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野谷文昭先生(東京大学名誉教授・名古屋外国語大学名誉教授・New Spanish Books 選考委員長)

Interview

野谷文昭先生(東京大学名誉教授・名古屋外国語大学名誉教授・New Spanish Books 選考委員長)

2011年にNew Spanish Books(以下NSB)の当ポータルサイトを日本語で開設してから、今年で10年(12回目)を迎えました。「スペイン語の書籍をなんとかして日本の皆さんにもっと読んでもらいたい」という願いから、日本の出版関係者に日本語でスペインの最新書籍情報をお届けしようという趣旨で始まったプロジェクトです。 一回目から選考委員として10年にわたってNSBを育ててくださった野谷文昭先生に、NSBのこの10年、そして今後についてご意見を伺いました。

New Spanish Booksには一回目から関わらせてもらっているけど、まさか10年続くとは思わなかった(笑)。これまでNSBで紹介した本の中から、少なくとも30数冊が邦訳で出版されているようですが、その中でも特に突出しているのが、『アウシュヴィッツの図書係』(集英社、2016年)でしょうか。すでに13刷以上で、ブクログ大賞の海外小説部門で受賞もしていますね。それから、キルメン・ウリベがバスク語で書き、金子奈美さんが訳した『ムシェ 小さな英雄の物語』(白水社、2015年)も、第2回日本翻訳大賞を受賞して話題になりました。NSBの初年には『サグラダ・ファミリア:ガウディとの対話』(原書房、2011年)という、大きなビジュアル本が出ましたが、これはサグラダ・ファミリアの主任彫刻家である外尾悦郎さんが著者で、元はスペイン語で出ていた本でした。また2012年に出た『サンティアゴ巡礼の歴史 伝説と奇蹟』(原書房)もそうですが、そのころは特にスペインらしい題材の本が選ばれていましたね。当時はサッカー関係の本や自己啓発系もスペインの出版社からたくさん送られてきていて、『モウリーニョの哲学』(SBクリエイティブ、2013年)というサッカー監督の本も刊行されました。自己啓発本も、おもしろいものはちゃんと目にとめてもらって、出版されてきた感があります。

毎年スペインの出版社が、自分たちが日本で出してほしいと思う本を3冊まで送ってきますが、最初のころは、正直「なんでこんな本を日本で出そうと思うかな?」というような本も、たくさんありましたよね。年とともに、だんだんトンチンカンなものは減ってきた気がするけど。届く本は、初期はフィクションとノンフィクションが半々くらいでしたが、2013年くらいからは、児童書と文学が圧倒的に多くなりました。

国立国会図書館のデータベースによれば、スペイン語が原書で邦訳された本のタイトル数は、年によってばらつきはあるものの、この20年で40%増えていますね。フランス語とドイツ語原書の邦訳が、総数で言えばスペイン語より断然多いものの、それぞれ約25%、40%減少しています。一方、韓国語の本は120%以上増えています。文化的に日本と近い韓国の本と比べるのは難しいとは思いますが、スペインの本ももう少し浸透してほしいものです。韓国映画とか韓流ドラマが流行ったことも大きいんじゃないでしょうか。スペインのドラマでは、例えばNSBで紹介した原作の小説が邦訳出版もされた『情熱のシーラ』がNHKで放送されましたが、南米で「テレノベラ」といわれる、ドロドロの人間関係を描くドラマなどは、日本じゃなかなか受け入れられないかな(笑)。日本では、「スペイン=情熱」と考えられているけれど、実際はスペインの文化って暗いんですよね。スペインで「パッション」といえば宗教的なもので、暗いのが当たり前なんだけど。日本でスペインを形容する「情熱」という言葉には、本来そういう暗いイメージはなくて、おそらくフラメンコや闘牛といった、表向き派手で激しい文化のイメージで作り上げられたものでしょうね。書籍に関しても、送られてくる本は、結構暗いものが多い(笑)。そうはいっても、1986年にスペインがEUに加盟してから30年以上が経ち、出版の世界でも、スペイン独特の個性を持った作品は減ってきている感はありますね。

NSBがスペイン語訳者やリーダーを育てる基盤に

NSBを10年間続けてきたことで生まれた予想外の大きな収穫は、リーディングをしてくれる人たちの層が厚くなり、彼らの実力がすごく上がったことです。リーダーたちは、1回目の選考会議で選ばれた本を1ヵ月足らずで集中して読み、レポートを書きます。単に読んで終わりではなく、内容をまとめ、所感や試訳も書くことは、とてもいい訓練になります。実際にプロの翻訳者として実績のある人もいますが、これを機に翻訳者デビューした人もいます。このプロジェクトに最初から加わって、スペイン語がきちんと読めるリーダーを集めたり、彼らが書くリーディングレポートを丁寧に添削していた井戸光子さんの功績は計り知れませんね。残念ながら2016年に亡くなってしまいましたが、その後を受け継いだ人たちも頑張ってくれています。リーダーの人たちがどれくらい自覚しているかわかりませんが、本当にいい経験になっていると思いますよ。

日本では、これまでスペイン語の文学や翻訳をやっている人たちが互いに出会う場がほとんどありませんでした。NSBで初めてリーディングをしたという人たちも、プロで活躍している他のリーダーを「ロールモデル」とすることができる。それはとても大きい。また、年一度開催されるNSBのレセプションには出版業界の人たちがたくさん集まるので、リーダーもそこで編集者の意見も直接いろいろ聞くことができます。僕が若かった頃は、スペイン語をやる人はほとんどが商業目的か言語の研究者で、スペイン語圏文学界のロールモデルとなる先輩がほとんどいなかったから、全部自分で手探りでやらなければならなかった。それと比べると、今は羨ましい環境です。これを活かして、リーダーたちの座談会を開催したり、スペイン語界以外の人たちとも交流する機会を設けて、もっと輪が広がるとおもしろくなりそうですね。

野谷文昭(のや・ふみあき)

東京大学名誉教授・名古屋外国語大学名誉教授。神奈川県生まれ。東京外国語大学外国語学研究科修士課程修了(ロマンス系言語)。主な訳書にガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』、ボルヘス『七つの夜』、プイグ『蜘蛛女のキス』、コルタサル『愛しのグレンダ』、ボラーニョ『2666』(共訳)『チリ夜想曲』等。編訳書に『20世紀ラテンアメリカ短篇選』『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語:ガルシア=マルケス中短篇傑作選』等。著書に『マジカル・ラテン・ミステリー・ツアー』『ラテンにキスせよ』『越境するラテンアメリカ』等がある。