■概要
スペインのマドリードにあるレイナ・ソフィア美術館が所蔵していた、現代彫刻の第一人者の一人リチャード・セラ作の総重量38トンもある大型彫刻が行方不明になった。実際にあった出来事である。彫刻は未だに発見されていない。サイズも重量も半端ではなく大きい鉄製の作品は、いつ、どのように消えたのか。著者は様々な職種や立場の人々の証言を集めたノンフィクション仕立ての小説で、この謎に迫る。オーソドックスな小説では定番の登場人物も語りも説明も排除して、70を超える証言が次々と綴られている。
■あらすじ・内容
リチャード・セラが制作した鉄製の4つの立体図形が構成する現代彫刻。マドリードのレイナ・ソフィア美術館の開館記念展に展示した後、美術館の倉庫に移され、その後、美術品の運搬、設置、保管を請け負う会社の倉庫に保管されていたはずの重量38トンのこの彫刻が、消えていた。
これほど大きな物を人目につかずに動かすことは出来るのか? 寸断されて包丁や工具に再生利用されているかもしれない、彫刻を保管していた企業が倒産し、敷地に社会保険庁の建物が建設される前に埋められたのではないか、等様々な仮説がたてられ、警察の文化財保護班は可能な限り捜索し、検証したが、未だに発見に至っていない。
本書は当事者であるレイナ・ソフィア美術館の関係者、彫刻を制作したリチャード・セラを含む多彩な職種の人々の証言集という構成の作品であり、大型彫刻の紛失をめぐるミステリーが根底にある。証言は実話土台にしたものと著者の創作によるものが入り混じっている。つまり小説なのである。
■目次
第一部 「何を探しているの?」クラウディア・サルガド
第二部 「パパ、探し物お手伝いしようか?」エレナ・タリョン
第三部 「あなたは探しものが下手ね」マルタ・バスケス
第四部 「見つかった?」ラモン・タリョン
※4部構成になってはいるが、オーソドックスな小説と異なり、どの部においても証言は時系列的に並べられていないし、「美術館関係者」とか「セラとその友人、知人」というような分類も当てはまらない。著者がどういう理由で各部に証言を配分したのかについては、各部の冒頭に記載されている著者の家族や知人の短い発言、文学作品からの引用がヒントになっているようだ。
■所感・評価
非常に面白い作品である。
最初は、「〇年〇月 職業○〇 氏名○〇」と記した証言が次々となんの説明もなく続いていくことに戸惑いを覚えた。何しろ前の証言者と次の証言者との間に関連性が全くないのだ。完成図を示されないジグソーパズルをやれ、と色も形も異なるピースを目の前に置かれたような感覚を覚える。
しかし、次第に好奇心が募ってきて、自分も次の証言者になるのでは、と錯覚さえ生じる。同時に、証言の内容が図らずも、現代美術界の専門家や国民の現代美術観、美術館のありかた、アーティストであるリチャード・セラの活動の軌跡、古今東西あまり変化していないと思われる「お役所仕事」、民間人が突き当たる行政の壁など、様々な実態を浮き彫りにする。
セラの彫刻は未だに見つかっていない。所蔵作品を紛失して批判を浴びたレイナ・ソフィア美術館は大胆にもセラにレプリカの制作を依頼したところ実現し、今は「コピーだがオリジナル」な作品が展示されているとのことだ。
巨大で重い作品が保管先から忽然と姿を消すなど、奇想天外な出来事としか言いようがない。著者タリョンが小説のテーマとして惹きつけられたのも分かるような気がする。セラ本人が制作したレプリカがあるとは言え、「初代の」彫刻は今日に至るまで発見されていないので、その紛失の謎にはまだ答えがない。その意味で証言の羅列、というノンフィクション仕立ての構成は納得がいくし、タリョンの判断は的を射ている、と感じる。元ジャーナリストである著者の面目躍如、と言える。
タリョンは、彫刻が紛失したことを知るやそれをテーマに小説を書きたいと思ったそうだ。しかし、書くためには担当裁判所による供述や状況を記録した文書を閲覧し、裏付けをとる必要があった。ところが司法や行政の壁は高くて厚く、実際に閲覧できるまで長い年月を要したそうだ。粘り強く努力を続けたものの行き詰まり、心が折れて書くのを諦めそうになったこともあると言う。苦労の一端はタリョンを手伝った編集者やタリョン自身の証言で知ることができる。
難点、とまではいかないが、本書には多数の固有名詞が出てくる。証言者の氏名だけでも70超になるのだが、さらに地名、社名などが頻出するため、和訳した場合は通常の翻訳物をはるかに上回る数のカタカナが目につくことだろう。率直に言ってレポートの筆者も、原文では大文字で標記する固有名詞の多さが最初は気になった。しかし読み進むにつれて固有名詞のほとんどはBGMのような役割であって証言の内容や意味に大きく影響するものではないことに気づく。
■試訳
(14ページ14行目~下から6行目)
2006年1月 新聞記者 ナティビダ・プリード
舞台にいる女優を見分け、彼女が双肩に負っているドラマが始まると推測できた途端、私は全て何もかも忘れた。冷え切った足、疲労、乾燥した両目、皺だらけになったブラウスの背中、そして受信したばかりのメッセージも。「大スクープだ。折り返して。」簡潔なメッセージだった。軽々しく「大スクープだ」などとは言わない、キュレーターをしている友人からだった。しぶしぶ電話をオフにしたけれど体には恐怖を感じていた。スクープがすぐそこにあるのに、自分ではなく他人がものにしてしまうかもしれないと分かっているのに、落ち着いていられるものだろうか? でもイネス(訳注:一緒に観劇している同僚)も私もここ一週間、というより一か月の間ずっとWitというこのお芝居を観られる、とワクワクしていたのだ。だからこれを見逃すのはスクープを逃すより恐ろしかった。
(中略)
(15ページ下から6行目~16ページ9行目)
(終演後イネスと)一杯飲みに行く道すがらキュレーターに電話した。時間は気に留めなかった。あちらはまだ仕事中かもしれなかった。電話に出なかった。夜11時15分過ぎ。スクープの内容が知りたい、という好奇心で現実に戻った。何気なく一日中口ずさんでいる歌のように、友人の「大スクープだ。折り返して」が体にはりついていた。Witのお芝居がちょうど幕を開けた時にメッセージを受信したのは素敵な偶然だと思った。マーガレット・エドソンは、教鞭をとっていた小学校の教室を掃除していた時に、この作品Witでピューリッツァー賞を受賞したという知らせを受けたそうだ。重大なニュースも最悪の知らせも普段と全く同じことをしている時に届くことがよくある。
(中略)
(16ページ下から8行目~17ページ下から11行目)
(翌朝)バール・ジェルモに行った。朝食を摂り、もう一度キュレーターに電話した。今回も出なかった。スクープじゃなくなっちゃうじゃない。彼から折り返し電話がかかってきたのは2時間後だった。「ナティ、僕、病院にいるんだ。」ちょっと痛々しい感じの声で彼は言った。歩道を歩いていたところを77歳の女性が運転するフォードフォーカスに轢かれたのだそうだ。腰骨、肋骨2本と片脚を骨折したとのこと。「君にメッセージを書いた1分後に轢かれたんだ。」
怪我人にスクープについて聞くのは気の毒ではあったけれどあえて尋ねた。ほかにやりようがあっただろうか。私の性格なのだ。サソリと同じ。おまけに不運は既成事実だった。「君には情けがないのかい?」と言いつつも、レイナ・ソフィア美術館の責任者たちが、彫刻作品が無くなったと大混乱をきたしているのだ、と教えてくれた。誰だってなくしものはするでしょ。「そりゃそうだけど、どでかい彫刻だよ。重さが38トンもあるんだ。そんなものどうやったら紛失するんだい? おまけにリチャード・セラの作品だよ。それが消えるなんて発想、脳みそが受け入れるか? 重量38トンの発想、なんてね。」彼はジョークを飛ばした。
新館長が就任し、ジャン・ヌーベルに依頼して拡張した建物を披露した後、目録を作成しているさなかに緊急事態が生じたのだった。作品がどこにあるのか、どのように行方不明になったのか、いつのことだったのか、誰にも見当がつかなかった。なくなったのは数か月前かもしれないし、数年前かもしれないし、10年前かもしれなかった。当然盗まれた可能性もあった。「どっちみち世界中でものすごいスキャンダルになるよ」と彼は笑い出した。
(35ページ3行目~下から10行目)
2006年1月 レイナ・ソフィア美術館館長 アナ・マルティネス・デ・アギラル
(彫刻紛失をすっぱ抜いたABC紙の記者が訪れた日。朝一番に理事会の会議があった)
会議が終わると執務室にABC紙の女性記者が現れた。彼女はリチャード・セラの彫刻作品にまつわるトラブルについてよく知っていた。10時半頃だったと思う。彼女が言っていることを私が知らないと思われないよう、できるだけ取り繕ったけれど、内心凍りついた。どうしてあんなに知っているんだろう。軽いめまいがしたと思う。本心を言えば、椅子に倒れこんで彼女が部屋から出て行くまで死んだふりをしていたかった。実は行方不明になったことが漏れる前に彫刻が見つかるだろうと私は信じていたのだった。ちょっと無邪気すぎたようだ。発見されるまでもっと時間がかかるかもしれない。遅かれ早かれ、たとえ作品の一部であっても、誰も思いつかないような場所で見つかると確信している。あまりに大きな作品なのだ。あれほど大きいものを、痕跡も残さずに隠したり行方を分からなくするのは不可能、だ。
あの彫刻が行方知れずになったことを私が知ったのは10月初めだった。美物館の美術品登録課の課長が「マカロン株式会社(訳注:美術品の輸送、保管、設置などに従事する会社)に預けてあった作品を回収するのは難しい」と口頭で報告してきた。総務部長補佐が同社のオーナーに3度電話をかけたものの、彫刻のありかは知らない、と主張したそうだ。
(164ページ 下から14行目)
2006年6月 ラリー・ガゴシアン 画廊経営者
(リチャード・セラと昼食をとり、話をするなかで)
「知ってるかい?」大事なことを言う前にヒントを出そうと好奇心をそそる口調でリチャードが聞いた。「何だい?」強い好奇心を期待されていると思ったので、どんなドッキリ話も受け入れる態勢で僕は応じた。「回顧展(訳注:ニューヨーク近代美術館MOMAでセラの回顧展を開催する予定が決まっていた)にEqual-Parallel/Guernica-Bengasi(訳注:レイナ・ソフィア美術館が紛失したセラの作品のタイトル)も展示することにしたんだ。」口に入れたばかりの白ワインを吹き出しそうになったが、一本200ドルもするのを思い出してあやうくとどめた。「ひょっとして見つかったのかい?」
1日中歩いて足がへとへとになって帰宅した父親よろしくリチャードは椅子の上でそっくりかえり、もったいをつけずに熊を髣髴とさせる大声で笑った。「いやいや。まだだよ。だけどレイナ・ソフィア美術館と合意してね。レプリカを制作することになったんだ。あの作品と完全に同じものを作ってオリジナルとしないか、と提案してきたのさ。元々の作品を探している間、美術館に対する批判をおさめる方法になるんじゃないかと思いついたらしいよ。見つかる可能性については僕は全然楽観してないけど、美術館は見つけられると心底思っているんだ。」「そりゃ純粋にマジックだね。ここには無い。あそこにも無い。でもコピーはオリジナルってか」私はふざけて言った。
(296ページ 下から11行目~8行目)
2020年12月 作家 フアン・タリョン
2009年にセサル・アイラと一緒にレイナ・ソフィア美術館に行ったのがきっかけで、僕はEqual-Parallel/Guernica-Bengasiに取りつかれた。あの時セサルは最新作のプロモ-ションをしにマドリードに滞在していたのだ。
(中略)
(296ページ 下から4行目~297ページ 下から11行目)
スクラップと混同されかねない38トンもある彫刻が、セサルいわく“痕跡も残さずに消える”なんて信じられなかった。「こんなものが地獄の辺土まで送られてそのあと消息が完全に不明だなんて驚異だと思わないかい?」作品のレプリカ(訳注:彫刻は4つの大型立体図形によって構成されており、間を人が歩けるように配置されている)の間を振り子のようにゆっくりと訳知り顔で歩きつつ、じっくり鑑賞しながら彼は言った。彫刻の紛失は大規模なマーケティングのオペレーションの一環だというのが彼の説だった。「考えるまでもないだろ? アーティストが自分で盗んだに違いないよ。つまりさ、彼が思いついたか、窃盗を認めたかしたんだ。このセオリー、覚えておけよ。真実が明らかになった暁に君は僕のところに来て“君は天才だ”って言う羽目になるぜ。」作品が行方不明になって得するのは誰なんだ?「彫刻家以外は誰も得しないさ。同じ彫刻を制作して君が言うようにニューヨークのMOMAで展示したのはすごいことだし、今度はこの美術館で常設展示だろ。でかいビジネスだと思わないかい? リチャード・セラがどこの誰なのか、彼の作品がアートという名に相応しいことも全く知らない人たちが初めてセラの名前を聞いたんだよ。世界中のテレビや新聞が何日間も彼を取り上げた。美術館が彼の作品を紛失したのがきっかけだったにしても何億という人々が彼の名前を見たんだよ。」
あの日以来、彫刻とその紛失がテーマの小説、という発想が頭の中を回り始めた。
(317ページ10行目~下から2行目)
2019年10月 レイナ・ソフィア美術館 保安部長マティアス・アマリージョ
(彫刻が見つかったとの報を受け、同僚のテレサ・ポンスとともに知らせをくれた現地警察の警官の案内で期待に満ちて発見現場に赴く)
彫刻の傍まで行くと「これ?」とテレサは突然不快感を漂わせ、不機嫌そうな顔で私の方に向き直りながら尋ねた。緞帳が下りる時のように髪が顔の上に落ち、力が抜けた様子だった。「これですか?」と数個の鋼鉄のピースを指しながら私は警官たちに尋ねた。彼らは一斉に首肯した。テレサが「もの」に近づき、触って「本当ですか? 冗談でしょう」と小声で言った。相変わらず不機嫌そうだった。それから雌雄を決するための行動に出た。指の関節で数回「もの」を叩いたのだ。私と彼女は視線を交わした。暗闇でもそれと分かるお化けやモンスターに出くわした子供さながらの身がすくむような恐れを私は感じた。「マティアス、聞こえた? 音の正体が分かる?」今度は当惑顔で私に聞いた。私は「中は空洞のようだね」と気落ちして答えて時計を見た。17時44分だった。「その通りよ。こんなくだらないものが何なのか分からないけど、当然セラの彫刻ではないわ。セラの彫刻は鉄の塊だから空洞ではないし、40トン近くあるの。もちろんこれはサイズも表面の様子も色も違う。ひどい代物だわ。」と彼女ははっきりと言った。
マドリードへの帰路は告別式さながらだった。美術館の幹部には絶対に何も言わないと口裏を合わせるために言葉を交わしただけだった。