スペインを代表する女流作家アルムデナ・グランデス氏。彼女の作品はどれもベストセラーになり、そのうち何作かは映画化もされて、スペインでは誰もが知っている作家です。今年初めての来日を果たしたグランデス氏にお話を聞きました。
私が11、12歳の頃、1971年か1972年でしょうか、台所で料理をする母をいつものように手伝っていた時、有名なゴシップ雑誌『EL HOLA』に載っているある女性のことが話題にでました。白人と黒人の混血のその女性は、王族やゴージャスなセレブの写真ばかりが掲載される誌面に、ほとんど裸で写っていたんです。当時のスペインは1939年に始まったフランコ将軍の独裁政権下で、出版物や映画などあらゆるものが厳しく検閲されていました。乳房を星の飾りでかすかに隠し、バナナの腰巻を付けただけの混血女性の写真に違和感を抱いた私は、それが誰なのか母に訊ねました。それは1920年代に一世を風靡したフランスの「ホセフィーナ・バッケール」だと母は教えてくれました。(ジョセフィン・ベーカーをスペイン語で発音した名前です。私はこのスペイン語の発音の方が気に入っています)。そして、続いて母が言った言葉に私は動揺しました。
「おばあちゃんは、彼女が踊るのを見たことがあるのよ」
私の頭の中は混乱しました。
「どこのおばあちゃん?」
「何を言っているの、あんたのおばあちゃん、私のお母さんに決まってるじゃない」
「え!? あのおばあちゃんが、この人が裸同然で踊るのを見たの?」
「そうよ」
「どこで?」
「どこって、ここマドリードでよ」
私は一瞬、おばあちゃんには秘密の王族のお友達でもいて、プライベートのパーティでジョセフィン・ベーカーが踊るのを見たのかと思いました。
「でも、マドリードのどこで見たの?」
「劇場に決まってるじゃない。なんてこと訊くの」と母は言いました。
その時、私はショッキングなことに気づいてしまったのです。祖母、母、私と続く三世代の中で、当然自分が一番モダンな世界を生きていると信じていましたが、実は祖母の方がよほどモダンな時代を生きていたのです。時代は次第に前に進んでいくものと信じていたのに、逆行することもあることを知ってしまったのです。かつては存在していた何かが、私たちの世代から奪われていたのです。ジョセフィン・ベーカーのお陰で、自分の国に何が起こっているかがわかったのです。フランコの独裁によって、私たちから何かが盗まれたのです。国ごと誘拐されてしまったのです。まるで「記憶の誘拐」です。国全体がフックで吊るされ、その足元で世界はどんどん進化しているのに、スペインだけはそれと違う動きをしている。自分はよりによって何という時代に生まれてしまったのだろうと唖然としました。
スペインの独裁政権は、男性にも多大な影響を及ぼしましたが、女性たちにはそれ以上にとてつもなく大きな影響を与えました。独裁の前、スペインは世界に先駆けて女性参政権が認められた法の先進国でした。スペインの女性は、当時としては驚くほどの権利を有していました。しかし、独裁になるや19世紀に逆行してしまったのです。女性は親からの相続を受けるにも夫の許可が必要になり、銀行口座を持つことも、既婚女性が仕事をすることも法的に禁止されました。そんな時代に生きていた私は、女性である祖母が、踊るジョセフィン・ベーカーを見たという話に大きな衝撃を受け、以来いろいろと考えるようになりました。
幸運にも、私が15歳だった1975年にフランコ政権が終わり民主主義の社会になりました。大人になった時、それまで生きてきた世界が消滅したのです。若い頃に植えつけられた価値観とは全く異なる時代になって、私たちは戸惑いました。主婦になるための教育しか受けていない私は、今でも例えばお金のことを話すのは苦手で、ギャラ交渉などの際は赤くなってしまうほどです。フランコ政権は教会と密接な関係にあったため、宗教上の罪も犯罪扱いでした。そのため、人々は実際の犯罪よりも、宗教上の罪を犯さないようビクビク暮らしていました。
民主化によって社会は劇的に変わり、80年代は自由や喜びが爆発したような独特な時代になりました。私たちの世代は、それまで権威とされていたものを覆そうとしました。最初の作品『ルルの時代』(北上梓訳、二見書房、1992年)は、私の世代が80年代に体験したことと深く関わっています。性の解放、特にそれまで虐げられてきた女性の性について、女性の立場から描きました。日本で翻訳出版されている唯一の作品です。(※1990年ビガス・ルナ監督によって映画化され、日本でも劇場上映)
それに続く5冊の小説でも同様に、当時私が住んでいた町の同世代の女性たちに起きた変化について書きました。私たちは母親世代のような19世紀女性の生き方は否定しながらも、かといって、当時ブラジャーを燃やしていたドイツやフランス、イタリアの女性たちのフェミニズムにも共感できませんでした。そんな私たち世代のスペイン人女性について、家族、恋愛、女性同士の友情など、思いつく限りの側面から描きました。
私はずっと20世紀のスペインで起こったことについて書いてきましたが、最初に独裁後の20世紀後半について書き、その後で、国をそのような時代に導いた20世紀前半について書きました。今、私のすべての作品を振り返って眺めてみると、多くのスペイン人が体験してきた独裁時代の「記憶」が共通したテーマになっています。「個人の記憶」と「集団としての記憶」です。
内戦の記憶について実際に私が真正面から向き合って書けるようになったのは、40歳を過ぎてからです。2007年に出版した『El corazón helado』では、内戦で敵対し合った2家族の子孫が21世紀になってもまだその関係を引きずっている話を書きました。この作品をきっかけに、内戦後25年間のスペインを描いた6冊シリーズを出版するというプロジェクトが生まれました。このシリーズでは内戦が終わる1939年から、1964年までの時代を扱っていきます。1964年というのは、フランコが「25年の平和」を祝った年ですが、この頃からスペイン人たちは国外には違った世界があることに気づき始めました。海外に移民として渡ったスペイン人もいましたし、他のヨーロッパ諸国から、スペインのビーチで休暇を過ごしにやってくる観光客も増加。こうしてスペイン人が、外の文化に触れる機会が増えたのです。
史実に基づいたフィクションを書くにあたり、お手本にできるふたりの偉大なスペイン人作家がいました。ひとりは私が尊敬する、19世紀のスペインを代表する作家ベニート・ペレス・ガルドスです。彼は、46巻からなる『国民挿話(Episodios Nacionales)』というシリーズで19世紀全般のスペインを描きましたが、その「挿話(エピソード)」という言葉を拝借して、私のシリーズも「ある終わらない戦争のエピソード」と名づけました。もうひとりはマックス・アウプです。彼は1936年から1939年のスペイン内戦をテーマにした優れたフィクション作品『El laberinto mágico』を書いています。彼の物語は終戦で終わっていますが、私はちょうどそこから話を始めることにしました。
これまでにこのシリーズで3冊出版しました。同じ登場人物が登場し、どれも独裁政権になんらかの形で抵抗する人々の話ですが、ストーリーはそれぞれかなり異なります。1、2冊目では武力で政権に抵抗する人々を描き、3冊目では刑務所の前で列を作る女性たちの小さな抵抗運動について語っています。今書いている4冊目は、スパイものと言えるでしょうか。フランコ政権と、第二次世界大戦後のナチス、そしてアルゼンチンのペロン政権を巡る話です。
このように、ゴシップ雑誌の1ページから、これだけのストーリーが生まれる結果となったわけです。
私の作品はこれまで30カ国以上で翻訳されています。フランス語、イタリア語、ドイツ語、オランダ語には、私の全作品が訳されていて、ヨーロッパではとても広く読まれています。全作品ではありませんが、英語にも翻訳されています。
内戦や独裁というのは世界中で理解できるテーマだと思います。自由のない世界、暗い世界、というのはどこにでもあります。文学のよいところは、例え書かれたのが自分からは距離的にも時代的にも遠いところであっても、そのストーリーが好きならば、とても身近に感じられることです。私にとっても日本文学で同じことが言えます。例えば私は紫式部の大ファンですが、千年以上も昔の女性が男性の視点で書いた『源氏物語』を、21世紀のスペイン女性である私が楽しめるのです。
私の作品をぜひ日本の方々にも読んでいただければと願っています。
アルムデナ・グランデス(Almudena Grandes)
1960年マドリード生まれ。1989年の処女作『ルルの時代 Las edades de Lulú』(第11回ソンリサ・ベルティカル賞受賞)発表以降、小説『Te llamaré Viernes』『Malena es un nombre de tango』『Atlas de geografía humana』『Los aires difíciles』『Castillos de cartón』『El corazón helado』など、すべての作品で読者や批評家から賞賛を得て、スペインを代表する女流作家となる。2010年発表の『イネスと喜び Inés y la alegría 』から「ある終わらない戦争のエピソード」の6冊シリーズをスタートし、4冊目も今年中に出版予定。ララ財団賞、マドリード書店賞、セビーリャ書店賞など、スペイン国内の賞のみならず、イタリアのラパッロ・カリジェ賞やフランスの地中海賞など受賞も多く、映画化された作品も多数ある。
New Spanish Booksでは、これまで「ある終わらない戦争のエピソード」シリーズの3冊『イネスと喜び』『ジュール・ベルヌを読む』『マノリタの3つの結婚式』を紹介。