■概要
スペインの最南地、カナリア諸島に暮らしている二人の女の子の話。小さな村での暮らしぶりが描かれて、著者自身の経験を多数取り入れたものだと思われる。思春期前の二人の女の子達の、貧しくも荒々しい村でのただならぬ友情にまつわる様々なエピソードが語られる。20代半ばの新人女性作家の若々しい表現や、存分に使われる島特有の言葉に説明の注釈を付けなかった手法で注目を集めた、話題のデビュー作。スペインで予想以上のヒットになり、僅か1年半で16回も重版されただけでなく、いくつかの言語に翻訳された。尚、題名の意味は褪せた黒(均一でない灰色の混ぜ合わせ)を指す際に使われる表現だが、ここでは曇り空やそれと関連する気分に充てられる。動物の毛並に喩える意味では日本語の「鼠色」に近い表現だが、前者の場合はやはり「褪せた」そして「不均一」の特徴が強調される。
■主な登場人物
主人公。語り手の10代前半の女の子。カナリア諸島の住民。実名を明かさない(著者?)
イソラ。主人公の同級生。親がいなくて、祖母に育てられる。
カルメン。近所の変わり者中年女性。犬と暮らす。
エウフラシア。近所の老婆、薬草や魔除けに関する深い知識を持つ。
チェラ。イソラの祖母。食品や雑貨の店を経営する。
チュチ。イソラの伯母。同じ家に住んでいる。
フアニト。主人公の友達。男性だが、女性名のフアニタで呼ばれる。
サライ。主人公の近所に住む女友達。2才年上。
■あらすじ
P23~38(第1章~第3章)
カナリア諸島の辺鄙な村に住む主人公(語り手)とイソラ、二人の女の子は思春期を迎える直前の仲良し。両方とも小太りで高学年の小学校同級生。主人公の記憶ではイソラは小さい頃からよく吐く子でした。以前、パーティーの直後に初めてそれに気付きました。ある日、イソラと主人公はカルメン小母さんの家を訪れます。イソラは買い物の届けの用事でよく行きますが、主人公はたまにしか同行しません。そういう時にはちょっとした御馳走が二人に等しく出されますが、カルメンとイソラばかり喋って、主人公はそばで聞くだけの存在です。ただその日は急にカルメンが、「イソラは人に呪われている」と忠告します。イソラは人に憎まれるおぼえはないと言いますが、実は隣に立っている主人公はイソラに対する強い羨望や妬みがあるので、居心地が悪くなります。そして、イソラを育てるチェラ婆さんにその気持ちがばれたら殴られるだろうと想像します。他方、イソラは自分の祖母を嫌って良く悪口を言います。
カルメンの薦めに従って、主人公とイソラはエウフラシア婦人の家を訪ねて、イソラのお祓いを頼みます。そこでエウフラシアは魔除けの儀式を行います。
P39~53(第4章~第6章)
主人公たちが住んでいる村はテイデ山(活火山)の麓にあります。旧村街には坂道が多く、家々はほとんど住民が自分たちで建てた違法建築のため、形、色、材料など様々です。郊外には建設業界や市で働き外車に乗る勝ち組の新築住居が目立ちます。
聖フアンの夜は火祭りの夜です。主人公の祖母が畑の真ん中に大きな焚火を拵えて、火を点けます。その夜はどこも似たような様子なのであちらこちらで火が点々としていて、大気が煙で充満します。焚火の真ん中で案山子のような人形が燃やされだしたところ、雨の兆しと思ったとたんやはり降りだして、慌てての解散騒ぎ。
翌日、子供達がビーチ遊びの夢を見ながら強制されたきつい畑仕事に就いています。
ある日、主人公とイソラの二人が何人かにビーチに連れて行って貰えるように頼みますが、全員に断られたため、かなり遠いけれども勝手に歩いていこうとしたところ、イソラの祖母にばれてしまって、断念。主人公の祖母の家で食事をしてから代わりに水路へ行こうとして、近隣のフアニトにも声を掛けますが、彼は家族に強いられている畑仕事のため、付き合えません。水路は文化センターの裏にあって、文化センターは村で唯一つPCがある場所のため、若者が良く集まります。その一方、麻薬もその周辺に出回ります。水路に着いて、浮き浮きしながら初めてビキニに着替える二人は、水に足を入れて目をつむります。そして、海岸にいると想像しながら大人の真似をして他人のでたらめな悪口を言います。主人公はイソラの身体に日焼け止めを塗る空想をして、帰り道になんとなくイソラに対する友情を超える気持ちを覚えます。
P55~74(第7章~第10章)
主人公とイソラの日常の生活。嫌な物の掃除を強要されたり、バービー人形で遊んだりします。一緒にいた後にお互い相手を家まで送るので、きりがない往ったり来たり。そして、歩きながら過去にやらかした楽しいいたずらの思い出話をします。
主人公の母が外国人向けの貸別荘の掃除の仕事をしますが、よくそれを娘に手伝わせます。仕事をしながら、彼女達は金持ちの生活ぶりに羨望を覚え、罵ります。
イソラは祖母にダイエットを強要させられ、オニオン・スープしか食べられません。退屈しのぎに主人公を家に招いて、ガレットを作って食べさせます。美味しくないものの、主人公は拒む勇気がなく、むりやり食べます。食べ終わるとまた人形遊びをし、人形に下品な言葉で喋らせ、下品な行動をさせます。
ある日、近所のフアニトと遊びに出掛けます。彼は男性でありながら良く一緒にバービー遊びに付き合います。相変わらず、人形に言わせる事、やらせる事は性的行為の真似事や下品な噂話ばかり。飽きると、ビー玉遊びなどをします。急にフアニトの祖父が現れて、凄い剣幕で怒鳴りこんで、孫を連れてかえります。「男の子はオカマのような遊びをするものではない」と。
P75~95(第11章~第15章)
主人公のイソラに対するあこがれが日に日に増していきます。彼女のことで頭がいっぱいになり、イソラの身体の一部一部が好きで堪りません。
主人公とイソラが時々一緒にCDなどで新しいバンドの流行り歌を聴き、好きな歌詞があると、誤字だらけの書き方でノートに写します。
村の祭りの日が近づいたので、実行委員会の幹部が家々を回って寄付金を要求します。主人公とイソラは体重を減らす新しい治療を受けるための金欲しさで売れそうな物を集め、車で通りかかる観光客に売ろうとしますが失敗に終わり、カルメン小母さんの家で休みます。相変わらずおやつが提供され、気持ち悪くなるぐらい食べます。
場面は教室に変わります。授業中、主人公とイソラはボールペンなどでこっそりと自慰をよくします。やりながら、自分の絶頂を火山の噴火に喩えます。
P97~124(第12章~第16章)
イソラは時々憂鬱になり、「死にたい、死にたい」と言い出します。そういうとき、主人公とそこら辺の畑を走り回って、もぎ取った果物をお腹を壊すまでむさぼります。
イソラの祖母は、子供に家の2階に上がらないようにと常に言い聞かせていますが、彼女達はそれを無視して、ひそかに上がることがあります。そこは数年前にイソラの母が自殺をした場所です。主人公とイソラは亡母の古い服や下着を試着しながら、寝台で戯れます。
ある日、イソラの家でバービー人形と遊んでいる時に、主人公は強烈な便意に襲われ、我慢できずに表に出て店のすぐ側に大便し、イソラがそれを庇ったせいで祖母に物凄く怒られます。
メッセンジャーを利用する交際に興味が湧き、夏休みに主人公とイソラは文化センターで行われるPCの授業に通うことにします。知らない男と猥談したがるイソラはすぐアカウントを作って、大人のふりをしながらメッセージ交換を始めます。だが、ちょうど相手が自分の性器の画像を送ったところを教師に見つかり、授業から追放されます。
ある日、主人公、イソラとフアニトが畑で遊んだ後、教会の横を通りかかり、そこでイソラのチュチ伯母さんと見習い僧が愛撫しているところを目撃します。彼らを覗きながら3人の子供は大人から聞きかじったセックスの話を語り合います。
また別の日、主人公の近くに住むサライの家に二人で遊びに行きます。ゴムの大きなプールがあるからそこで遊ぶのは好きですが、サライは主人公ばかりと仲良くするのでイソラは面白くないし、嫉妬もします。プールが飽きると、サライの母のドレスをこっそり着たり、化粧品を使ったりします。
P125~148(第17章~第21章)
主人公は同世代の男の子に対する拒否感がありますが、時々自分が男を好きになることを想像します。今はフアニト以外の子が耐えられないぐらい気持ち悪いですが、多分大人になったら男が好きになるだろう、と。それでも、イソラにつられて、彼女達は知り合いの男の子二人と遊びに行きます。郊外の雑草だらけの所に入り、二組に分かれます。そして、男の子たちはむりやり二人を犯そうとしますがその寸前にじゃまが入り慌てての解散。
翌日、主人公はイソラを恨んでいて、会いたがらないまま。なのに、やはりイソラから電話がかかってくると、次の日に会う約束をします。
しかし、あの酷い目に遭った日以来、主人公のイソラに対する気持ちが変化してしまいました。一緒にいるとすぐ不愉快になり、愛と憎しみの半々な心中。とうとう多勢の前で殴り合いに至ります。
喧嘩してから家で一人で遊んでいる主人公ですが、祖母に頼まれチェラの店に「つけ」でお使いに行かされます。店内にイソラもいますが、互いに素知らぬ顔して、大人たちも冷たい対応をします。
帰宅後の主人公は更に落ち込み、死にたい気分になります。
P149~172(第22章~第25章)
何日もイソラに会わないから、主人公は常に不機嫌になって、人にあたります。祖母はむりやり散歩に連れ出しますが、主人公が隙を見て一人で行ってしまいます。貸別荘で同世代の女の子に会い、一緒に遊んでみますがやはりイソラの時と全然違ってロクに楽しめません。
日々イソラの事で頭がいっぱいになって、彼女の事を考えながらひたすら自慰する主人公。火山の噴火に伴う避難騒ぎとその中での仲直りの場面も想像します。
とうとう我慢が出来なくなり、イソラの家に行って、勝手口から入ります。お互い何もなかったようなふりをして、以前のように遊びにでかけます。雨が降りだしたため帰る事にしますが、その途中で熱くて長いキスを交わします。
その後、祭りの前日にイソラの家に行ってみると「彼女は親戚と海へ行きました」と言われ、一日中待ちますが夜になっても連絡がきません。寂しい思いで寝台に潜りこみ、翌朝、またイソラの家に行ってみたところ、泣きっぱなしの伯母に「彼女は海で溺れてしまって、亡くなりました」と告げられます。村は祭りモードのままです。
■所感・評価
思春期前の女の子のただならぬ友情が描かれ、また、ダイレクトな印象を与える意図で誤字だらけであったり、現地の方言を混ぜたりといった文体を執っています。目的を見事に果たしているものの、文語体ありきの文学の根本的な概念を破壊し、カンマ、終止符その他の記号も少なく、人(特に教養度のかなり低い人)が話している言葉をそのまま文字化しています。ある意味ではアンチ文学です。下品な言葉の連発やきたない描写、子供の性的行為の場面も多く、貧しさの表現では20年前のスペインよりも別の地域のどこかの話ではないかと思わせます。が、残念ながらスペインの一番南に位置する離島のところどころに、ITの現れるより前のあの時代には、そういう村が残っていたに違いありません。そして、貧しさや不衛生さの描写からも日本とはあまりにもかけ離れた環境が描かれているので、普遍的な題材というよりもエキゾチックと言った方があっているように思われます。また、あまりにも早熱な性の目覚めについても、半世紀前かそれ以上前の、どこかの未開地での話だったかのように見えます。
日本文学ではあまり譬えられる作品がなさそうですが、そもそもスペインの文壇にも類似性のある作家もいなさそうです。逆に映画の世界で類似性のものを探すとしたら、この小説の挑発的な手法はジョン・ウオーターズ監督の『ピンク・フラミンゴ」でしょうか。所謂、「はい、下品です。何が悪いか」の叫びです。しかも女性の視点から語られているとさらに一般の人には衝撃が大きいでしょう。よって、あの映画同様、偏った趣味あるいは強烈な印象を求める読者は好むに違いありません。馬鹿に出来ないマーケットが確かにあります。他方、同性愛に近い感情を抱いている主人公や、想像に任すことない下品な描写に拘る作風などのため、「一般向けの本」とは言えません。
女性文学も、若い女性による思春期前後のあらわな自伝風の物語も今さら物珍しくありませんが、この本のオリジナリティーはやはり文体にあります。その面ではカナリア弁や卑俗語などでないと雰囲気が表せない所が多いため、翻訳は2人がかり(ネイティブ・スペイン人とネイティブ日本人)の共同作業を薦めます。今回の試訳ではカナリア弁に関しては同じ「南国の離島」である沖縄の言葉を充ててみました。
主人公の心象、悩みや苦しみは決して10~12才の一般的な女の子のものではありませんし、共感するのも難しいです。特殊な環境に置かれた子供のものです。ようするに、学校に通っても家庭や近所の貧困や無知、下品さが圧倒的に強く、子供達の教育の水準が上がらないままの状況を作るような環境のことです。特殊な事情のある家庭でないと、日本ではわがことのように感じる女性はそんなに多くはないでしょう。強いて言えば、共感できるところはそれこそ普遍的である溺愛の情緒や裏切られた時の気持ちと言えるかもしれません。
なおこれは、1995年生まれの作者アンドレア・アブレウが、親密な友人である編集者サビナ・ウラカと協議しながら脱稿した小説。アブレウはカナリア諸島からマドリッドに移住した後、様々な職業に就きながら新聞記事や詩集を書き、今回の「ロバの腹」は散文書籍としての初めての試みです。2021年にこの小説で「チャンベリーデビュー作賞」、「ドゥルセ・チャコン賞」を受賞し、スペイン中のベスト・セラーになっただけでなく、20か国前後に版権が売られました。謎の言葉を説明せずに理解させる手法は確かに上手く、恐らく日本のサブカルチャー趣味の読者、或いはある類の女性作家の強い支持者にも受け入れられる物語になっています。
■試訳(27ページ冒頭から28ページ最終行まで)。主役の二人の女の子の家族や近所の知人の話。
第2章、一口だけ
「カルメン小母さん、貴方はマギー・スープ、袋で売っているあれを、使うの?」
イソラは老女に聞いてみた。
「いいえ、可愛い子ちゃん。なんで?」
「おばあちゃんがマギー・スープは売女しか使わないって言ってた」
「それは知らんね、可愛い子ちゃん。あたしの作るスープは我が家の雌鶏からできているのよ」
カルメン小母さんはちょっと頭がおかしいが良い人だった。大概の人は彼女を軽蔑していた。なぜならうちの祖母曰く、カルメンは時たま「チブルヤミー」らしい事をやらかすから顰蹙を買うのだと。カルメン小母さんはほとんどの事を忘れる人だし、何時間も散歩をしながら自分しか知らない祈念をブツブツ繰り返していた。犬を飼っていて、そいつの下の歯が変に出っ張って駱駝を連想させた。「おい、チビめ、うるせえ野郎、吠えてばかりいて、くたばれ!」と言ったりしていた。頭に手を置いて優しくなでる時があるかと思えば、「悪魔の犬っころめ、こんちくしょう!」と怒鳴りつける時もあった。カルメン小母さんは良く物忘れしていたが寛大な人だった。イソラの来訪を快く思っていた。カルメンは教会をやや下った辺りに住んでいて、彼女の家は白く塗った石造りの一軒家だった。ドアは緑色で塗装してあり、大分古くなった瓦には苔がむし、蜥蜴が住み着くようになっていて、風が飛ばしたであろうベネズエラのカラカス産のちぎれた布ぐつもあれば、所々に低木ほど伸びたカナリア諸島特有の多肉植物も目立っていた。カルメン小母さんは何でもかんでも忘れたりすると言っても、じゃが芋の剥き方ばかりは決して忘れなかった。じゃが芋を斜めにして木柄のナイフで長い輪を描きながら巨大なネックレスを作るかのように皮を剥いていた。カルメン小母さんはじゃが芋を揚げて目玉焼きを添えたおやつをよく作ってくれた。
イソラは祖母の店からじゃが芋と卵を届けていたが、カルメンはその一部をイソラのおやつに充てていた。そして、あたしも一緒に行く場合、二人分を作ってくれた。が、あたしの分もくれるものの、やはりカルメン小母さんはあたしよりもイソラの方を明らかに気に入っていた。イソラは老女のように喋るのが得意だった。あたしはただ二人の会話を隣で聞くばかりだった。「ね、あたしのかわいい子達、一口のコーヒーどう?」。「親にコーヒーを禁じられている」とこっちが答えると、「あたしは頂くわ、一口だけ」とイソラが。「一口だけ」。彼女はいつもそうだった。一口だけ。何でも試していた。以前、祖母の店に売っているドッグ・フードに好奇心を覚え、食べてみたことがある。何でも試し、いざとなったら後で吐いたりしていた。あたしは親が口内に残るコーヒーの匂いを悟って、外出を禁止されるのを恐れていたが、イソラは恐れを感じたことがない。祖母が「タッピラカスぞ!」と脅しても怖がらない。イソラ曰く、人生は一度しかないもの、できるだけ何もかも一口を味わうべきだ。「ね、可愛い子ちゃん、一口のアニス酒、どう?」、「じゃあ、一口だけ。一口だけだわ」。相変わらず「一口だけ」と答えた。
イソラはカルメン小母さんがさっきまで使っていたコーヒーカップの最後の数滴を飲みほして、すぐに老女のアニス・デル・モノ酒が入った猪口に手を延ばした。イソラがげっぷした。五回も続けてやった。その後、あくびをした。その時、急にカルメン小母さんは彼女の顎を掴んで、暫く目を凝視した。イソラの未熟な葡萄色の、その緑色の瞳。地下水を汲み出すかのように老女が自分の目でイソラの潤んだ眼球をかき交ぜた。そして、怖がった声で尋ねた。「ねえ、可愛い子ちゃん、誰かに妬まれているの?」。イソラが硬直した。「なぜそんなこと聞くの、小母さん?何かあったの?」。「誰かに呪いをかけられてる。後生だから、エウフラシア婦人の家に行って、お祓いしてもらって。そして、おばあちゃんにも話して。彼女はそういう類の事に詳しいから、どこの祈祷が効くのか知っているはず」。
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