筆者が8歳の時、祖父が月に行くためのロケットを作ろうと言い出した。だが、ふたりが作れたのは、色付きの火花の出る火薬だけだった。少年時代、筆者はマイクとミキサーを製作した。そうしてサラゴサにある演劇とアニメーションの会社PAIで音響技師として働き始めるが、今度は自分自身が「ミキサー」になってしまった。彼は、あらゆるもの・・・早口言葉とジャグリング、ゲームとサーカス、海賊と洗濯機、映画と演劇、科学とフィクション、アコーディオンとアクロスティック(折句)、めん鶏とパーカッション、詩とロボット、銀河とエンサイマダ(菓子パンの一種)、写真と喧騒、錯乱と天文学・・・を混ぜ合わせていく。