口承芸術であるフラメンコは、長らく、基本的にはバハ・アンダルシアの大いなるジプシー一族の中で守られ、家庭や地域で世代から世代へと伝えられてきた。その歌詞は迫害や疎外の産物であり、そこには反抗心が沈殿している。30年代には、ファンダンゴはもっぱら、ハカの将校フェルミン・ガランや「共和国の小旗」に捧げられてきた。その一方で、フランコ政権末期と民主主義への移行期のあいだは、多くのフラメンコ・アーティストたちが政治がらみで社会的立場を手にした。夜あかしで成り金の男たちのために歌うといった、野外のきつい商売だったフラメンコは、タブラオや夏祭りで披露されるものとなり、ついには劇場で演じられるまでになった。