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私たちを思い出すだろう

私たちを思い出すだろう

レポート執筆者:吉田 恵

Megumi Yoshida

概要 

 1794年の夏。ゲーテとシラーが共に過ごし、その後の彼らの作品とふたりの関係性に決定的な意味を持つことになった数日間を、後日談を絡めながら鮮やかに描く。友情の物語であり、同時に神話の後ろに隠れた人物の夢や苦悩、心の奥底の野望、誰にも明かせない恐れの物語である。ヨーロッパ文学において最も影響力のあるこのふたりの作家は、常に生涯の伴侶である女性たちに守られていた。彼女たちは、ともすると完全な闇に閉ざされてしまいそうになる彼らの唯一の光だった。シンフォニーのように、様々な声と、時の中で絡みあうストーリーが、男と女、過去と未来を映し出す完璧な合わせ鏡となって内的考察を導き、人生と愛の密接な関係を語る。

主な登場人物

ゲーテ   名声と富を手に入れた文学者。ワイマール公国君主の私的顧問を務める。
シラー   ゲーテの盟友。著名な文学者だが生活に困窮、病におかされている。
シャルロッテ・フォン・シュタイン   フォン・シュタイン男爵夫人。ゲーテの元愛人。
クリスティアーネ・ヴルピウス     ゲーテの内縁の妻。後に正式に結婚する。
ロッテ   シラーの妻。名付け親はシャルロッテ・フォン・シュタイン。
ヴィルヘルム・フォン・フンボルト   学者。シラーを気遣う親切な友人。
ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー   学者であり牧師。ゲーテの年長の友人。
リリ(エリザベス・キューン)   クリスティアーネの幼馴染。
カール・フォーゲル   元将校の若者。ゲーテ家の下男となる。
シェーファー   ゲーテ家の執事。
グレタ   ゲーテ家の料理番。
アウグスト   ゲーテとクリスティアーネの間に生まれた息子。

あらすじ

第1章

「出発」p13〜33

1794年9月13日、シラーは数年間疎遠になっていたゲーテから、自分の屋敷にしばらく滞在しないかという誘いの手紙を受け取っていたが、病を気にして躊躇していた。生活に困窮するシラー家の現状を打破したい妻のロッテは、シラーを励まし送り出す。一方、戦争や政治に関わり創作から遠ざかっていたゲーテは、シラーの存在が自分を変えるきっかけとなればと考えていた。ゲーテ家ではカール・フォーゲルが下男に志願。執事のシェーファーは断ろうとするが、カールの身の上に興味を持ったゲーテの内縁の妻クリスティアーネが雇用を決める。

 「到着」p35〜53

1805年5月3日、死の淵にあるシラー。ゲーテは未だ顔を見せない。1794年9月14日、シラーは友人ヴィルヘルム・フォン・フンボルトに伴われゲーテ家に向かう。フラウエンプランの屋敷やその暮らしぶりは豪華で、自分との境遇の違いを思い知る。歓迎の晩餐で早速意見をぶつけ合い、胸の内を探り合うゲーテとシラー。ふたりは性格も考え方も正反対だった。一方、クリスティアーネは正式の妻でないため息子とともにその存在を消すことを余儀なくされるが、興味に駆られ晩餐の部屋を覗き見する。そして、ゲーテは己の欲求を満たすためだけに相手を必要としていて、その相手は今、自分ではなくシラーなのだと知る。

 「カワセミ」p55〜67

1805年5月4日、シラーにはゲーテが必要なのに、ゲーテは死を恐れ現実から逃げていると嘆くロッテ。1794年9月15日、前日の疲れで夕刻に起床したシラーは、自分の代表作『群盗』を愛読書とし、対仏戦争の亡命者だというカールにシンパシーを感じる。書斎ではゲーテが、姿を見せないシラーに痺れを切らしていた。シラーがやってくると、ふたりはカワセミの骨格標本を前に、動物と人間の違いについて論争を繰り広げる。

 「オレンジ」p69〜79

 1805年5月7日、もうシラーに回復の見込みはない。1794年9月16日、料理番のグレタが台所で仕事をしていると、執事のシェーファーがやってきてクリスティアーネを見下す発言をし、オレンジを食べ始める。オレンジはグレタに幼い頃叔父から受けていた性的虐待を思い出させる果物だった。クリスティアーネの境遇を自分と重ね同情するグレタ。シラーの存在により疎外感を感じていたクリスティアーネは、幼馴染のリリを呼び寄せる。

 「使用人たち」p81〜88

 1805年5月8日、ロッテの名付け親でゲーテの元愛人シャルロッテ・フォン・シュタインはゲーテに手紙を送り、死にゆくシラーと向き合うよう促す。1794年9月17日、ゲーテはシラーが病を隠していることに気づき動揺する。シラーはゲーテの腹が読めず、いまだ文学について話し合えていないことにやきもきする。使用人たちの夕食の席では、カールの自由な振る舞いと発言が物議を醸していた。

 「森」p89〜98

 1805年5月9日、熱を出し寝込むゲーテを看病するクリスティアーネ。そこにシラーの死を知らせる手紙が届く。1794年9月18日、ゲーテとシラーは馬車で森に出かける。深い森の中で馬車を降り、自然の素晴らしさを満喫しながら語り合う。ゲーテはシラーと考えを共有できることに喜びを感じていたが、突然シラーが倒れてしまう。

 「傷」p99〜109

1805年5月9日、夫の死に直面し途方に暮れるロッテは、夫の検死に同意を求められる。1794年9月19日、医者がシラーに瀉血を施すが、シラーは自分にはもう治療の手立てはないと語る。シラーの部屋を訪れたゲーテは、体が弱く死んでいった弟を思い出していた。

 第2章

「血」p115〜130

1805年5月10日、ゲーテ家の図書室でシラーの検死が行われる。ゲーテは息子のアウグストに立ち会いを頼むが、非嫡出子として引け目を感じる彼は隠れてこっそりと見守る。1794年9月20日、シラーの様子を見に行ったクリスティアーネは、部屋に充満する病人の匂いに、貧しさの中で兄とふたり父を看取った日を思い出す。シラーに頼まれ、ゲーテの元愛人が名付け親というロッテに手紙を書くことになるが、その胸の内は複雑だった。

 「ワインと願い」p 131〜146

1794年9月21日、アウグストが庭で乳母と遊んでいると、ゲーテがシラーとやってくる。父が自分の存在を疎んじていると感じるアウグストは、父の気を引こうとボールを投げる。シラーを酒蔵に案内しようとしていたゲーテは、息子を同行させる。自慢のワインを大切に扱う父を見て、ワインになりたいと思うアウグスト。その日、カールはゲーテの蔵書への興味から図書室に侵入する。そこでクリスティアーネと鉢合わせするが、ふたりでいるところをゲーテとシラーに目撃されてしまう。そしてゲーテ家にリリが到着。クリスティアーネは彼女に苦悩を吐露する。ふたりは辛い過去を共有し、特別な絆で結ばれていた。

 「大きな木の下で」p147〜159

1805年5月12日、クリスティアーネがいくら説得しても、ゲーテはシラーの葬式に行こうとしない。1794年9月22日、夜中に目覚めたカールは、シェーファーが酒蔵からワインを盗んでいるところを目撃する。リリとクリスティアーネは秘めた過去を感じさせるカールに興味を持ち、タロットでその身の上を占ってみるのだった。散歩に出かけたゲーテとシラーは、大きな菩提樹の下にある川岸のベンチに座る。ゲーテは、その場所で嵐のような瞳を持つクリスティアーネと出会い、かつての情熱を思い出したと告白する。

 「ダンス」p161〜173

1805年5月12日、ロッテは娘の手を引き、シラーの葬列に加わって歩いている。隣を歩く姉カロリーネは、実はシラーが心を通わせた相手だった。1794年9月23日、ゲーテは書斎の机の秘密の引き出しにしまってある元愛人シャルロッテの金髪を眺めていた。そこにこれからシャルロッテを訪問するというシラーがやってきて、ふたりの関係を知った上でゲーテに付き添いを頼む。ゲーテはそれを断り、自作の詩を披露するのだった。クリスティアーネはリリと畑の収穫をしていたが、突然ダンスを踊り始める。まるで様々な苦悩を解き放とうとするかのように、くるくると回りながら。

 「しなびたイチジク」p175~184

1805年5月30日、シラーの葬式以来、ゲーテは書斎にひきこもり、夜になると子供のようにクリスティアーネに慰めを求める。父との関係に悩むアウグストは毎晩酔っ払って帰宅していた。1794年9月24日、ヘルダー夫妻はゲーテがシラーのために催す晩餐に招かれる。若いゲーテの才能をいち早く認めたヘルダーだったが、牧師の生活は苦しく、今や裕福で高慢になったゲーテを苦々しく思っていた。

 「戦争」p 185〜199

1806年10月15日、フランス軍がワイマールに進撃、砲弾の音がひっきりなしに響き、フラウエンプラン周辺も爆撃の被害を受ける。ゲーテは家から出ようとしない。突然3人の兵士たちがゲーテを探して家に押し入ってくる。銃口を向ける彼らの前に立ちはだかるクリスティアーネ。その時、兵士のひとりがカールだと気づく。カールは彼女の勇気に免じて何もせず立ち去る。1794年9月25日、クリスティアーネはリリと川辺で語らいながら、財産目当てで近づいたゲーテを今では愛していることにあらためて気づく。カールはシェーファーの横暴に辟易とし、独裁制を倒すためなら自分は再び武器を取るだろうと考える。

 「絆」p201〜213

1806年10月21日、シャルロッテはロッテに、自分のように過去の思い出の中で自分を見失うなと諭す。ゲーテとクリスティアーネは遂に正式な夫婦となっていた。1794年9月26日、ヘルダー夫妻がフラウエンプランに到着。晩餐後はカード遊びに興じ、論議に花を咲かせていた。その時、シェーファーが酒蔵のワインが行方不明だと告げる。カールを疑う執事に、証拠はあるのかと詰め寄るシラー。盗みをはっきり否定したカールだったが、ヘルダーの妻は問題があるものを家に置いてはならないとゲーテに耳打ちする。

 「緑の丘の上で」p 215〜221

1816年5月30日、クリスティアーネはゲーテと過ごした日々に満足しながら最期を迎えようとしている。1794年9月27日、解雇されたカールが部屋で荷造りしていると、クリスティアーネがやってきて彼を引き止める。君は強い女性だ、君を潰そうとする人々の意のままになるな、と言って去るカール。結局、ワインを盗んだ犯人はアウグストだった。

 「頭蓋骨」p 223〜230

1826年5月15日、ゲーテは共同墓地で骨が掘り起こされる様子を眺めている。その中にシラーのものと思われる頭蓋骨があった。あらためて彼に相応しい立派な墓を用意するという市長に、ゲーテはそれまで頭蓋骨を自宅に持ち帰りたいと申し出る。1794年9月28日、フラウエンプランを去ろうとするシラーは、クリスティアーネに感謝の言葉を口にする。そしてその嵐のような瞳に、かつて愛したカロリーネの面影を感じるのだった。

 「エピローグ」p 231〜234

1827年1月10日、ゲーテはシラーの頭蓋骨に語りかけながら、フラウエンプランで共に過ごした日々を懐かしむ。君は僕を生まれ変わらせてくれたんだ。

所感・評価

舞台はフランス革命の余波で戦乱が続く18世紀末〜19世紀初頭のワイマール公国。主人公はゲーテとシラーというドイツ古典主義文学を代表するふたりの巨匠。それだけで我々の日常とはかけ離れた物語が繰り広げられるように思われるが、著者は史実とフィクションを巧みに織り交ぜ、主人公と彼らを取り巻く人々の愛情や欲望、嫉妬、疑念、苦悩が複雑に交差する、普遍的でリアルな群像心理劇を作り上げた。実際にふたりの創作活動に影響を与えたという1794年の数日間を、登場人物たちがやり取りする書簡、1805年のシラーの死を中心とする後日談によって大きく膨らませ、読者が様々な男女の過去や未来を俯瞰的に捉えられるようにした構成は秀逸である。

本書はゲーテとシラーの友情の物語であるが、色々な形をした愛の物語でもある。ゲーテと元愛人シャルロッテ、ゲーテと内縁の妻クリスティアーネ、ゲーテと息子アウグスト。自己中心的なゲーテはいつも愛を欲していたが、愛を与えることは不得手だった。シラーと妻ロッテ。シラーは妻としてロッテを選んだが、実は最期まで精神的に繋がっていたのは姉カロリーネの方だった。クリスティアーネとリリ。その強い絆は、同性愛的な匂いまで感じさせる。いずれにしろ印象的なのは、愛にもがき苦しみながらも、男性たちの希望の光として強く生きる女性たちの姿である。特にクリスティアーネはこの物語のもうひとりの主人公と言ってもよいだろう。義母に疎まれ、酒に溺れる父の怒号が飛び交う貧しい家庭で育ち、生き延びるためにゲーテを利用する。しかし正式な妻でないことで好奇の目にさらされ、上流階級の人々だけでなく使用人にまで蔑まれる。ゲーテの愛も不確かだ。それでもゲーテと息子を守り、自尊心を失わず、顔を上げて生きようとする姿に読者は魅了されるはずだ。また、カールという架空の人物も忘れ難い。知的でミステリアスな若者は物語のあちこちでさざ波を立て、読者の心もざわつかせる。事実の本質を理解する手助けとして、実在の人物に着想を得た架空の人物を配置したと著者は語るが、その試みは成功している。

 ドイツの国民的文学者の物語ということで、スペイン語の本である必然性が若干弱くなってしまうが、著者の力量を感じる大変魅力的な小説である。ゲーテとシラーの往復書簡は有名だが、ふたりの間の、また彼らを取り巻く女性たちとの間のヒリヒリするような関係を生々しく描いた小説は見当たらない。DVや性的虐待、いびつな親子関係、ジェンダーなど現代に通じる問題を考えさせられる内容でもあり、スペインというよりも海外小説として日本で翻訳出版される価値はあるだろう。著者のカルラ・ガルシアは1980年バルセロナ生まれ。カタルーニャ国際大学のライティング講師であり、カタルーニャ語地上波デジタル放送局フィブラカットの文章講座番組『白いページ』のディレクターも務める。初めての小説『Siete días de Gracia(グラシアの七日間)』(2014年)はイタリア語とポーランド語に翻訳され、ローマ図書展のアルゲロ・ドンナ文学ジャーナリスト賞を受賞した。

試訳 p 229〜230

 シラーは手紙を読み返した。自分の卒倒や死への接近を妻に語りたかった。クリスティアーネがつま先で木の床を歩く音、少しだけ開いた扉、嵐のようなその瞳。カブのクリームスープ、カールの闘争心、カールの解雇というゲーテの選択。いや、それらはシラーにとって胸にしまうべき人生の闇だった。夢と同じく、言葉は全てをぼかしてしまう。手付かずのまま、整然とした現実から遠く離れた、真実に満ちたそれらの印象を保つ必要があった。

扉が開き、その考えは中断された。

「入ってもいいかい?」ゲーテは返事を待たず、すでに入ってきていた。

 シラーは立ち上がった。

「もちろん。妻に手紙を書いていたんだ」

 ゲーテは明らかに緊張した様子で部屋を歩き回っていた。

「もしよければ、もう少しここにいてもらってもいいんだが」

 シラーは机から手紙を拾い上げて、書類入れにしまった。

「そうしたいのはやまやまだが、イエナで家族が待っているのでね」

「もちろんだよ、可愛いロッテは君がいなくて寂しいはずだ。夫婦とはそういうものだよ」

シラーは手紙をつかむ手をとめ、ゲーテを見た。別れを告げないで、論争したい誘惑に駆られていた。

 「夫婦には何があるんだ?」

ゲーテは窓に向かって歩き出した。

「人を縛る力」

シラーは微笑んだ。

「君も縛られてるよ」

 「同じ状況じゃない」

 以前からゲーテは傑出していて、尊大で、強い意志の塊のようだった。シラーは微笑んだ。もしゲーテの望みがこうやって戯れることなら、彼を気落ちさせずに済むかもしれない。

 「それはそうだ。君の場合、その関係において君の方が強い。だから君が必要とする自然な愛から遠くなってしまうんだ」

 ゲーテは笑った。「ここにいてほしかったよ」

 「病人でも?」

ゲーテは頷いた。

 シラーはロッテの警告を思い出した。耐えるべきなのはわかっていたが、ここを去る前にゲーテに質問する必要があった。そうでなければ心穏やかになれない。

 「君がカールを解雇したと聞いたんだが」

 ゲーテは窓の方、広場の木々の方に目をやった。風の強い日で、枯葉がぶつかり合い、地面まで回りながら落ちていった。

 「いずれにせよ、ここは彼に合わなかったんだ。戦争に戻るだろう、彼の場所にね」

 「戦争はもう我々みんなのものだよ。時代は変わりつつあるんだ。」

 ゲーテは燃えるような瞳でシラーの方を振り返った。

 「恐らくそうだ。でも数年経った時、それでも人々は僕たちを思い出すだろう」

 シラーはゲーテの光に惹きつけられるのを感じた。

 「僕はこの時間を君と分かち合えて嬉しかったよ」

 そしてふたりは沈黙した。向かい合って戸惑いながら、息を潜めて。