーヒーを持ってくるアントニオと同じ赤毛の若者。)
若者(以下、若):ほら、コーヒー
アントニオ(以下、ア):ありがとう
(ポケットをまさぐる若者)
若:砂糖は……と
若:近所のバルで砂糖の小袋を好きなだけちょろまかせられるんだよ
(テーブルの上にいくつもの砂糖の小袋を落とす)
P.113
(コーヒーカップを凝視するアントニオ)
ア:で? 今度は何をやらかしたんだ?
若:なんだよ オヤジ、落ちつけよ
若:オレが座った途端 もう事情聴取かよ
ア:初めてお前のアパートにコーヒーに呼ばれたから何事かと思ってな
まずい事態なのか?
若:なんで問題を起こした前提なんだよ 面白くねーな
(砂糖をコーヒーに大量に入れてスプーンでかき混ぜる息子)
ア:もう仕事に戻らないと
若:この前のクリスマスに紹介したコ覚えている?
ア:どの娘だ?
若:おいオヤジ ひどくねーか
ルシアとはもう何か月も続いているんだぜ 真実の愛ってやつだ