■概要
クエンカの片田舎で、呪われた家に4代にわたり囚われ続ける女たちの物語。亡霊たちが潜み、聖人たちが耳打ちするその家は、男たちの魂と肉体を吸い上げ、女たちを「木喰い虫」のように内側から憎悪や怨念で蝕む。村人から忌み嫌われ、恐れられた一家の生き残りである祖母と孫娘が、その確執や因縁、復讐の顛末を交互に語っていく。マジックリアリズムの手法にのっとり、ブラックユーモアを交えながら読者の背筋を凍らせる、現代のスペイン製ゴシックホラー。
■主な登場人物
曽祖母 結婚した夫に家を建ててもらう。夫の死後は仕立て屋として生計を立てる。
祖母 亡霊や聖人とやり取りできる。村の地主ハラボ家で働いていた。夫ペドロは病死。
母 ハラボ家の息子と付き合っていた。未婚のまま子供を産み、行方不明となる。
孫娘 祖母と住む呪われた家から出たい一心で、ハラボ家の子守となる。
■あらすじ
クエンカの寂れたある村で、地主であるハラボ家のまだ小さな一人息子が失踪した。その時に子守りをしていたのが、呪いを操ると村で恐れられている一家の孫娘だった。孫娘は嫌疑をかけられて警察の尋問を受け、6日後に逮捕され、勾留されるが無罪を主張。孫娘の家にはマスコミが押し寄せ、息子の両親は記者会見を開き、村人たちは孫娘やその祖母にまつわる有る事無い事をカメラの前でしゃべった。しかし証拠は何も出ず、息子の行方はわからないまま、孫娘は3ヶ月後に釈放される。その翌日の早朝、息子の父親であるハラボ家の当主が、一家を怪しみ直談判にやってきた。しかし祖母は何も知らないと答え、彼にある写真を見せる。その写真には、行方不明になった孫娘の母と、若い頃の彼が写っていた。彼は急に取り乱し、慌てて帰ろうとしたが、ドアが閉まり家中が音をたて震え出す。正気を失った彼は、何かに憑かれたかのように階段を登ると、寝室の洋服ダンスの中に吸い込まれていった。
その家を建てたのは曽祖父だった。貧しい家庭を飛び出し、騙した女たちを使って売春宿を始め、曽祖母と結婚した時、立派な家具を揃え、村では数少ない電球が灯る家をプレゼントしたのだった。しかし、夫に力で支配され、家に縛りつけられた曽祖母は、いつの間にか家に住み着いた亡霊たちと共に、夫への憎しみを募らせていく。内戦が始まると、夫は寝室の洋服ダンスの裏に小部屋を作り、徴兵から逃れようとそこに身を隠した。そのうち自分は逃げる、ここから出せと大声をあげ騒ぐようになり、困り果てた曽祖母は、小部屋をレンガと漆喰で完全に塞いでしまう。夫はそこで命を落とし、それ以来、曽祖母は身体の中に亡霊を感じるようになった。そしてその5ヶ月後、祖母が生まれた。
祖母は小さい頃から、亡霊だけでなく聖人の姿も見えた。その上、聖人からこれから起こることや知られていない事実を告げられるようになった。曽祖母は嫉妬を感じた。なぜ聖人は自分でなく祖母を選んだのか。嫉妬は憎しみとなり、祖母は髪を切り落とされ、学校を辞めさせられ、10歳から9年間もハラボ家に奉公させられることになった。ハラボ家の人々に辛く当たられることはなかったが、その振る舞いにはいつも軽蔑と嫌悪があった。そして、祖母はハラボ家の使用人で婚約者がいるペドロと付き合うようになる。村人たちに陰口を叩かれ、曽祖母も怒り心頭だったが、祖母はペドロを誘惑して妊娠、結婚。しかし、祖母の家にやってきたペドロは、結婚後すぐに原因不明の病に倒れ、衰弱して死んでしまった。医者も紹介せず薬代も出さなかったにもかかわらず、葬式にはお金を出し、慈悲深い雇い主として参列者に挨拶をするハラボ夫人を見て、祖母はこれまでにない憎しみを感じる。祖母と曽祖母は、女中仲間のラ・カルメンが持ってきてくれた夫人の髪の毛をハンカチに入れ、聖人に祈りながら呪いの包みを作った。効果は絶大だった。夫人は階段から落ちて怪我をし、長男は狩猟中に手首を折り、当主の事務所はボヤで焼けた。偶然にしてはあまりにも不幸が重なったため、村人たちは祖母たちの仕業だと確信し、こっそりとやって来て呪いを頼むようになる。そのうち行方不明者の居場所や問題の解決策なども聞きにやって来るようになり、祖母たちは聖人の力を借りながら呪術師まがいの仕事を行うようになった。
ペドロの忘れ形見である孫娘の母は、産まれつき体が弱く醜かったが、みるみる健康で美しい子供になった。それと引き換えに、曽祖母はどんどん弱っていった。曽祖母が亡くなった時、彼女を恨んでいた祖母は全く悲しまなかった。母は村で評判の美しい娘に成長したが、勉強が嫌いで仕事も続かず、夏になると村に帰ってくる若者たちと遊び歩いていた。弁護士を目指すハラボ家の次男と特に仲良くしていて、ハラボ家を憎む祖母はそんな母を許せない。ある夏、彼がマドリードから婚約者を連れて帰ってくると、母はタイル工の若者と付き合い始めて妊娠した。出産後の結婚を約束して孫娘を産んだが、翌夏にハラボ家の次男がまた母を誘い始めると、赤ん坊もタイル工もほったらかして遊びに出かけ、祖母とは険悪な日々が続いた。ある日、祖母と罵り合い家を出ていった母は二度と帰ってこなかった。
孫娘は行方不明となった母の顔を写真でしか知らずに育った。亡霊や聖人と交流する祖母と呪われた家から自由になるため、祖母には内緒でハラボ家の子守に志願する。それを知った祖母は、長年闘ってきたハラボ家に屈服するかのような孫娘の行動に激昂する。ある日、孫娘の奥歯が突然痛み出す。あまりの痛さに食事も喉を通らず、鎮痛剤を飲んで寝たり起きたりしていると、自分を見つめる多くの亡霊が見えるようになった。突然痛みが消え、奥歯が一本抜けたのを確認した日、戸外に見覚えがある若い娘の姿を見かける。翌朝、中庭にその娘がいるのに気づき、急いで階段を降りるも見当たらない。今度は二階から家具が軋む音や足音がする。ノックが聞こえて玄関を開けると、目の前に立っていたのは母だった。
母は行方不明となってから数日後に、亡霊となって家に戻ってきていたのだった。それから孫娘は、母が玄関を開けて階段を登り、寝室の洋服ダンスの中に入っていくのを何度も目撃するようになる。母の体はどこかにあって、彼女を殺した人間がその代償を払っていないことに対する怒りと憎しみ、祖母の苦しみが理解できるようになり、同時にはらわたに何かが絡み付くような感覚、何かが自分の身が蝕むのを感じるようになった。子守りを再開したある日、ついにわがまま息子と高慢な夫人に耐えきれなくなる。「時は来た」祖母は言った。
ハラボ家の両親が用事で共に遅く帰るという日、孫娘はなかなか眠ろうとしない息子を誘い出すかのように、わざと玄関を開けっぱなしにした。息子は忽然と消え、孫娘は尋問を受けたが、その事実は黙っていた。3ヶ月後に釈放された時は、もう誰も息子が生きているとは思わず、加えてなぜか当主も行方不明となって夫人は憔悴し、村人は呪われたハラボ家に寄り付かなくなった。一方、孫娘は再び逮捕されるのではないかと怯え、家に籠るようになる。祖母は彼女を寝室に引っ張っていくと、洋服ダンスをどかし、その後ろにある壁のレンガを1つ外して隠し部屋の中を覗かせた。そこにはとうの昔に干からびて骨と皮になった曽祖父と、ハラボ家の当主、そしてあの一人息子が息絶えていた。あの夜、祖母は何が起こるか知っていて、玄関から出てきた息子を待ち構えていたのだった。
■所感・評価
男と女、血という鎖で繋がれた家族、貧困と富裕、社会と階級。この普遍的テーマを内包し、クエンカの不毛の地に建つ古い家を舞台に、カトリックの土着的伝承や信仰を散りばめ、4世代にわたる女性たちの憎悪や怨念、復讐を描いたスパニッシュ・ホラーである。タイトルの「木喰い虫」は、女性たちの内側に入り込んだ亡霊、あるいは憎しみや恨みが、カリカリと音を立てて彼女たちの心身を蝕んでいく様を象徴的に言い表している。
構成としては、一家の生き残りである祖母と孫娘が10章を交互に語っていくスタイルをとっている。あらすじはできるだけ時系列かつ客観的にまとめたが、実際は村の地主の一人息子の失踪事件を軸に、それぞれの視点で現在や過去を行き来しながら物語が進んでいく。そのため読者は答え合わせをするように真実にたどり着き、震撼する。そんな謎解きミステリーのような一面もこの作品の魅力である。時折クエンカ訛りが出る祖母と、句読点なく文章が続くモバイル世代の孫娘、その語り口の違いも面白い。
最近はスペイン語圏の女性作家の活躍が目覚ましく、女性の視点からリアルな女性たちを描く小説が日本でも次々と翻訳されるようになった。この作品も間違いなくその系譜に連なるものである。また、『兎の島』(エルビラ・ナバロ著 宮崎真紀訳 国書刊行会)、『寝煙草の危険』(マリアーナ・エンリケス著 宮崎真紀訳 国書刊行会)など、世界中で盛り上がりを見せるスパニッシュ・ホラー文芸の一角をなすものとして期待される。この作品は、ゴシック的な世界観の中にコミカルな表現が所々見受けられ、女性たちの男性たちに対する言動や復讐にスカッとした爽快感を伴うので、特に女性の読者を惹きつけそうである。
著者のライラ・マルティネスは、1987年マドリード生まれ。エッセイや小説を翻訳し、音楽やテレビドラマについての記事を新聞に寄稿、自身が執筆したエッセイや短編はアンソロジーなどに収録されている。ホラー文学についてのワークショップの講師を務め、社会的恐怖と映画におけるユートピアについての映画イベントをコーディネート、最新のエッセイは『UTOPIA NO ES UNA ISLA(ユートピアは島ではない)』である。本書は長編第1作であるが、2022年に42バルセロナファンタジーフェスティバルのスペイン語文学部門デビュー賞を受賞、多くの書評家や作家に絶賛され、重版を重ねている。版権はすでに米国はもちろんヨーロッパ、南米を中心に17ヵ国に売約済み。アラビア語や韓国語にも翻訳予定である。日本の読者にも是非この作品の素晴らしさを届けたい。
「復讐と詩で作り上げられた、影と女たちの家。人々を震撼とさせる、緊張感のある小説。あたかも魔女がライラ・マルティネスにこの才気走った恐ろしい悪夢を語らせたかのような、亡霊や階級問題、暴力と生まれながらの孤独に溢れた作品」(作家マリアーナ・エンリケス評)
■試訳(p57の14行目-p59)
翌朝、中庭の格子戸が開く音で目が覚めた。婆さんが朝早く家を出たのかと思ったが、上体を起こして見るとまだベッドで寝ている。起き上がって窓から外を見た。ほとんど誰も家には来ないし、こんな時間は尚更、だって今は後悔か希望のための時間であって、怒りのための時間じゃない、この時間は前の晩を後悔するか、朝が来るのを期待するのだ、でもまだ次の日はあんたの胸に手をかけてない、次の日まではまだ少し、たくさんじゃないがもう少しある。家にやってくるのは全てを試してからだけだ、何日か、何週間か、さらに何年か経ってからだけ、婆さんは聖人か死者に祈るが、その違いは大きい。彼らが婆さんの祈りに耳を傾けていると信じているが、実際婆さんに何を話しているのかはわからない。
中庭に昨日の午後見かけた娘がいた。同じような服を着て、同じように道に迷っているように見えた。正しい場所に着いたのか、あるいは去っていいのかわからないとでもいうように、家に背を向けていた。彼女の何かを知っているという感覚が再び体の中に湧いてきたが、それが何かわからなかった。もう少しで思い出せそうだった、今にもどこで彼女を見たのか思い出せそうだったが、思い出せなかった。
そっと部屋を出て、階段を降りた。玄関ドアを開けてから、カーテンを開けて外に出た。中庭は空っぽだった。降りるのに数秒しかかからなかったが、その娘はどこにもいなかった。外の道にも姿はなく、未舗装の道はいつもと同じように無人だった。こんな短時間で坂までたどり着くのは走ったとしても不可能だった。どこかに隠れたに違いない。格子戸を開け、外を見回した。この荒地に隠れるところなどなかった、ここには岩とアザミとキイチゴ、全てを出し切って燃え尽きた太陽で焼けた大地しかなかった。
来た道を戻り、もう一度中庭に入った。カーテンを引こうと目を上げると、部屋の窓から自分をじっと見つめている婆さんが目に入った。娘を見たのだろうか、婆さんも同じく彼女を知っているような、知らないような、今にも名前が言えそうな、でもそれがあらゆる折り目や隅っこに逃げてしまいそうな、そんなむず痒い思いをしているのだろうか。
家に入ってドアを閉める。空気は再び重く濃くなり、温度は突然数度上がったように思えた。天井の木が軋み始め、家の中は電気配線のような、路面電車のケーブルのような、今から電車を受け入れようとする線路のような音でいっぱいになった。2階からは家具が引きずられる音、蝶番の軋む音、あっちこっち慌ただしく走り回る足音が聞こえ、止まったかと思うと、また走り出すのだった。
婆さんを探しに行こうと階段に近づいたが、一段目に足をかけた時、全てが止まった。まるで何かを待っているかのように、まさに何かが起ころうとしているかのように家は突然静かになった。その時、ドアを叩く音が聞こえた。続けて2回。玄関に戻ってノブを回した。そこで虚ろな目をしてカーテンをつかみながら敷居に立っていたのは、例の娘だった。初めてその顔を見て、なぜその顔をよく知っているのかわかった。数百回もその写真を見てきた。
それは母だった。