■概要
なぜヒトは病気になったり、老いるのか。自然環境への適応にも関わらず、病の苦しみがなくならないのは進化の失敗なのだろうか。こうした問いに、生物学者であり、人類史研究の第一人者でもあるマリア・マルティノン・トレスは新たな視角を提供する。彼女の議論は、私たちの欠点にこそ、ホモ・サピエンスの適応の重要な側面が隠されているというものである。本書は、癌、感染症、免疫系障害、神経疾患、老い、死の恐怖などを、我々の進化の軌跡のなかに位置付ける。これは、私たちの「弱さ」を描くのではなく、生きる苦しみとその傷跡をめぐる「曲がりくねった道」のなかに人間の連帯と回復力の物語を読み解くような、科学読み物である。
■目次
序. 不完全な過去形
プロローグ. 痛いところをついてみる
1. 糸杉の影-死について
2. 人生の法則-老いについて
3. こわいことを知りたくて旅にでかけた男の話-恐れと不安について
4. 記憶の人フネス-睡眠障害について
5. ノーカントリー-癌について
6. 英雄伝-感染症とパンデミックについて
7. 長距離ランナーの孤独-思春期について
8. ヘンゼルとグレーテル-食べ物について
9. にぎやかな森-毒素とアレルギーについて
10. 蠅の王-暴力について
11. ドリアン・グレイの肖像-死生観について
エピローグ. レイモンド・カーヴァーの黄色いバラ
謝辞
参考文献
■内容
本書は、スペイン語圏最大手の出版グループであるプラネタ・グループの一員であるデスティノ社から、一般向け科学読み物シリーズの一つとして刊行された。そのテーマは、人類の「不完全さ」とされてきた数々の病気などであり、それらを進化の歴史のなかに位置づけ直すことによって、読者に視座の転換をせまる。筆者は序文で、小児科医である父に憧れて医学の道を志し、しかし結局は人類史という隣接分野にも研究領域を広げてきた自らの来歴を明かす。そしてプロローグにて、「病気になること」という「不都合」なテーマがなぜ興味深く、重要なのかを説く。その上で、「死」や「老い」といった不可避な問題から、「睡眠障害」や「癌」といった慢性疾患、さらにはパンデミック、思春期、そして死生観に至る11のテーマを、人類の進化史という観点から読み解いてゆく。
■所感・評価
近年、一見すると「失敗」や「不都合」にみえるような生物の進化が、実は環境への適応と生存に重要であったという逆説を示唆するような、「ざんねんな生き物」に関する科学書が人気だ。本書もまた、一見すると「ざんねん」とも思える人類の欠点を択え直す試みといえる。このテーマに対する一般読者の関心は世界的に高く、本書の版権は韓国(玄岩社)、中国(銀杏書房)、そしてトルコでも販売済みである。他方で、日本語の科学読み物としても、小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書、2023年)や更科功『残酷な進化論』(NHK出版、2019年)など、いくつかの類書がすでに刊行されている。
以上の出版状況を踏まえると、人類の「不完全」な部分に迫るという原著のもともとの宣伝文句は、より端的に要点がまとめられた新書の存在する日本においては、十分なアピールたりえないと考えられる。しかし、類書よりも幅広いテーマに関して、国際的に活躍する研究者としての実体験を交えつつ、著者がその人文学的素養を活かした豊かな記述を展開している点に、本書の真の独自性が認められる。
著者のマリア・マルティノン・トレスは、スペイン国立人類進化研究センターの所長である。また同時に、初期人類の人骨や生活の痕跡が発掘され、2000年に世界遺産となった「アタプエルカの考古遺跡」の研究プロジェクトにも携わっている。医学と人類学それぞれの専門家どうし、さらには専門家と非専門家の橋渡しに長年取り組んできた著者は、説明の序章に文学的な文章を挿入しつつ、流れるような語り口で専門用語を噛み砕き、いわゆる「理系」と「文系」の二分法を超えて、あらゆる読者を夢中にさせる術を身につけている。
そのことは、本書のなかで展開する人類史をめぐる11のエピソードに、それぞれ文学作品や映画のタイトルが添えられていることからも明らかである。例えば、記憶と睡眠障害の関係にせまる第4章は、あまりに完璧な記憶力を有するがゆえに不眠の状態にあった男に関する、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編小説「記憶の人フネス」(『伝奇集』所収)のエピソードを起点として始まる。寓話的な語りで読者を人類史のロマンへと誘いつつ、最新の研究データや学会で出会った研究者たちのエピソードを交えて医学的なリアルへと呼び込むところに、本書にしかない学際的な面白さがある。
翻訳と出版にあたっては、例えば、『「苦しみ」をめぐる人類史11のエピソード』のような射程の広いタイトルを設定したうえで、文学作品などの翻訳経験がある訳者に翻訳を依頼することが求められるかもしれない。そういった企画上の類似点を有する作品としては、イタリアの理論物理学者であり作家でもあるカルロ・ロヴェッリによる一般読者向け科学読み物である『カルロ・ロヴェッリの科学とは何か』(栗原俊秀訳、河出書房新社、2022年)が挙げられる。
■試訳
「祖父母に長寿を授ける」(P. 47-)※「2.人生の法則-老いについて」より
私たち人類は、たぐいまれな長寿種だ。チンパンジー、オランウータン、ゴリラといった、動物界で最も近い親戚である大型霊長類と比べ、私たち人間の平均寿命は数十年も長い。ホモ・サピエンスの平均寿命が85歳とされるのに対し、チンパンジーは53歳、ゴリラは54歳、オランウータンは58歳である。種が長生きすれば子どもを産む期間も長くなるので、長寿は繁殖の成功に有利であると考える人もいるかもしれない。しかし、私たちと霊長類のライフサイクルをよく見てみると、驚きの事実が明らかになる。長寿な人類が最初に子孫を残す年齢は19.5才であり、それは、10~15才から子孫を残し始める他の霊長類がに比べてかなり遅い。その遅れが、より遅くまで子孫を残すことで取り戻されるわけではなく、人類は42~45才で子孫を残すことをやめてしまう。人類の繁殖期間(約25.5年)は、はるかに長く生きているにもかかわらず、霊長類の平均(約29年)よりも短いのである。つまり、私たちは、生殖を行わない期間を長くすることで、長寿を実現したことになる。自然淘汰の法則は、どうなってしまったのだろうか。
前章では老化について否定的な話をしたが、実は、人類は他の霊長類に比べてはるかにゆっくりと老化する。チンパンジーは35歳ですでに老化の兆候を示し、動きが鈍くなり、筋肉が衰え、体重が減り、敏捷性が失われるといった「ありがたくない」ことが起きる。霊長類学者で、チンパンジーの生態や行動に関する第一人者であるジェーン・グドールは、外見的な衰えの兆候にもとづき、33歳以上のチンパンジーを「老齢」と分類している。私たちが老いについて嘆くのは、贅沢なのかもしれない。私たちはずっと長生きし、チンパンジーがうらやましがるようなコンディションで生きているのだ。しかし、こんな不自然に見える現象が起きるのはなぜだろうか。進化論的な見地から言えば、自然淘汰を乗り越えて老年が存在することには、何らかの秘密があると考えられるのだ。
データを分析すると、人類は長生きにもかかわらず、人類と他の霊長類の大半の種の受胎可能期間の長さには大差がないとわかる。ある意味では、人類においては身体的な老化(senescencia somática、ギリシャ語で「身体」を意味するゾーマ somaに由来する)と生殖上の老化の間にずれがあるのだ。他の動物では、生殖器官の老化は緩やかで、他の器官の衰えとともに進行するが、人間の女性では突然で、寿命や一般的な体調を考慮すると、明らかに非常に早い。まるで閉経の始まりが、加齢に伴う消耗とは異なる特別なメカニズムによるものであるかのようだ。
哺乳類のメスは、卵子へと成熟する細胞である卵母細胞を一定数持って生まれてくる。排卵が始まると、この卵母細胞は徐々に減少していく。排卵のたびに、成熟した卵母細胞または卵子が放出され、受精すれば妊娠となり、受精しなければ月経という形で排出される。排卵サイクルが起こるには、卵母細胞のストックが内分泌シグナルまたはホルモンシグナルを神経系、特に視床下部-下垂体-卵巣軸に送る必要がある。卵子の貯蔵分がなくなると、このシグナルが弱まり、月経周期が不規則になり、やがて月経が止まる。理論的には、月経のあるすべての種は、長く生きていれば必ず閉経を経験することとなる。しかし、ヒトを除けば、生殖上の老化は身体の老化に対応しており、閉経を経験するほど長生きする種はほとんどいない。対照的にヒトの女性は閉経後、驚くほど身体的に活発となる。
こうした特異性を踏まえて、アメリカの人類学者ジェームズ・オコネルとクリステン・ホークスは、いわゆる「おばあちゃん仮説」を提唱した。かれらは、人類の女性が比較的早期に生殖機能を停止することの利点を強調した。それは、次第に高くなる出産リスクを負ってまで子どもを産み続けるのではなく、女性はすでに産んだ子どもの生存を確保することに労力を割くようになり、その結果として、自分の遺伝子を子どもだけでなく孫にも確実に伝えることができるようになったというものである。オコネルとホークスは、この説明を理論的に発展させるだけでなく、アフリカの代表的な狩猟採集民の人々と実際に生活を共にした経験から得た膨大なデータを提供した。絶滅の危機に瀕しているアフリカのハザ族やクン族のような狩猟採集部族は、地球上に生息する人々の祖先の90%以上が経験してきた生き方を今日も続けている。このことから、更新世におけるヒト科動物の行動や、農耕や定住が社会の主流になる以前の私たち自身の種について推測することができる。もちろん、今日の狩猟採集民と絶滅した更新世の集団の生活様式を直接比較することはできないが、そのような自給自足の状態を知るうえで、現存する最良の例である。
私たちは、2018年にジェームズ・オコネルをブルゴスのスペイン国立人類進化研究センターに招待し、「おばあちゃん仮説」について講演してもらったことがある。実はその5日前、私たちはテネリフェ島で偶然知り合っている。ジェームズは現地の科学普及イベントに参加しており、私は幸運にも、テイデ山の堂々たる景色の下で、狩猟採集民に関するかれの知識と経験についてたっぷりと話を聞くことができたのだ。