/

/

グレゴリー・サンブラノ 先生 (東京大学 特任准教授)

Interview

グレゴリー・サンブラノ 先生 (東京大学 特任准教授)

東京大学でラテンアメリカ文学の教鞭を執るベネズエラ人のグレゴリー・サンブラノ先生。日本在住約10年となる先生に、日本との出会い、南米文学と日本文学の比較などについてお話を聞きました。ベネズエラは石油マネーで繁栄してきましたが、チャベス前大統領とマドゥロ現大統領の政策によって、急激に不安定な状態に陥っています。そんな祖国を憂いながらも、サンブラノ先生は、日本の方々にもベネズエラ文学を通して彼らの国のリアルな姿を読み取ってもらいたいと言います。

来日のきっかけ

私は20年前に初めて観光で来日したときから日本が気に入り、いつか暮らしてみたいと思っていました。日本文学は読んでいましたが、フィクションの世界にも増して現実の日本は素晴らしく、一目ぼれしました。日本の文化、暖かい人々、集団としての秩序正しさ、美しい風景、そしてそれらすべての背景にある伝統に魅了されたのです。

 願いというものは声に出していればいずれ叶うものですね。日本に行きたいとあちこちで言っていたら、国際交流基金のプログラムで来日する機会が舞い込んできて、2007年から2009年まで東京大学で安部公房についての研究を行うことができました。その後ベネズエラのロス・アンデス大学に戻って数年教鞭をとったのち、2011年3月に〝定年退職〟。ベネズエラでは勤続25年で定年退職するシステムになっているのですが、私は若くに働き始めた分、退職時の年齢も比較的若かったんです。また日本に行きたいという気持ちはずっと変わらず、今度は2011年の4月から東京大学の准教授の職を得ることができました。ちょうどその直前に東日本大震災が起こったので、正直、来日をためらいましたが、日本が困っている時だからこそ日本にいるべきだと思ってやってきました。それから早8年です。

 安部公房とガルシア=マルケス

 国際交流基金の研修生として滞在した際、ラテンアメリカの作家と日本の作家の比較をしたいと思いました。そこで選んだ日本の作家が安部公房です。彼のファンタジー的な語りが、ガルシア=マルケスの語りと非常によく似ていると思ったのです。安部はもっとも日本人らしくない日本人作家で、その作品にはラテンアメリカ文学に共通する、不条理な世界、アイデンティティの喪失、ユーモア、ユートピアを探求した結果、混とんとし、偽善にあふれたディストピアにたどり着くといった要素があふれています。その研究の第一歩として、私は日本のラテンアメリカ文学研究者たちにインタビューをし、ラテンアメリカの作家の作品を日本人がどう受け止めているかを調べました。10人にインタビューしたレポートは、インスティトゥト・セルバンテス東京が1冊にまとめてくれました(写真)。また、安部公房とガルシア=マルケスを比較した論文『Hacer el mundo con palabras – Los universos ficcionales de Kobo Abe y Gabriel García Márquez』はベネズエラでエッセイ賞をとり、ロス・アンデス大学から出版されました。

 安部公房の作品は1989年に『砂の女』、1994年に『他人の顔』がスペイン語に訳されましたが、他の作品がスペイン語に訳されることはなく、スペイン語圏ではすっかり忘れ去られていました。しかしその後、私の研究を手伝ってくれた寺尾隆吉先生が、安部の作品をいくつかスペイン語翻訳し、私が解説などを書いて何冊も出版されています(『箱男』『人間そっくり』『密会』他)。1万部出版された短篇集の豪華本もあります。とても反響がよかったため、スペイン語圏の出版社たちは、その後他の日本人作家たちの作品にも興味を抱いてくれました。スペイン語圏の読者たちは、今、安部公房をはじめ、日本の作家を発見できる恵まれた状況にあると思います。

中南米文学の邦訳

 残念ながら今春亡くなられた鼓直先生は、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を、南米に一度も行くことなく訳されました。驚くべき語彙力に加え、人間らしい暖かさや素晴らしいユーモアのセンスがあった方です。私も何度かお会いする機会に恵まれましたが、言葉遊びをしたり、皮肉を利かせたりなど、話していてとても楽しかった。とても南米人っぽい方でしたね。

 鼓直先生やそのお弟子さんたちが南米の作品を次々と日本語に訳して60年代ラテンアメリカ文学のブームを作りました。今、彼らの次の世代のスペイン語文学研究者たちが、若い作家の作品を発掘し、積極的に紹介しています。その一方で、これまで日本では知られていなかったベテラン作家の作品も訳しています。その好例が、最近出版された野谷文昭先生編訳の『20世紀ラテンアメリカ短篇選』(岩波文庫)でしょう。まさにスペイン語圏を代表する素晴らしい20名の作家の、優れた短篇が選ばれています。その中にベネズエラ人のサルバドル・ガルメンディアも含まれていて嬉しかったですね。彼は国内では大人気の作家ですが、ベネズエラの外ではほとんど無名です。

スペインの出版社が流通の鍵

 中南米の作家が自国で作品を出版したとしても、通常その本はその国内のみか、よくても近隣の数か国でしか流通しません。例えばグアテマラ人の作家が自国で作品を出版すると、アルゼンチンやチリに読者を得ることはできないでしょう。頑張っている独立系の小さな出版社もありますが、出版・流通できる部数は大変限られています。実は、中南米作家の多くはスペインの出版社のお陰で世界中に読者を得ることができています。スペインで出版された作品が、中南米に逆輸入されるのです。中南米の作家同士も、スペインの出版社を通して初めてお互いの作品を知るというおもしろい現象が起こっています。スペイン語圏で幅広く読んでもらうには、スペインの出版社から出さないといけないのです。つまり、多くの場合、中南米作家の作品に影響力を持っているのはスペインの出版社と言えます。ただ、スペインの本は一般的に、中南米の人々にとって高価すぎます。ベネズエラなどでは、1冊の本が最低賃金の月給10か月分くらいの金額に相当することもありますからね。そのため、ベストセラー作品などは、スペインで出た後、中南米の出版社からも発行され、安価で流通することがあります。

おすすめベネズエラ作品

 ぜひ日本語に訳してほしいベネズエラの小説を3つ紹介しましょう。

 まずは、1981年生まれの若手作家ロドリゴ・ブランコ・カルデロン(Rodrigo Blanco Calderón)の『The Night(仮訳:夜)』という作品です。もともと英語のタイトルがつけられています。マリオ・バルガス・リョサが2年に一度授与する文学賞「Premio Bienal de Novela Mario Vargas Llosa」を受賞しています。チャベス政権時代のベネズエラで起こる女性連続殺人事件と、それにかかわる文学者たちを描いており、政治的な作品ですが、実在の文学者の話も登場する文学的な内容でもあります。

 次に、現在はスペイン在住のベネズエラ人ジャーナリストで女流作家のカリナ・サインス・ボルゴ(Karina Sainz Borgo 1982年生まれ)が書いた『La hija de la española(仮訳:スペイン女の娘)』です(注:今年のNew Spanish Booksのおすすめ作品に選ばれています)。刊行前から彼女は幸運に恵まれました。これが処女作であるにもかかわらず、スペインの出版社と契約を交わすのとほぼ同時に、フランクフルトのブックフェアで22ヵ国と出版契約が決まったんです。スペインの出版社Lumenがこの作品を信じてプロモーションに力を入れたおかげでしょう。現在のベネズエラの状況が、風刺やユーモアを交えてとてもうまく描かれた作品です。

 最後に、こちらもスペインに20年ほど在住しているベネズエラ人作家フアン・カルロス・メンデス・ゲデス(Juna Carlos Méndez Guédez 1967年生まれ)の『La ola detenida(仮訳:止められた波)』という作品をおすすめしたいと思います。権力者の横暴、収賄、麻薬、暴力がはびこる現在のベネズエラの首都カラカスと、街の古い伝説をからめ、超人的な力を持つ女性探偵が活躍する、とてもおもしろい犯罪スリラーです。すでに数か国語に訳され出版されているはずですし、書評もたくさん出て、最近富に注目を集めている作家です。

 他にも素晴らしい作家や作品がいくつもありますが、これら3作品は特に現在のベネズエラ社会の状況をとてもよく描いているものです。テレビや新聞の情報だけでなく、こういった作家の目を通してベネズエラの現状を知ってもらうことはとても大事なことだと思っています。彼らは比較的若手の作家ですが、皆、現政権に反対する人たちです。逆に、マドゥロ政権を支持する作家は知りませんね。現政権を支持するということはつまり、人権無視や国の崩壊を称賛するということですからね。そんな作品を書く勇気がある人はいないのではないでしょうか。マドゥロ政権もプロパガンダには大金を投じていますが、文学で自分たちの思想を訴える能力はないようです。

グレゴリー・サンブラノ(Gregory Zambrano)

東京大学の大学院総合文化研究科・教養学部付属 グローバルコミュニケーション研究センター トライリンガル・プログラム(TLP)特任准教授、および作家。メキシコのエル・コレヒオ・デ・メヒコでスペイン語文学の博士、ベネズエラのロス・アンデス大学でイベロアメリカ文学修士を修める。ロス・アンデス大学で教授として勤めあげ、退官後現職。『De historias, héroes y otras metáforas』『Cartografías literarias 』『Hacer el mundo con palabras』など、詩集、エッセイ、文芸批評など著書も数多い。