■概要
コリは難民キャンプで暮らす耳の聞こえない少年。唯一の友だちは仔ラクダのキャラメルだ。ラクダが口をもぐもぐと動かすのを見て、人間と同じように唇を動かして話していると考えたコリは、読み書きを覚えてキャラメルの言葉を書き取るようになった。しかし、楽しい日々は長くは続かなかった……。スペインで長く読み継がれてきた名作の、出版20周年を記念した特別版。
■主な登場人物
コリ 難民キャンプで暮らす8歳の少年。生まれつき耳が聞こえない。
キャラメル キャンプで飼われている仔ラクダ。
アハメド コリのおじ。キャラメルの飼い主。
マハフダ コリの母。
ファティメツ コリが通う学校の教師。コリに読み書きを教える。
■あらすじ
コリはアルジェリアの砂漠につくられた、西サハラ難民のキャンプで暮らしている。耳が聞こえないコリは、ほかの人たちが唇を動かして話をすることは知っているが、その動きがなにを意味するのかはわかっていない。でも唇を丸くしてから左右に伸ばして歯を見せる動きが、自分の名前「コリ」を表すということは知っていた。母さんが教えてくれた。
コリはキャンプで飼っているラクダを見るのが好きだ。いつも唇を動かしているから、人間と同じようにラクダもしゃべるのだと考えていた。それが反芻という行動だとは知るよしもなかった。
ある日、おじさんが飼っている雌のラクダが仔を産んだ。キャラメル色をした小さなラクダは、コリを見て唇を丸め、横に引いた。コリの名を呼んだのだ! コリはその仔ラクダを「キャラメル」と名付け、心を通い合わせるようになった。
キャラメルという唯一の友だちができたことで、コリはほかの人たちがしているように、唇を動かしておしゃべりしたくなった。最初のうちは難しかったが、だんだんキャラメルが言っていることがわかるようになってきた。コリは体の不自由な子どもたちのための学校に通っているが、読み書きは習っていない。でも、詩のように美しいキャラメルの言葉をどうしても書き留めたくなって、字を書けるようになりたいと先生に懇願した。耳の聞こえない子どもにどうやって読み書きを教えればいいのかと、ファティメツ先生は悩んだが、コリの熱意に心を動かされた。そして自分の喉にコリの手を当て、振動を感じさせながら、それに相当する文字を書くという方法で根気強く教え込んだ。
こうして文字を覚えたコリは、暇さえあればラクダがいる囲いに行って、キャラメルの言葉を書き留めた。たとえば日食の日には、こんな言葉を書いた。「太陽と月は愛し合っている、だから空で結びつくのだ」子どもが書いたとは思えない文を見て、ファティメツ先生は驚き、身振りで尋ねた。「どこからこんな言葉が出てきたの?」コリはノートに答えを書いた。「キャラメルの言葉だよ」
一年が過ぎ、キャラメルは大きくたくましいラクダに成長した。コリはどんどん長い文章を書くようになっていった。コリが綴るキャラメルの言葉は、西サハラの昔の詩人たちが書いた詩のように、優しく美しかった。
ずっと続いていくかに思えた楽しい日々は、突然終止符を打たれることになった。飢餓がキャンプを襲い、コリのおじであるアハメドは、皆に食べさせるためラクダを一頭犠牲にすると決意した。そこで選ばれたのがキャラメルだ。雌のラクダなら乳が出るし、ほかのラクダを育てることができる。だが雄のラクダは役に立たず、生かしておけばそれだけ餌が必要になる。しかも大人に近づいたラクダの肉は、放っておけばどんどん固くなる。急がなければならなかった。
キャラメルが殺されることを知ったコリはひどいショックを受け、泣きつづけた。アハメドは甥の悲しみを思って苦悩したが、キャンプの人たちを飢えさせないためには、ほかに方法がなかった。
その日からコリは学校に行くのもやめて、囲いのそばでずっと過ごすようになった。そしてキャラメルが犠牲になるまであと二日というときになって、コリは決意した。キャラメルをつれ、夜中にこっそりキャンプを抜け出したのだ。こうして夜は極寒、昼は酷暑の砂漠を歩く逃避行が始まった。
翌朝、キャンプは大騒ぎになった。アハメドはジープを手配し、コリとキャラメルの足跡を追って砂漠へ捜索に乗り出す。ようやくコリたちを見つけたのは、いなくなってから二度目の夜明けを迎える頃だった。
キャンプに戻ると、否応なく殺害のときがやってきた。まずは畜殺人たちがキャラメルを座らせ、頭をメッカの方角に向ける儀式を行う。コリはその間、キャラメルのそばにしゃがみ込んでいた。
やがてアハメドが合図をし、畜殺人が首を切り落とすと、コリは驚いて立ち上がったが、キャラメルの口がなおも動いているのを見て、逃げ出したい気持ちをこらえまたしゃがみ込んだ。そしてノートを取り出し、キャラメルの言葉を書き留めた。
成長したコリは努力を重ね、声を出してしゃべれるようになった。一風変わった、だけど美しくてはっきりした声だった。そして変わらず、詩を書いていた。
毎日ラクダの囲いに行って座り込む。その姿は、まるでラクダと対話しているようだという人もいた。それから丘に登り、ノートに詩を書いて瞑想する。そんなコリのそばにある日、西サハラの偉大な詩人がやってきた。詩人は言った。
「きみの書いた詩を読んだよ。美しい、とても美しい詩だった。どこからあのような着想を得たんだい?」
長い沈黙のあと、コリは答えた。
「わたしが作った詩ではありません。わたしはただ書いただけです。ずっと昔の、親友の言葉を」
コリのその詩のタイトルは、「キャラメルの言葉」といった。
■所感・評価
かつてスペイン領だったアフリカ北西部の西サハラ地域。モロッコによる領有か、独立かを巡って現在も衝突が繰り返されており、ここから逃れてきた人々が暮らす難民キャンプが本書の舞台だ。
主人公は耳が聞こえない少年、コリ。家族はいるものの、簡単な身振りによって日常の用件を伝え合うのが唯一のコミュニケーション手段で、キャンプ内の健聴児たちからは石を投げられ、いじめられている。虐げられた人々が集う難民キャンプのなかでもさらに不遇な存在といえるだろう。孤独を抱えるコリが、唯一心を通い合わせることができたのが仔ラクダのキャラメルだった。ラクダが反芻行動でずっと口をもぐもぐさせているのを見て、人間と同じように話しているのだと考えたコリは、キャラメルの言葉を書き取ろうと、ヘレン・ケラーを彷彿させるような方法で読み書きを身につけていく。コリが書き取ったキャラメルの言葉が見事な詩になっていたというのはファンタジーにも思えるが、実はそれまでコリの心にあった思いが、キャラメルの言葉という形で紙の上で結晶したという解釈も成り立つかもしれない。
作者のゴンサロ・モウレはグラン・アングラール、バルコ・デ・バポールなど数々の児童・YA文学賞の受賞歴を持ち、スペイン児童文学界を代表する作家のひとりだ。2017年にはその業績に対してセルバンテス・チコ賞が贈られている。
専業作家になる前はジャーナリストとして活動していたモウレが、長年関心を寄せているテーマのひとつが西サハラ問題だ。また社会的弱者に寄り添う作品も数多く、聴覚障害を取り上げた本書のほか、アラ・デルタ賞受賞作『Maíto Panduro(マイート・パンドゥーロ)』ではジプシー・非識字者、2020年の注目作『Mi Lazarilla, Mi Capitán(私のガイド、私のキャプテン)』では視覚障害者を主人公に据えている。いずれも、ともすれば重くなりがちなテーマだが、決して状況を悲観するばかりではなく、喜びを見いだしながら暮らし成長していく少年少女たちを描いているのが彼の作品の特徴といえるだろう。
本書の初版は2002年。その後30回以上も版を重ね、出版20年を記念して新装版が発売された。2016年には本作を原作とする短編映画が制作され、ゴヤ賞にノミネートされている(https://www.premiosgoya.com/pelicula/palabras-de-caramelo/)。作者のモウレは長年、西サハラの難民キャンプへの訪問を続けており、そこで出会った耳が聞こえない少女、ファティメツとの対話から物語の着想を得たという。本書が厳しい現実を描きながらも優しさに満ちているのは、作者が実際に触れ合った西サハラの人々への、愛情に裏打ちされた物語であるからにほかならない。
近年では『目で見ることばで話をさせて』(アン・クレア・レゾット著 横山和江訳 岩波書店)をはじめ、聴覚障害や手話をテーマとした児童・YA作品が高い評価を受けており、映像作品でもこのテーマが多く扱われるようになっているが、本書は難民キャンプで暮らす耳が聞こえない少年という、ほかに類を見ない切り口から書かれているという点で、新しい視点を与えてくれる作品だといえる。
また日本ではなじみのない西サハラ問題に深く踏み込み、キャラメルが首を切られて血が噴き出すといった場面まで容赦なく描写しているといったところも児童書としては異色だが、目を背けてはならないものがあるということを伝える意味でも、本書を日本で紹介する価値は十分にあると考える。
なお、文中には人名だけでなくhammada(岩石砂漠)、jaima(テント、住居)といったアラビア語が頻出するため、翻訳に当たっては専門家による発音や意味の監修を受けることが望ましい。
■試訳
(p.19 7行目~p.22 最終行 生まれたばかりのラクダとコリが出会う場面)
コリのおばさんは囲いのなかで、雌ラクダ、仔ラクダといっしょにいた。おばさんは小さなラクダを指さし、コリに向かってなにかいった。コリはほほえんだ。キャラメル色をした新しいラクダを、すごく気に入っていた。動きがぎこちなくて、長くたよりない脚でどうにか体を支えている。毛がやわらかそうで、なでてみたくなった。
仔ラクダはお母さんのおっぱいをほしがって、おなかの下に入りこんでいる。ときどき、母ラクダがその顔をなめた。
たまらないほどうれしくなって、コリは笑った。
コリのおばさんはまた仔ラクダを指して片方の手を上げた。どう思う、ときくしぐさだ。コリは力強くうなずいた。好きだよ、大好きだという意味だ。仔ラクダをそのなかに入れたいとでもいうように、力いっぱい目を見開いた。
ラクダをなでさせようと、おばさんはコリを囲いのなかに入れた。母ラクダはおばさんがおさえてくれたので、コリは仔ラクダに近づくことができた。小さなラクダはコリを見て、くちびるを動かした。
コリにはわかった。くちびるを丸め、それから口を左右に引っぱる。「コリ」だ。
≪ぼくの名前を知ってるんだ!≫
コリはラクダを指し、片方の手の指を上げた。≪それで、きみは? なんていう名前?≫
仔ラクダはくちびるを動かしつづけた。コリにはわかった。くちびるを開き、くちびるを閉じ、くちびるを開き、くちびるを閉じ……。
コリはまた笑い、小さなラクダの頭をなでた。やわらかであたたかかった。
心のなかで、コリは仔ラクダをキャラメルと呼んだ。その色と甘やかな手ざわりで、思い出したのだ。つるつるした紙に包まれ、口に入れると甘い味のするあのお菓子を。
≪きみをキャラメルと呼ぶことにするよ≫音を出さずにくちびるを動かしながら、コリは思った。
仔ラクダはコリを優しい目で見た。その名前を受け入れてくれたんだと思った。そのときから、コリとキャラメルはおたがいのことが大好きになった。
(p.60 1行目~下から7行目 コリとキャラメルの砂漠での逃避行の場面)
夜明けは寒かった。コリはアノラックのボタンをとめ、目の部分だけすき間をあけて、黒いターバンをしっかりまきつけた。自分がはいた息をすいこむと、出ていった熱が少しもどってくる。火にあぶられて赤くなったおわんみたいな太陽が東のほうに顔をのぞかせ、砂漠に灯がともった。ピンク色の影、でもなにもないところに落ちる影。木も、草も、なにも。どこまでも広がるさびしさ、果てしのない空白。
コリはキャラメルを見て、≪ぼくたち、どこに行くの?≫というつもりでくちびるを動かした。キャラメルもたえず反芻しながら、くちびるを動かした。その目は疲れているように見えた。コリはくちびるの動きを読んだ。≪ついておいで≫
井戸で水を飲んだ母ラクダの子どもが、その井戸のある方角についての記憶をかくし持っていることを、コリは知らなかった。キャラメルじしんも知らなかったが、頭のなかでなにかが≪あっちのほうへ、あっちのほうへ≫といっていた。そしてコリはキャラメルについていった。