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吞血鬌のポップカルチャヌ史

吞血鬌のポップカルチャヌ史

レポヌト執筆者村田 名接子

Murata Natsuko

著者名

出版瀟

NSB幎床

2022

■抂芁

21䞖玀の吞血鬌は昔ずは違う。昔のドラキュラは黒いマントを矜織る䞭幎貎族の䌯爵だったが、今のノァンパむアは、映画『トワむラむト初恋』の゚ドワヌドのように悩める普通の若者になった。経枈危機や政治抗争、SNS、感染症によっお䞖界䞭に䞍安が広がり、ノァンパむア像も倚様に倉化しおきた。本曞は、映画やドラマ、コミックから珟代のノァンパむア䜜品点を遞んで分析する。私たちがむメヌゞする黒いマントのドラキュラ䌯爵は、15䞖玀のトランシルバニアの䌝説から、18䞖玀の啓蒙䞻矩、19䞖玀のロマン䞻矩を経お創られたブラム・ストヌカヌの小説『吞血鬌ドラキュラ』である。それが1980幎代以降どのように倉容しおいったかを芋おいく。

■目次

むントロダクション
幎衚
第章 吞血鬌ずは䜕か
第章 ドラキュラ䌯爵 
第章 ベラ 
 取り䞊げる玠材は、映画『トワむラむト初恋』キャサリン・ハヌドりィック監督、2008幎
第章 リスタト 
映画『むンタビュヌ・りィズ・ノァンパむア』ニヌル・ゞョヌダン監督、1994幎
第章 キャシディ 
 グラフィックノベル『プリヌチャヌ』ガヌス・゚ニス、スティヌノ・ディロン、1995-2000幎[1]
第章 ラ・チカ少女
 映画『ザ・ノァンパむア残酷な牙を持぀少女』アナ・リリ・アミリプヌル監督、2014幎
第章 マヌセリン
 テレビアニメ『アドベンチャヌ・タむム』米囜の子䟛テレビアニメ。2010-2018幎攟映
第章 むブ 
 映画『オンリヌ・ラノァヌズ・レフト・アラむノ』ゞム・ゞャヌムッシュ監督、2013幎
第章 フェルナンド 
 コミック『ノァンパむア』ゞョアン・スファヌル、2001-2005幎[2]
第10章 アガサ
謝蟞
固有名詞むンデックス

■内容

本曞の構成

 本曞の構成は、章、章で吞血鬌の衚象が20䞖玀埌半以降どのように倉容しおいったかを明らかにし、章から10章で代衚的な映画やテレビドラマ、コミックをそれぞれ取り䞊げお、䜜成された瀟䌚的背景を鑑みながら䜜品に぀いお語る。ここでは、代衚的なものずしお第章、第章、第10章の抂芁を以䞋に挙げる。

 なお、吞血鬌ずは、人間の血を吞っお栄逊源にし、血を吞われた人間は吞血鬌になる。たた、䜕床でもよみがえり、䞍死ずいうのが共通認識である。呌び方に぀いおは吞血鬌ずノァンパむアがあるが、本レポヌトでは「吞血鬌」を党䜓の総称、及び䜜家ブラム・ストヌカヌが小説『吞血鬌ドラキュラ』で創った黒いマントの䞭幎貎族ずいった昔ながらのむメヌゞに䜿甚する。それ以倖、ずりわけ珟圚の吞血鬌を衚わす堎合は「ノァンパむア」ずした。

第章 リスタト映画『むンタビュヌ・りィズ・ノァンパむア』ニヌル・ゞョヌダン監督、1994幎

 原䜜は、アン・ラむスの『倜明けのノァンパむア』。黒いマントを翻す䞭幎のドラキュラのむメヌゞを脱し、矎しいロマンチックなノァンパむアたちが登堎する。18䞖玀末のむギリスから独立したばかりの米囜ニュヌオリンズが舞台。劻や子を倱い生きる気力を倱ったルむは、血を求めお貪欲に人間を襲うノァンパむアのリスタトに襲われ、ノァンパむアになる。だが、無実な人間の血を飲んで呜を長らえるこずに良心の呵責を抑えられない。

 ルむのように人間を襲うのに躊躇するノァンパむアは、80幎代以降急増し始めた。矎女の吞血鬌に魅せられるニコラス・ケむゞ䞻挔の映画『バンパむア・キッス』もそのひず぀だ。80幎代は米囜レヌガン政暩によるむラン・コントラ事件など政治䞍信が衚面化した時代で、倚くの若者が埓来の固定化された秩序に異を唱え出した。その圱響で、ノァンパむア映画も映画『ブレむド』1998幎のような、悪ず戊う正矩の味方のノァンパむアが珟れるようになった。

 たた、著者は、「血」にも泚目する。血は吞血鬌にずっお喜びであり゚クスタシヌをそそるものであるが、邪悪なものでもある。折しも本映画が封切られた1994幎は血液によっお感染する病、゚むズが初めお死者を出した幎であった。映画の䞖界で血のシヌンが撮られたのは、1958幎に䜜成された『吞血鬌ドラキュラ』からだった。映像の質が良くないために血が際立っお怖さが増した印象がある。章の最埌に、映画化されるにあたっお原䜜者のアン・ラむスが、トム・クルヌズがリスタトを挔じるのに反察したずいう゚ピ゜ヌドが明かされおいる。

第章 ラ・チカ少女映画『ザ・ノァンパむア残酷な牙を持぀少女』アナ・リリ・アミリプヌル監督、2014幎

むランず思われるゎヌストタりン、バッド・シティが舞台。倜の街をスケヌトボヌドで駆け抜けるノァンパむアの少女が䞻人公。翻ったチャドルの䞋にはボヌダヌのTシャツが芋える。名もアむデンティティも明かされない。圌女はただ女を苊しめる男を攻撃するだけだ。

本映画のテヌマはフェミニズム。城を持぀吞血鬌に察し、その庇護を受けざるを埗ない女性ずいう構造は、昔の吞血鬌映画だけの話ではない。資本䞻矩の時代になっおもこの構造は続いおいる。フェミニズム運動のうねりが広がりを芋せおも、女性を服埓の察象ずする映画は䜜り続けられおきた。映画『゚マニュ゚ル倫人』1974幎もそのひず぀だ。80幎代になり、ようやく映画にも離婚や独身、同棲ずいったテヌマが芋られるようになった。ノァンパむア映画でも、䞍老䞍死の女ノァンパむアがパヌトナヌの男性に老化の兆候が珟れたのに気づき、矎しく若い女性に乗り換えようずする映画『ハンガヌ』(トニヌ・スコット監督、1983幎)のような䜜品も珟れた。だが、21䞖玀になっおもただ、䞍況の嵐が吹けば倱業の憂き目に䌚っお苊しむのは、非正芏で働く女性たちだ。アナ・リリ・アミリプヌル監督は、そんな女性たちのために、マントの代わりにチャドルを矜織っお、偉そうに振舞う男どもに立ち向かう矎しい女ノァンパむアの䜜品を䜜ったのだ。

 

第10章 アガサドラマ『ドラキュラ』BBCドラマシリヌズ、マヌク・ゲむティス、スティヌブン・モファット、2020幎

英囜囜営攟送BBCのドラマ『シャヌロック』の制䜜チヌムが䜜成したこのドラマは、昔ながらの吞血鬌像に珟代的芁玠を盛り蟌んだ嚯楜䜜品だ。このドラマでドラキュラ䌯爵ず察決するノァンパむア・ハンタヌはアガサ・ノァン・ヘむシング。神を信じない無神論者の修道女。宗教ではなく科孊的な真盞解明に挑む。それに察するドラキュラは䞀芋、鏡、十字架、倪陜の光を恐れる吞血鬌だが、人間の血を吞うこずで生呜力を埗るばかりか犠牲者の人生や胜力、思い出ずいったアむデンティティすべおを吞収しおしたう恐ろしい吞血鬌である。

このドラマは回シリヌズで、第話は19䞖玀のトランシルバニア、ドラキュラの居城ず修道院が舞台。神を信じないアガサはドラキュラを攻撃するためにその匱点を次々に詊しおいくが、結局修道女たちはドラキュラに殺害される。第話は19䞖玀のペヌロッパからむギリスに向かう船が舞台。階玚差や人皮差別がはびこる船の䞭で、乗客がひずりず぀ドラキュラの逌食になっおいく。最埌にアガサが犠牲になりドラキュラず共に海の藻屑ずなる。そしお最終話は、123幎埌の珟代のむギリス。棺ず共に海の底に沈んだドラキュラはよみがえり、SNSが普及した珟代でアガサのひ孫で科孊者のゟヌむず察決するが、癌に䟵されたゟヌむの血を飲みドラキュラは死ぬ。

著者がこのドラマで泚目する点はふた぀ある。ひず぀は十字架や倪陜の光がドラキュラに効かなかったこず。ドラキュラ自身もこれには驚く。ドラキュラは自ら䌝説を信じこんでいただけだったこずが明らかになる。もうひず぀は、䞍死のドラキュラが死に興味を瀺すこずだ。最終話でドラキュラはすべおをやり぀くしおしたい、ただ䜓隓したこずのない死に惹かれ、リアルな䞖界に飜き、死にあこがれる女性を襲う。結局ドラキュラは死ぬが、著者は、死んでもたたよみがえっおくるず思わずにいられないず述べる。

■所感・評䟡

吞血鬌、すなわちノァンパむアを知らない人はいない。だが、実際のずころ、トランシルバニアの䌝説や、十字架や倪陜の光を怖がる昔のドラキュラ映画のむメヌゞぐらいで、今、映画やドラマ、コミックの䞖界でノァンパむアがどう描かれおいるかに぀いおは知らないのではないか。本曞を読んで、こんなに倚圩なノァンパむア䜜品が䜜られおいたのかず思い知らされた。ホラヌ映画ファンや吞血鬌奜きの方々にずっおは願っおもない䞀冊だろうず思う。

では、本曞の特城や魅力はどういう点にあるだろうか。぀挙げおみた。第に䜜品の遞択が絶劙である。ティヌン゚むゞャヌの恋愛映画『トワむラむト初恋』やトム・クルヌズずブラッド・ピット、アントニオ・バンデラスの共挔で話題になった映画『むンタビュヌ・りィズ・ノァンパむア』のような有名な䜜品にくわえ、女の子たちの同性愛を描く米囜のテレビアニメ『アドベンチャヌ・タむム』や、倱恋を匕きずり愛に煮え切らない今時の若者を描いたコミック『吞血鬌』たでバラ゚ティに富む。たた、各章で名前を挙げた䞻な䜜品以倖にも、キュヌバの映画『ハバナのノァンパむア』(1985幎)やコミック『ノァンプスVamps』(1994幎)ずいったマニアックな䜜品も玹介しおいる。

第の魅力は、最近泚目されおいるポップカルチャヌを分析する方法が䜿われおいるこずである。本曞は、80幎代以降の映画やドラマ、コミックの䞻人公であるノァンパむアを分析し、どのような瀟䌚倉化から新たなノァンパむア像が生たれたのかを芋おいく。実は、本曞のように映画や本の登堎人物の行動いわゆるポップカルチャヌを分析し、瀟䌚的意識の構造を芋ようずする分析方法は、最近の日本のゞェンダヌやフェミニズムに関する孊問的分野で泚目されおいる[3]。本曞では、こうした新しい瀟䌚孊的な分析方法が䜿われおいるため、読む偎ずしおはノァンパむアがどう分析されおいるか奜奇心がそそられる。ただし、著者は孊問的な本ではなく感情の赎くたたに曞いたず蚀っおいる。

最埌に本曞が共感を持っお読めるのは、曞き手ずしお垞に公正であろうずする著者の姿勢によっおである。私たちは集団で生きおいるがゆえに、知らず知らずのうちに、良いずか悪いずか、匷いずか匱いずか、たた早いずか遅いずか、優劣の評䟡にずらわれる傟向がある。しかし著者はあえお、「良いずは䜕か。」あるいは「匱いより匷い方がいいのか。」ず問いかける。たた、同性愛者に぀いおも「ホモセクシュアルを理解できなくおも、その行為を隣人が喜んでいるなら、それは民䞻䞻矩の柱のひず぀ず蚀える。」ず擁護する。他人を尊重しようずする著者の姿勢は、読む偎に安心感を䞎えおくれる。

ずころで、著者がスペむン人ずいうこずで䜕か特城があるだろうか。これはもし特に取り䞊げるずすれば、著者の熱量の高さだろうか。スペむンは70幎代埌半たでフランコ独裁政暩の䞋にあったため、他のペヌロッパ諞囜ず違い、突然ポップカルチャヌが入っおきた。ノァンパむアだけでなくポップカルチャヌを熱く語る著者の原動力は、その時の驚きず刺激からだったようだ。

この珟代の個性的なノァンパむアたちを熱く玹介する本曞は、日本で受け入れられるだろうか。日本での吞血鬌人気は、過去には挫画『ポヌの䞀族』や『ゞョゞョの奇劙な冒険』、さらに『鬌滅の刃』の人気でも明らかであるが、今幎2022幎だけでもブラム・ストヌカヌ著『吞血鬌ドラキュラ』以前の吞血鬌䜜品を集めた、倏来健次、平戞懐叀線集翻蚳『吞血鬌ラスノァン: 英米叀兞吞血鬌小説傑䜜集』東京創元瀟、2022幎やグレむディ・ヘンドリクス著、原島文䞖蚳『吞血鬌ハンタヌたちの読曞䌚』早川曞房、2022幎が出版されおおり[4]、これらの䜜品はいずれもアマゟンで぀星ずいう高評䟡である。そのためノァンパむアを扱う本曞を受け入れる土壌は十分にあるず思う。くわえお既に述べたように、日本では、本曞のようにポップカルチャヌを分析する方法が泚目されおいるため、ポップカルチャヌやサブカルチャヌの愛奜者、及び瀟䌚孊的分析に関心のある読者の関心を埗られるのは間違いない。 

たた、本曞で玹介されおいる映画やドラマは今やネットフリックスやYouTubeなどネット環境で気軜に芋るこずができる。本曞を読みながら実際の䜜品に觊れればさらなるノァンパむア通になれるこずは間違いない。その意味でも本曞は最高のノァンパむアガむドず蚀えよう。

【著者に぀いお】

1971幎サラゎサ生たれのゞャヌナリストで䜜家。吞血鬌になるこずを倢芋おきたが、生蚈を立おるため、デゞタルコミュニケヌションの䜜家ずしお新聞゚ルコメルシオ玙、゚ルディアモンタニェス玙、雑誌ノァニティフェア、ラゞオやテレビコペ、アンテナで仕事をしおきた。䜜家ずしお熱䞭できるテヌマならどんな分野でも執筆するこずを信条にしおいる。これたでに䞊梓した゚ッセむは『El gabinismo contado a nuestros hijos(子䟛たちに語るガビニズム)』政治、『La puta gastronomíaいたいたしい矎食』ガストロノミヌ、『 Culo veo, culo quiero芋るもの党おが欲しいもの』消費。なお、著者はTwitterdavidremやInstagramdavidremartinezで日々発信しおいる。

■詊蚳p.255-256

第10章 アガサ

぀いにドラキュラは呜の意味を理解し、本圓に䞍死になる。

 æã‚Œã‚„死、血、神は本来の意味を倱っおしたった。女たちはマチスモを脇に远いやり、ノァンパむアに他の楜しみを教え、ノァンパむアは冗談を蚀ったり友情を育んだり、はたたた人のために良いこずをしたり、愛し合ったりを経隓し、そのうえ二重性や矛盟も受け入れられ、人間みたいになった。私たちの友人が半䞖玀もの間たどっおきた道は魅力的で、私たち自身もやれそうな人生の修緎の堎であった。ずいうのも私たち人間は、䞍満がたたりにたたった浮き袋のごずく䞖の䞭をシニカルな目で芋ながら幎を取っおいき、埐々に干也びお反発ばかりするようになる。斜に構えおみたっおむラむラは募るばかりなのに。䞖の䞭がノァンパむア化するに぀れお、぀たり人間の呚りが劣悪な環境になるに぀れお、ノァンパむアは私たちがこの劣悪な䞖の䞭を乗り越えるために代替案を提瀺しおきおくれた。でもこれで終わりじゃない。ノァンパむアにはただ最埌のステヌゞが残っおいるのだ。それは呜には限りがあるずいうこずを受け入れるこず。぀たり、死ぬ可胜性があるこずを受け入れるこずだ。

 特別なノァンパむアのなかには、この最埌の䞀歩、぀たり死を受け入れたものもいたが――マヌセリン[5]、そんな遠くに行かないで――他のノァンパむアもできたのだから、ノァンパむアの王様のドラキュラだっおできるはず。もしドラキュラで叀い吞血鬌の時代が始たったなら、ドラキュラはたた新しいノァンパむアの時代を茝かしいものにしおいくだろう。ドラキュラは真っ黒な円を䞀巡しお茝かしい未来のために新たなスタヌト地点に぀いたのだ。死は私たちが感じる恐れのなかで最も恐ろしいものであり、避けられないからこそ最も理䞍尜なものでもある。避けられないんだから自分たちではどうにもならないのだ。同じように、死は私たちにずっお最倧の挑戊でもある。死に立ち向かうこずは呜に立ち向かうこずだ。あなたは朝䜕のために起きるの ただ黙っお次の日が来るのを埅っおいるだけじゃないでしょうね

 1䞖玀以䞊の間、私たちはドラキュラの歎史を芋おきたが、ドラキュラがどう考え、どう感じ、どう生きおきたかに぀いおほずんどわからないたただ。小説のなかのドラキュラはほずんど話すこずはないし、ドラキュラに぀いお語られる話は怖いものばかりだ。デニムやレオタヌド、絵文字の時代に時代遅れのマントを矜織っお気取っおいるけど、ミステリアスで人を巧みにたらしこむため、これたで私たちの間でどうにか生き延びおきた。トランシルバニアのドラキュラは自分のむメヌゞを他のものに倉えたり、進化させたりしながら䜕十もの映画や劇、物語やコミックを䞖の䞭に出し、どれも私たちを楜したせおくれおいる。本曞ではそのいく぀かを芋おきたが、21䞖玀にはただどれも定着しおはいない。たさにその理由は、本圓の埩掻ずしお人生を受け入れおいないせいだろう。もしドラキュラが私たちを映し出す最高のものになりたいのなら、生きお死を受け入れなければならない。たた、呜に限りがあるこずを認め、䞍死をあきらめなければならない。でも、そもそも吞血鬌っお䞍死で居続けられるんだっけ

[1] Garth Ennis, Steve Dillon “Preacher” Vertigo, 2013. 邊蚳はただない。米囜では2016幎にテレビドラマ化され、日本ではAmazonプラむム・ビデオ、AXNで配信。DVDレンタルでも芖聎できる。

[2] 珟圚出版されおいるのは、Joann Sfar “Vampir”, Fulgencio Pimentel S.L., 2013. 邊蚳はただない。同著者のノァンパむアの䜜品で邊蚳されおいるのは、ゞョアン・スファヌル、関柄かおる蚳『プチバンピ孊校ぞ行く』飛鳥新瀟、2005幎である。

[3] 瀟䌚孊的な孊問分野におけるポップカルチャヌを䜿った分析に぀いおは、河野真倪郎著『戊う姫、働く少女』堀之内出版、2017幎に詳しい。

[4] ノァンパむアを扱ったコミックに぀いおは、2021幎に二匏恭介著『ちゃんず吞えない吞血鬌ちゃん』KADOKAWA、2021幎やぎゅあ著『吞血鬌ず呌ばれたい』KADOKAWA、2021幎が出版されおいる。

[5] 第7章のテレビアニメ『アドベンチャヌ・タむム』の登堎人物、女ノァンパむアのマヌセリンのこずである。