Interview
パコ・ロカ 氏 (マンガ家)
スペインの売れっ子マンガ家パコ・ロカ氏。認知症を主題にしたコミック『皺(しわ)』は2012年に日本語に訳され、文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞しました。この作品はスペインでアニメーション映画化され、日本では三鷹の森ジブリ美術館のライブラリー作品として配給・上映されて話題に。今年、その続編ともいえるコミック『家』の邦訳出版を記念し、またロカ氏原作の新しいアニメーション映画『パジャマを着た男の記憶』が東京アニメアワードフェスティバルのオープニングを飾るのを機に、5年ぶりに来日しました。インスティトゥト・セルバンテスで開催された海外コミック評論家小野耕世氏との対談で、ロカ氏が語った自作やコミック市場の変化に関するお話を紹介します。

新作『家』について
スペインの独裁政権時代を生きた父は、息子たちには自分たちが経験したような貧しさや苦労は体験させたくないと頑張って働いてきた世代です。民主化後スペインでは中流階級が増え、生活に余裕が生まれるようになります。父も小さなセカンドハウスを手に入れ、週末や休暇になると家族でそこで過ごすという地中海的な生活を楽しみました。しかし父も2013年に亡くなりました。元々とてもアクティブな父でしたが、ぼくの中で特に思い出に残っているのはすっかり弱ってしまった最期の数ヶ月の姿かもしれませんね。ぼくは愛する人を失って心に空いた穴をどうするかという精神的な問題と同時に、現実の問題として、父亡き後に放っておかれていたセカンドハウスをどうするかで悩みました。しばらくして家を訪れたら、残されていたものがいろいろぼくに語りかけてきたんです。
それを作品にしたのがこの『家』。これを描くことには、父を失った後のセラピーのような効果がありました。家の周りの風景や自然をたくさん描きましたが、ぼくが日本の文学や映画から影響を受けているからかもしれませんね。景色のシーンが多いと読む速度もゆっくりになります。そのペースにこの横長のフォーマットがぴったりマッチしたと思っています。
『皺』について
『家』は父が亡くなった後に残された家族を描いた作品ですが、2007年に出した『皺(しわ)』の続編といえるかもしれません。『皺』は、認知症になった父親が老人ホームに入れられ、そこで過ごす様子をテーマにしています。この題材を描きたいと思ったとき、出版してくれる会社も買ってくれる読者もいないだろうなと思いました。そこで、なるべく従来のコミックファンにも手にとってもらえるよう、実際に描きたかったことよりも、ユーモアや、ミステリっぽい要素(見知らぬ老人ホームに置き去りにされる、重症者が収容されている2階から聞こえてくる叫び声)、危機的場面(認知症の悪化)といった“仕掛け”をたくさんとり入れました。ぼくが『皺』を描いたとき、父はまだ生きていました。そういう意味で、ぼくはまだ楽観的だったのかもしれない。でも、父を亡くした後に描いた『家』はもう少し苦味のある作品になっています。人生とはこういうもので、そのまま受け入れなくてはいけないという心境になり、“仕掛け”の少ない素直な作品に仕上がりました。今『皺』を描いたら、まったく違った作品になると思いますよ。
『皺』は海外でいろいろな言語に翻訳されて読んでもらえました。おもしろかったのが、アメリカの読者の反応です。ヨーロッパや日本の読者は「父親を老人ホームに入れる息子の葛藤」というシチュエーションを素直に理解してくれましたが、アメリカ人の読書からは「どうして葛藤を感じるのかわからない」と言われました。アメリカでは、子どもは大学に行って親元を離れたらひとりの大人として独立した存在になります。親は子に頼らず自分で人生に始末をつけなくてはならない、という意識が浸透しているのでしょう。だから自ら抵抗なく老人ホームに入るようです。でもヨーロッパでは、そしておそらく日本でも、まだ家族内で助け合うという伝統が残っています。実際10年ほど前にスペインが経済危機に陥って若者の失業率が高まったときは、家族が結束し、親世代が失業した子供たちを経済的に支えました。親を家庭で世話せずに老人ホームに入れる子どもたちの罪悪感、そしてホームに入れられて家族から見放されたと感じる親の気持ち。これがアメリカ人には奇妙に感じられたようです。
ヨーロッパのコミック
ぼくが描いてきた家族を巡る情景や、自然と人との関わりというテーマは、日本の文化に似たところがあると思います。日本のマンガや映画は日常を描いている作品が多いけれど、西洋人はそれを学び真似するようになってきているのではないでしょうか。谷口ジローさんの『歩くひと』はすばらしい作品で、ヨーロッパで大人気です。壮大なストーリーはない淡々とした作品だけれど、独特の読後感を味わえます。かつて西洋のコミックやアニメーションはほとんどが子どもや青少年だけを対象としたヒーローもの、冒険ものでした。著者の実像が登場人物のキャラからかけ離れていて、作品の後ろに著者の顔が見えなかった。でも近年はヨーロッパでもコミックはより小説や映画に近づき、新しい読者を得ました。著者は恥じることなく己のビジョンや自分自身のことをコミックで語れるようになってきました。最近ヨーロッパでは、新しいテーマのコミックが次々とうまれていますよ。
スペインのコミック市場
1980年代に盛況だったスペインのコミック市場は、しだいに衰え90年代にほぼ消滅してしまいました。当時1万部出版されれば大ヒットでしたが、それらは1万人のコアなコミックファンにしか届かなかった。販売ルートもコミック専門店のみでしたからね。どこも薄暗くセックスショップのようないかがわしい雰囲気をかもし出していて、新しいファンを開拓するのは難しかったと思います。しかしフランスの大きな流通チェーンFNACがスペインにも進出し、書籍売り場にコミック専用コーナーが現れると、他の大手書店や百貨店もそれに続き、2000年代に後半にはコミックがより幅広い人の目につくところで販売されるようになりました。またスペイン政府が国民文学賞のコミック部門を2007年に作ったことも大きな功績だったと思います。ぼくの『皺』が2年目に受賞しましたが、おかげでメディアにもたくさん取り上げられ、書評も増え、販売網も広がりました。こういった動きに平行して新しい切り口やテーマのコミックがどんどん増えていき、新しい読者獲得につながっていったのではないかと思います。
おかげでコミック作家は、それまではなかった“尊厳”を手に入れました。作者が描きたいものを描けるような土壌が育ち、ぼくもテーマや時間の制約から解放されるという大きな自由を得ました。収入増にはまったくつながらないのが困りものだけどね。
パコ・ロカ(Paco Roca)
1969年スペイン・バレンシア生まれ。地元の美術商業学校でグラフィックデザインを学び、広告のイラストレーションの仕事を経て漫画家に。1994年成人向け漫画雑誌で漫画家としてデビュー。フランスで2007年に、そしてスペインで2009年に出版した『皺』が、スペインの国際文学賞のコミック部門で受賞し一躍有名に。この作品は日本の文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞。アニメーション映画化された『しわ』はスペインのアカデミー賞と呼ばれるゴヤ賞で最優秀アニメーション賞と最優秀脚本賞を受賞。当ニュー・スパニッシュ・ブックスでも紹介されたエンターテイメント性の高い自伝的作品『パジャマを着た男の記憶』は、2018年にスペインでアニメーション映画化され、今年の東京アニメアワードフェスティバルで世界に先駆けて上映された。2015年の作品『家』の日本語版は、2018年1月小学館集英社プロダクションより刊行。