Menoslobos Editorial
メノスロaス‧エディトリアル
出版社
スペイン語の現代小説を中心に刊行する独立系出版社。
E. M. フォースターの言葉によると、小説においてはたとえば、悲しみというたったひとつの言葉がストーリーとプロットを分ける。悲しみがプロットをつくるのだ。本書『Ramona(ラモーナ)』は幼年期から青年期への移行を、その過渡期に生じる特有の悲しみを通して描いた物語。その描き方のためだろう、主人公も彼女を取り巻く登場人物たちも読者の同情に訴えかけようとせず、贖罪を求めている風でもない。ロサリオ・ビリャホスがつくりだす世界では、ヒロインの旅は、通行料を払う手段さえ持たないことを知る人の旅だ。よく似た我々の世界でも、ストーリーは常に我々を拒絶するが、プロットはそれを驚くほど容易にやってのける。
詳しく見る

文学
ラモーナ
Ramona
ロサリオ‧ビリャホス
Rosario Villajos
Menoslobos Editorial
この小説には読者を待ち受ける多くの驚きがあり、そこには著者イグナシオ・アバドによる金細工のように繊細な仕事や、少しずつ読者を巻き込んでいくプロット構築の正確さが隠されている。物語を組み立てる彼の能力と、主人公である名前のないジャーナリストのしっかりした人物造形に裏打ちされて、私たちの前に繰り広げられるのは、過去、現在、未来を行き来し、ついには一対の鏡のなかで、あるいは迷宮、交錯するストーリーの迷路のなかで枝分かれしていく裁断された物語だ。読み進むにつれ、何が真実で何が噓か、どこまでが現実でどこからが空想か、それらを隔てるぼやけた線のどちらが正しい側なのかを見分けるのはどんどん複雑な作業となり、厄介で刺激的な挑戦になる。
詳しく見る

文学
デュッセルドルフにライオンはいないし、いられない
En Düsseldorf no hay ni puede haber leones
イグナシオ‧アバド
Ignacio Abad
Menoslobos Editorial
作者のナチョ(イグナシオの愛称)は現実というものに納得していない。言い換えれば、彼は現実に欺かれていないということだ。それゆえナチョは、長編ではなく短編集を出したのだ。新しい情報を伝えるという意味でnovela(ラテン語のnovelは「新しい」などの意味を持つ)と呼ばれる長編は、ゆったりと十分なスペースを持つジャンルである。一方、彼が我々の前に提示した短編集は一度読めば全体が記憶に残り、かつ新鮮だ。その中では以前のものでさえ新しいからだ。それぞれの作品において作家は、例えば後世のこととして記憶の比喩を用いてみたり、自分を独特だと感じるのは皆にあることで陳腐だという、注目すべき考えを取り入れたりしている。この日常のさまよいという糸でナチョは連結したシーンの仕掛け(罠でもある)を、そして心そのものの仄暗さの中、思考の周囲に見つけた難解な言葉を織り上げていく。作中で説明こそされていないものの、彼の静謐で澄み切った文章はおそらく本人も意図しないうちに、読者を理解に導いてくれるのだ。(ルベン・ラルディン)
詳しく見る

文学
ソノロ物語
Monogatari
イグナシオ‧アバド
Ignacio Abad
Menoslobos Editorial
『シェアアパート(シェアハウス)』は、内側の小説。魔法と記憶と日常性が組み合わさった、風俗小説的中編。多くの思い出や経験を持つ5人の婦人の人生と、ひとりの若い娘の人生が交差する。主人公の娘は、婦人たちがシェアしているアパートになぜ、どのようにして自分が現れたのかわからない。彼女は、婦人たちの儀式に参加し、本や言葉を分類し、毎週金曜日には即席の美容サロンになる居間で、彼女たちの紫色がかったふんわりした髪の手入れをし、食事ごとに食後の長いおしゃべりにつきあい、ことに住人たちがくりだす物語に耳を傾ける。インスタグラムと労働、外国の訪問、昨日の歌が、女性同士のコミュニケーションと共生を描いたこの小さな小説のなかでまじりあう。
詳しく見る

文学
シェアアパート(シェアハウス)
Piso compartido
アナ‧フレチャ=マルコ
Ana Flecha Marco
Menoslobos Editorial
アドナイス賞及びスペイン国営ラジオ局RNEのオホ・クリティコ賞(2018)を受賞したアルバ・フローレス=ロブラが読者に贈る愛の詩集。波乱に満ちた愛、平穏な愛、そして愛の欠如。そしてまた、私たちが見ることは叶わないが、どこかで育ち続けるだろう森の愛。不明瞭な事柄の多い今日にはうってつけの1冊。アルバは近年のスペインの詩の世界に新鮮な声を吹き込む詩人のひとり。そして同時に、最も儚い声でもある。
詳しく見る
