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金子奈美氏(バスク文学研究者・翻訳家)
Namikaneko

スペイン北部とフランス南西部にまたがるバスク地方では、バスク語と呼ばれる少数言語が話されています。そのバスク語から日本語に直接訳されたキルメン・ウリベ著『ムシェ 小さな英雄の物語』(2016年 白水社)が、今年、第2回日本翻訳大賞を受賞しました。日本では読める人がほとんどいない言語で書かれたこの小説を、美しい日本語に翻訳して私たちに紹介してくださった金子奈美さんにお話を伺いました。

 

未知の文化への憧れ
私は秋田の田舎で育ったのですが、母が海外文学の愛読者だったので、家にたくさん本があり、小さい頃から自然と翻訳ものに親しんでいました。よく読んだのは主に、いわゆる古典というか、英仏露独の小説ですね。ディケンズ、ジェーン・オースティン、ブロンテ姉妹、バルザック、モーパッサン、トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、ヘッセなどでしょうか。ただ、中学生ぐらいになるとだんだんそれでは物足りなくなり、図書館に通ってアメリカの現代小説を読むようになりましたが、特に好きだったからというよりは、田舎であまり情報もなかったので手当たり次第に読んでいたという感じでした。海外文学とか翻訳というと、まずアメリカとか英語圏のものに親しんで好きになる人が多い気がするのですが、私はなぜか最初から、英語のものはなんだかありふれている感じがして、あまり興味を持てなかったんですよね。外国映画もよく観ましたが、既にその頃から、自分にとってまったく馴染みのない、未知のものを知りたいという気持ちが強かったのではないかと思います。

大学に進学するときも、自分の全然知らない言語や文化、社会のことがたくさん学べそうだという理由で東京外国語大学を選びました。でも当時は、本好きが仕事に繋がるとはまったく考えていなかったというか、文学は趣味で仕事は別のものだというふうにごく現実的に思っていたので(笑)、最初は社会科学系の勉強をするつもりでした。ところが、実際に授業を受けてみると、語学や文学の科目は良い評価なのに、社会科学系はなぜかものすごく成績が低くて、講義を聞いていても面白くない。それに比べて、文学理論などの授業は本当にわくわくするほど楽しくて、これは絶対にこっちのほうが向いていると思ったので、途中で文化研究に転向しました。スペイン語を専攻することになったのは、なんとなくとしか言いようがないのですが、ちょうど日本でもリーガ・エスパニョーラの放送が始まったり、日韓ワールドカップでスペイン代表が活躍したりした時期だったので、スペイン語も面白いかな、と。秋田は冬が暗くて長いので、せっかく語学を勉強して留学したりするならどこか太陽の多い明るい土地がいい、と思ったのもあります。でもあとで気がついてみたら、スペインの中でも冬は雨が多くて暗いバスクという、秋田と風土の似たところに落ち着いてしまったんですが(笑)。

バスク語との出会い

私が大学に入学した当時、バスクでは分離・独立を目指す過激派組織ETAによるテロがまだ続いていたので、そういう報道は目にしたことはありましたが、バスクに対して特に関心を持っていたわけではありませんでした。でも大学に入ってすぐ、まったくの偶然ですが、ショートショートフィルムフェスティバルでバスク映画が紹介されたり、六本木でバスク映画祭が開催されたり、ということがあったんですね。まず、たまたま行ったショートショートでパブロ・ベルヘール監督の作品を観て、それがとても良かったのですが、上映後、会場の外に監督がいるのを見かけたんです。それで、習いたてのスペイン語で「スペインの方ですか?」と話しかけてみたら、「いいえ、バスク人です」という返事が返ってきて、「あれ?」となって。そのとき彼に、バスクの映画ばかりを集めたイベントが別のところで開催されていると聞いて、それは一体どういうものだろう、と思ってそちらにも行ってみたのですが、映画が面白かったのはもちろん、来場者に美味しいワインやピンチョスが振る舞われたりして、もしかしたらバスクってすごくいいところかもしれない、って思ったんです(笑)。うまく乗せられたのかもしれませんが、実はそんなことがきっかけでバスクの文化を意識するようになりました。

その後、まだ大学一年の終わり頃だったかと思いますが、ベルナルド・アチャガというバスクの作家の『オババコアック』という本が邦訳されて、まったく知らない作家だったのですぐに飛びついて読みました。アチャガは国際的にもっとも知られたバスク語作家で、『オババコアック』は、オババという架空の村を舞台とした連作短篇集なのですが、それが本当に素晴らしい作品だったんです。もとは1988年にバスク語で発表された本で、スペイン国民小説賞を受賞したことをきっかけに、作者自身によるスペイン語訳を介して、世界の30以上の言語に翻訳されています。邦訳もスペイン語からの翻訳だったのですが、そのせいもあって、バスク語の原書は一体どんなふうなんだろう、できることなら読んでみたいと思うようになり、バスク語について調べ始めました。

バスク語はヨーロッパ最古の言語の一つとも言われますが、系統不明の孤立言語で、スペイン語やフランス語といった周囲のロマンス諸語とは文法構造や語彙がまったく異なっています。文字はアルファベット表記です。話者人口は100万人足らずで、バスク地方のスペイン側でもフランス側でも少数言語の立場にあります。歴史上、ラテン語、スペイン語、フランス語といった支配的な言語に対して、もっぱら民衆が用いる話し言葉という位置にあったため、書き言葉の伝統を確立するのがむずかしい状況が長らく続きました。1969年以降は標準語と正書法が整備され、スペイン民主化後のバスク自治州では教育や行政、メディアなどで広範に使用されていますし、今では義務教育をバスク語で受ける子供も非常に多いのですが、フランコ独裁時代はバスク語の公的な使用は禁止され、文化的に劣った言語というステレオタイプが広まっていました。そうした背景があって、バスク語で出版された本、特に文学作品は歴史的に見てかなり少なく、そもそもバスク語で文学が書かれているということ自体が、スペイン国内ですらまったく認識されていませんでした。なので、そんな言語で書かれた『オババコアック』がスペイン国民小説賞を獲得し、国際的に注目を集めるようになったというのはバスク語の文学にとって非常に大きな出来事だったんですね。

今では東京外語大やセルバンテス文化センターでもバスク語の授業を受けることができますが、当時私が見つけられたのは、早稲田大学で開講されていた「バスク語初級」だけでした。そこでまず1年間基礎を学んでから、スペインのバスク自治州の都市、サンセバスティアンにあるバスク大学のキャンパスで開講されていた外国人向けのコースに留学して、スペイン語と一緒にバスク語をかなり集中的に勉強しました。留学中にちょうどETAの無期限停戦の声明があって(数か月後に破棄されてしまいましたが)、テロは下火になりかけていた頃でした。ただ、そのときはまだバスク語を習い始めたばかりで、バスク語の授業の外ではほとんどスペイン語で生活していたので、当時のバスク語世界で実際にどんなことが起こっていたのかは直接知らないんです。それよりも少し前になりますが、2000年代前半は、「テロとの戦い」という大義名分で、バスク語やバスク文化に関わる者はすべてETA、テロリストという扱いを受け、バスク語で発行されていた唯一の新聞「エグンカリア」がスペイン当局によって廃刊に追い込まれるなど、政治だけでなく文化の面でも非常に緊迫した状況だったようです。

数年前に改めて、今度は大学院に留学したのですが、そのときはほぼバスク語のみで生活しました。すると、スペイン語で生活していたときはほとんど見えていなかった別の世界が、サンセバスティアンの街の同じ空間に存在していたことに気づいて衝撃を受けました。普段の暮らしで使う言語が違うと、街がまったく違うふうに見えてくるんです。出会う人や物事も変わってきますし。サンセバスティアンは、ビルバオやパンプローナ、バイヨンヌといったバスクの他の都市に比べるとバスク語話者がかなり多く、今は住民の半数以上はバスク語がわかると思います。ヨーロッパではわりと有名なビーチリゾートで、国際的な映画祭やジャズフェスティバルが行なわれ、演劇なども盛んな文化都市なのですが、バスク語出版の中心地でもあり、作家も多く住んでいます。一度バスク語の世界に入ってみると、そこでスペイン語だけでなく、バスク語の文化活動が非常に活発に行なわれていることに気づかされて、とても刺激を受けました。

キルメン・ウリベとの出会い

そうしてバスク語の新しい文学作品に触れていくなかで、あるとき、やはりスペイン国民小説賞を受賞したキルメン・ウリベの『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』を手に取りました。とても新鮮な作風で、自分がまさに今読みたかった、今読まれるべき小説だと感じました。あまり印象的だったので、いろんな人にこの本の話をしているうちに、編集者の方ともお話しする機会があり、レジュメと試訳を作ってお渡ししてみたところ、あれよあれよという間に翻訳出版が決まりました。それまでスペイン語からの翻訳は少しやっていましたが、一冊の本をまるまる自分で訳したこともなかったので、まさか初の訳書がバスク語の小説になるとは思ってもいませんでした。でも、自分が好きな小説を訳す機会が頂けたというのは本当に幸運なことでしたし、あの作品だったから訳せたというのもあったと思います。ちなみに、『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』はこれまで14の言語に訳されているのですが、バスク語から訳されたのは英訳と日本語訳、それからガリシア語訳だけだと聞いています。他はみなスペイン語からの翻訳です。

続いてウリベの次作『ムシェ 小さな英雄の物語』も翻訳し、昨年の秋に出版されました。その翻訳で第2回日本翻訳大賞を頂戴しましたが、それも本当に思いがけないことでした。

キルメン・ウリベが世界で人気な理由

ウリベの作品はおそらく、バスク語という知られざる言語で書かれた作品であるということと、非常に現代的な小説というところが、多くの人の関心を引いたのではないかと思います。バスク語という言語そのものも、バスク語で文学が書かれているということも、一般的な海外文学の読者には新鮮に映るみたいですね。現代的だというのは、手法の面では、端的に言うと、制作プロセスそのものを作品に取り込んだり、作者自身が作品の中に登場したり、作者と読者、作品の受け手が同じ地平に立っているといった点です。現代アートでもよく見られる手法ですが、ウリベは読者との関係というものを非常に意識してそういう作品づくりをしている作家ではないかと思います。

あとは、断片的な、一見無関係に思えるエピソードを結びつけることで小説を構築しているということ。ある場所で起きた出来事が、実は遠く離れた場所で起こった別の出来事と関係していたり呼応していたりする。そういう世界の描き方は現代小説の大きな特徴と言えるのですが、そうした見えざる繋がりによって世界が動いている、あるいは、一般には感知されていないかもしれないけれど、この世界を織りなしている知られざる繋がりがある、そういったことを彼はバスク語作家ならではの視点から語ってみせます。しかも、その語りの構成の仕方というのがとても開かれていて、いろんな入り口がある、読者にその世界に入っていくためのいろんな糸口を与えてくれる、そんな書き方ではないかと思います。読んでいて連想がいろんな方向に働いて、読者の記憶や体験に訴えかけてくるところも面白いですね。

内容の面では、先ほど言ったこととも繋がりますが、移動の歴史という、これもやはり非常に現代的なテーマを扱っています。移動の手段は船や列車から飛行機に変わりましたが、人の移動というのも今の世界を形づくってきた大きな要素で、異なる地域や人々を近づける役割を果たしてきました。ウリベは、バスク人の移動の歴史を作品の中にかなり織り込んでいて、バスクもそうした世界の一部なのだと示すと同時に、バスク人自身の体験を通して世界を描こうとしています。さらに、そうしたバスク人の歴史や体験というのは、もちろん他のさまざまな場所の人々や歴史とも繋がっていて、私たちが知っている歴史では語られていない、そういった知られざる人々やエピソードが彼の作品には出てくるんですね。あるいは、知っていたつもりの歴史が別の切り口で、しかもバスク語で書かれた本の中で語られる。そういうところがある意味意外で、新鮮な印象を与えるのではないでしょうか。

ウリベには、『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』を訳していた時期に初めて会いました。それから二度来日して、講演や対談、詩の朗読をしてくれました。バスク語では今、300人ぐらい作家がいると言われていますが、特に詩人が多く、ベルチョラリツァと呼ばれる即興詩の伝統が今も盛んです(大規模な大会になると、会場のスタジアムが数万人の老若男女で埋め尽くされます)。そういう口承の詩のパフォーマンスが根づいている土地柄のせいもあるかもしれませんが、彼自身、世界各地で文芸フェスティバルに参加したり朗読会を開いたりしているので、読者とのコミュニケーションにはとても長けていますね。日本でも、彼のバスク語の朗読はとても盛況で喜ばれました。また、初期の頃から、友人のミュージシャンや映像作家の作品に、詩の朗読を合わせるというコラボレーションをずっとしていますし、バスク語の音の響きやリズムを大切にしている書き手だと思います。日本でバスク語を間近で聴く機会はなかなかないので、読者の方に彼の作品を耳で味わっていただけたのはとてもよかったと思っています。バスク語の響きやリズムはスペイン語とはまったく異なるので、それを実感していただくためにも、作者の朗読を実際に聴いていただくというのはとても意義があることです。

バスク語から翻訳するときは、なるべく原語の気配が消えてしまわないよう気を遣っています。訳文でときどき、詩や歌の引用などで、カタカナ表記やルビを使ってバスク語の原文を残しているのはそのためです。あと、スペイン語で書いている作家だと誤解されることがよくあるので、原文がバスク語で書かれていることに注意を喚起するという狙いもあります。些細な点ではありますが、それでバスク語の異質さが少しでも読み手の方に伝わればと思っています。

これから紹介したいバスク文学

もちろん日本語やスペイン語と比べたらバスク語の作家は少ないのですが、この数十年で本当にいろんな作品が書かれるようになりました。ところで、スペインでは、バスク語作家はスペイン語訳で読まれるので、スペイン語で書くバスク出身の作家と見分けがつかなくなってみな一緒くたに「バスク文学」と括られてしまうようなのですが、バスク語の文脈では「バスク文学」と言えば「バスク語で書かれた文学」のことを指します。スペイン語とバスク語とでは、言語そのものが置かれた歴史的・社会的な状況も文化的伝統も異なりますので、個人的には、バスクのスペイン語で書かれた文学とバスク語で書かれた文学は非常に異なった性質のものとして捉えています。

バスク語の文学に関して言えば、当然ながら、ベルナルド・アチャガやキルメン・ウリベ以外にも優れた書き手はいます。例えば、ウリベと同世代で、小説・詩を始めとして幅広いジャンルで活躍するアルカイツ・カノは、ウリベと並んで今のバスク文学を代表する作家で、もちろんスペイン語にも訳されています。少し上の世代だと、アンヘル・レルチュンディやラモン・シャイサルビトリアといったベテランがいますし、若手の作家もどんどん出てきています。フランス・バスクやナバラにも面白い作家がいるので、ゆくゆくは、個別の作家を紹介するだけでなく、そうしたバスク文学のいろんな側面が伝わるような短篇や詩のアンソロジーが編めたらいいですね。

金子奈美(かねこ・なみ)

1984年生まれ。東京外国語大学外国語学部欧米第二課程(スペイン語専攻)卒業後、同大学院地域文化研究科博士前期課程修了(修士)。現在、同大学院総合国際学研究科博士後期課程およびスペインのバスク大学大学院(比較文学・文学研究コース)博士課程に在籍。第十回日本イスパニヤ学会奨励賞(2015年)、第二回日本翻訳大賞(2016年)。訳書に、キルメン・ウリベ『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』、『ムシェ 小さな英雄の物語』(いずれも白水社)。他に「キルメン・ウリベ小詩集」(『現代詩手帖』2014年3月号)、ベルナルド・アチャガ「アコーディオン弾きの息子」(抄訳、『早稲田文学』2015年冬号)、キルメン・ウリベ「あのちっぽけでいたずら好きな神様 他四篇」(『現代詩手帖』2016年7月号)などの翻訳がある。

 

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スペイン語圏文学研究者で東京大学教授の柳原孝敦氏によるエッセイ「スペイン語は文学研究にうってつけである」

 

 

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スペインの女性作家アロア・モレノ氏とララ・モレノ氏に聞くスペイン語圏文学におけるフェミニズム

 

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