ガルシア=マルケスの『百年の孤独』の翻訳などを手掛け、スペイン語圏文学を長年にわたって日本に紹介してこられた鼓直氏のエッセイ。
今、アルゼンチン文学がおもしろい!
メキシコが一人、グアテマラが一人、コロンビアが一人、ペルーが一人、そしてチリが二人。これらの人数は、いったい何を表しているのでしょうか?他でもなく、これまでにラテンアメリカでノーベル文学賞を受けた者を国別に数え上げたものです。より具体的に名前を順に挙げていけば、オクタビオ・パス、ミゲル・アンヘル・アストゥリアス、ガブリエル・ガルシア・マルケス、マリオ・バルガス・リョサ、ガブリエラ・ミストラル、パブロ・ネルーダです。
詩人が3人で小説家が3人というバランスの良さ(?)がまず注意を引きますが、実はそれより注目しなければならないのは、そこに、古くからラテンアメリカ随一の文学大国であり続けてきた、アルゼンチン出身の作家の名前がないことです。機会のある度に〈万年候補〉を自嘲気味に名乗りつつ、1980年代の半ばに逝ってしまった、あのホルヘ・ルイス・ボルヘス以後も何人かの名前が取り沙汰されてきました。しかし結局、アルゼンチンは名誉ある受賞者を出すことなく今日に至っているわけです。
恐らくこの事実と密接な関わりがあるのではないかと考えますが、実は、独立200年祭を迎える前後から、アルゼンチン文学の存在をより広く、内外に喧伝しようという意図が如実にうかがわれる行事が、相次いで打ち出されるようになりました。
先年めでたく完結した10余巻の文学史などは専門家向き過ぎという感じがするので脇に置いて、昨2010年8月から刊行の始まったDiccionario razonado de la literatura y la crítica argentinas (Siglo XX), El 8vo Loco Edicionesを覗いてみたいと思います。
「エル・オクタボ・ロコ出版社」という版元の名称がいっぷう変っていますが、書名自体もその感がなくはありません。『アルゼンチン文学・批評詳解事典』というのがそれで、このように「文学」と「批評」の2つのジャンルを分離し併記する形式は、少なくとも筆者は見た記憶がありません。また「詳解」という形容も語学関係ではともかく、文学辞典の類ではやはり筆者は見た覚えがありません。いずれにせよ、われわれにとって大多数の作家が未知のものであるアルゼンチン文学の全般について、原則として主要作品を対象に「詳解」が行われるのは大変有難いことです。以下、筆者がこの20年ほど関心を抱き続けてきた若干のアルゼンチン作家を、当該の「詳解」を参照しつつ紹介したいと思います。
まずメンポ・ヒャルディネジ(1947-)です。軍部のクーデターが生じた後の1976年に国外へ亡命。メキシコ滞在を経て90年代に至って再び母国の土を踏むことができたという、厳しい経験をしています。当然それは作品に反映していて、メキシコ国立芸術協会の小説部門の賞を得ることで作者の名を一気に高めたLuna caliente, 1983『熱い月』も例外ではありません。軍政の圧迫を逃れるべくパリで法律を学んで帰国した三十男のラミレスは、父親の旧友テネンバウンの催すパーティに招かれて、わずか13歳のアラセリに一目惚れ、深夜の寝室で暴行に及ぶが、露見を恐れてテネンバウンを殺害したばかりか、とんだ妖婦ぶりを見せ始める小娘まで手に掛けるに至る。警察の執拗な追及、ブラジルへの逃亡、ホテルに現れる死人などなど、政治と犯罪とエロティシズムがからみ合う、サービス満点の推理小説で、発表の翌々年には映画化されて大当たりを取りました。しかし、ヒャルディネジの代表作は飽くまでEl santo oficio de la memoria, 1991『記憶の聖なる営み』でしょう。作者の一族がモデルであることは確かですが、イタリアから移住してきたドメニコネジェ家の20世紀末のメネム大統領時代にまで達する歴史を、複数の独白によって織り上げた大河小説です。これは、マルケスやリョサも授かっているロムロ・ガジェゴス賞を作者にもたらしました。
つねに筆者の念頭から離れないアルゼンチン作家に、ヒャルディネジより少し年長のリカルド・ピグリア(1940-)がいます。Respiración artificial, 1980 『人工呼吸』が最もよく知られた作品です。イサベル・ペロン大統領の時代の末期が舞台で、前半は反体制派の歴史学者マルセロ・マヒと小説家志望の甥エミリオ・レンシの間で交わされた手紙で、後半は伯父を訪ねてコンコルディアという地方都市に赴いた甥が、誘拐され失踪した伯父の友人たちを相手に、あるバーで徹夜で交わした会話で構成されています。内容は政治的で形式は前衛的という、アルゼンチンのポストモダンの小説を代表する作品です。ボリス・ヴィアン賞を直ちに授かるなど、批評家の間の評価は非常に高いものがあります。
ただ、一般の読者にとってはやや難解で、売れ行きは芳しくありませんでしたが、その後の作品の一つであるPlata quemada, 1997『現ナマは燃やせ』は、打って変わって大衆向けの、はっきり言えば推理小説もハードボイルドに属するものです。実際に1965年にブエノスアイレスとモンテビデオにまたがって起こった銀行強盗に材を得たものです。数名の政治家や警察幹部らが裏金欲しさに計画し、マリート、ネネ・ブリゴネ、ガウチョ・ドラーダ、クエルボ・メレレスという異常者的な男女にやらせた銀行破りが次々に齟齬を来す。最大のそれは、実行犯らが背後で操る悪党たちを裏切って、獲物の持ち逃げを図ったこと。最後は隠れ家を取り囲んだ警官相手に、お札と弾丸の舞いとぶ壮絶な銃撃戦となってしまう。取調べの盗録、裁判書類、証言、新聞記事などを巧みに利用して再構成された『現ナマを燃やせ』は正に迫真的で、この手の作物に関心の深い読者に喜び迎えられ、プラネタ賞を授かりました。
一部の批評家は、この作品を『人工呼吸』で代表されるピグリア本来の作品世界からの逸脱と批判しましたが、これは勘違いというものでしょう。先に挙げた『熱い月』に見られるように、また既に日本に紹介されているボルヘスの「死とコンパス」やプイグの『ブエノスアイレス事件』が示しているように、ラテンアメリカ全体を眺め渡しても、アルゼンチンほど古くから探偵小説もしくは推理小説が盛んだった国は無いのです。ピグリアもこの良き伝統に忠実に従ったと言うべきです。
彼らとほぼ同世代の作家で紹介に値すると思われるものにセサル・アイラ(1949-)、ロドルフォ・E・フォグビル(1941-)、ルイサ・フトランスキー(1939-)などが更にいますが、またの機会に。
鼓直(つづみ・ただし)
岡山県生まれ。東京外事専門学校イスパニヤ語学科(現在の東京外国語大学スペイン語科)卒。ラテンアメリカ文学の研究者、翻訳家。法政大学名誉教授。ミゲル・アンヘル・アストゥリアスの長篇小説『緑の法王』の翻訳を皮切りに早くからラテンアメリカの新しい文学の翻訳に携わり、1970年代のラテンアメリカ小説ブームを支えた一人である。訳書はガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』、ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』など。2009年秋、瑞宝中綬章受賞。