東京四ツ谷に建つ、スペイン国営セルバンテス文化センター東京。スペイン語の教育と振興を主な目的として、スペイン政府が世界各地に開いているセンターです。スペイン語教室のみならず、スペイン語圏諸国に関する展覧会、コンサート、講演会などの文化イベントを毎週のように開催しています。その6階にあるフェデリコ・ガルシア・ロルカ図書館で館長を務めるスペイン語書籍のエキスパート、ダビッド・カリオン氏にエッセイをお寄せいただきました。
すべては、緑色の瞳をした女性がカルロス・フエンテスの短編『アウラ』を選んだことから始まった。セルバンテス文化センター東京のフェデリコ・ガルシア・ロルカ図書館の貸し出しカウンターで、その緑色の瞳の女性は、ある読書会でこの作品を読みたいのだと言って私に本を差し出した。『アウラ』を選んだ理由は、これがある日本の作品に触発されて書かれたものだからだそうだ。セルバンテス文化センターの図書館で読書倶楽部を開催している私は、その理由にとても惹かれた。スペイン語圏文学と日本文学。遠く離れたこのふたつの文学の関係を、私たちの読書倶楽部でも掘り下げて考えてみたくなった。
我々の読書倶楽部では以前、ハビエル・マリアスの『女が眠る時』(パルコ、2016年)を題材に、このテーマについて分析したことがある。この作品は台湾のウェイン・ワン監督にインスピレーションを与え、彼の手により、ビートたけしなど日本人役者主演の同名の映画に生まれ変わって、日本でも2016年に公開された。ここで描かれる「眠る美女」のイメージは、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『眠れる美女の飛行』にも登場する。ガルシア=マルケスは、ノーベル文学賞受賞作家川端康成の小説『眠れる美女』に触発されてこの「眠れる美女」を描いたが、彼はまた自作『わが悲しき娼婦たちの思い出』の冒頭を川端の引用で始めている。
「たちの悪いいたづらはなさらないで下さいませよ、眠つてゐる女の子の口に指を入れようとなさつたりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。」(木村榮一訳、新潮社、2006年)
再び緑色の瞳の女性に話を戻そう。フェデリコ・ガルシア・ロルカ図書館の読書倶楽部で『アウラ』の魅力を味わいたいと思いつつ、3日経ち3ヶ月以上が過ぎてしまった。そのうち、カルロス・フエンテスにインスピレーションを与えた日本の作品があるという話は、夢だったか思うくらい頭の奥深くで忘れ去られていた。
しかし、2月の読書倶楽部で、参加者のひとりトモコさんがその話を思い出させてくれた。いわく、フエンテスの『アウラ』は、溝口健二監督の映画『雨月物語』にインスピレーションを受けて書かれ、そして、溝口の映画は、同題の上田秋成の読本が基になっているのだという。『アウラ』を数ページ書き進めていたとき、カルロス・フエンテスは友人のフリオ・コルタサルをはじめ、何人かに薦められてこの映画をパリで見たという。この逸話の詳細はセルバンテス文化センターパリのホームページをぜひ参照されたい。
『アウラ』にはシンボリックに描かれているものがたくさんある。屋敷、暗闇、そして小説のタイトルとなった登場人物アウラの緑色の瞳・・・。これらは何を暗示しているのだろう? コンスエロとフェリペって、本当は何者? 登場する犬、ウサギ、猫、ネズミは何を象徴しているのか? 番号が消されたり、古い番地と新しい番地が入り混ざったりしているドンセレス通りの家々の扉が意味することは? カルロス・フエンテスが作品の舞台として、ドンセレスという名前がついた道を選んだわけは?
作品はジュール・ミシュレ著『魔女』(岩波文庫、2004年)の一節の引用で始まる。このタイトルからもわかるように、この引用はフエンテスの作品の真髄をついている。そこで、作品をより身近に感じられるよう、読書倶楽部では『アウラ』に別のタイトルをつける遊びをした。これは作品をどう理解したかをまとめるいい訓練になる。結果、おもしろい意見が次々と出た。『精霊たちの家』(ユキさん)、『魔女』(マリコさん)、『メキシコ』(ビセンテさん)などなど・・・。
ビセンテさんの『メキシコ』というタイトル案からは、主人公フェリペを、儀式や呪術に満ちたアステカ帝国(ドンセレス通りの家)にたどり着いたスペイン人(あるいはヨーロッパ人。作品でもフランス人に言及されている)の征服者(誘惑者ではなく)として見ることができる。過去と現在、原住民の儀式とカトリックの儀式が混ざり合った空間を象徴して、『アウラ、メキシコ』というタイトルがいいかもしれない。
他にもタカコさんやケイコさん、そして討論に参加してくれた全員から、おもしろい視点での意見をいただいた。倶楽部の開催後も、議論はセルバンテス文化センターのブログで続き、パブロさんや他の読者が積極的な発言をしてくれている。
フェデリコ・ガルシア・ロルカ図書館では、毎月一回、読書倶楽部を開催している。今年1月の会ではアルムデナ・グランデスの『Atlas de geografía humana』を題材にしたが、幸運にも著者ご自身に参加していただくことができた。
参加者の多くは日本人だったが、彼ら(ほとんどが女性だったので「彼女ら」と言うべきか)は著者の話を聞きながら作品を再度味わい、また彼女のこれまでの作品が生まれた背景を知ることができた。スペインとは全く異なる文化に暮らす日本の読者たちも、この作品に登場するフラン、ロサ、マリサ、アナという4人の女性が抱える問題、不安、夢などに完全に共感していることがわかり、とても興味深かった。似たことが2016年の最後の読書倶楽部でもあったが、そのときの題材はスペイン人作家カルメン・リエラの『Cuestión de amor propio』という、恋愛やパートナーとの関係を複数の文化や視点から比較できる短編小説だった。
セルバンテス文化センター東京では、多文化交流の場を作ったり、スペインや中南米文学の普及活動を行ったりする他にも、スペイン大使館経済商務部と共に、スペイン語圏の書籍が日本語で出版されるよう積極的なプロモーションを行っている。私たちの読書倶楽部には、これまで何冊も訳書を出してきた翻訳者の方も数名いる。2017年の読書倶楽部では他にも、3月にはクリスティーナ・フェルナンデス・クバスの『Cuentos』、4月にはアレハンドロ・サンブラの『盆栽』、5月にはベレン・ゴペギの『La escala de los mapas』、6月にはアンドレス・ネウマンの『Hablar solos』、そして7月にはパロマ・ディアス=マスの『Lo que aprendemos de los gatos』を題材にしてきた。ここからもお分かりいただけるように、私たちは、スペインと中南米の男性作家と女性作家をバランスよく組み合わせるように心がけ、まだ日本で邦訳が出ておらず、日本人になじみがない作品を選んでいる。
世界中に散らばるセルバンテス文化センターの中でも、読書会を開催しているところは数多い。また、世界中の図書館員のネットワークを使ってマドリード本部が運営する「バーチャル文学クラブ」(スペイン語)には、地球上のどこからでもアクセスしていただけるので、関心のある方はぜひ一度のぞいてみてほしい。
ダビッド・カリオン(David Carrión マドリード、1967年生まれ)
マドリードのコンプルテンセ大学でスペイン語圏文学・言語学、リスボン自治大学大学院でジャーナリズムを学んだ他、カタルーニャ・オベルタ大学でWeb編集・デザイン、インターネット用ビデオ・写真制作、情報関連サービス・企画管理などを学ぶ。
マドリード植物園とソフィア王妃芸術センターで図書館員としてのキャリアを開始した後、ワルシャワのセルバンテス文化センターの図書館に勤務。リスボン、モスクワ、ロンドン、ダブリンのセルバンテス文化センターで図書館長を務め、2016年9月、図書館長として東京に赴任。現在、日本EUNIC(European Union National Institutes for Culture)の副代表も務めている。
一方、詩人としても活躍しており、1990年『Los problemas de nacer』でPremio de Poesía Blas de Otero賞受賞、1999年には『Simulacros』でセビリア大学のAccésit del Premio de Poesía賞を受賞。