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La bajamar
著者:
Aroa Moreno Durán アロア・モレノ=ドゥラン
出版社:
Penguin Random House Grupo Editorial S.A.U. ペンギン・ランダム・ハウス出版グループ
レポート作成:
宇野和美

■概要

夫と5歳の娘をマドリードにおいて、バスク地方の海沿いの故郷の町に帰ってきた40代の女性と、その母親、祖母という3人の女性たちの物語。内戦時代にベルギーに疎開した祖母の昔語り、母親が娘には封印している父親のことなど、小さな漁村で、娘として母として生きてきた女性たちの秘めた痛みや葛藤が明らかになる。

 

■主な登場人物

アディラネ 40歳くらい。夫と5歳の娘をマドリードに残して、故郷の村に帰ってくる。

アドリアナ アディラネの母親。アディラネと長年口もきいていない。

ルット アディラネの祖母で、アドリアナの母親。内戦当時、ベルギーに疎開していた。

ジョン アディラネの旧友。既婚。

イバン アディラネの夫。

 

■あらすじ

 アディラネは、夫イバンと5歳の娘をマドリードに残して、バスク地方の海沿いの故郷の村に戻ってきた。生まれ育った家には、母アドリアナと祖母ルットがいる。母とは長年、口もきかない関係だ。高齢の祖母に内戦当時の話を聞くために帰るとアディラネは言うが、5年ぶりの帰郷は、どこかいわくありげだった。

 アディラネは、迎えに出た母が抱きしめても、ハグを返さない。母が部屋に置いておいたサンドイッチとオレンジにも口をつけない。母娘の関係は、前と同じように冷え切っている。

 アドリアナは、父親のことを黙しているのを娘が許せないのだとわかっている。だが、話すことはできない。1975年、20歳のとき、大学の文学部で知り合った、当時25歳の物静かな人だった。だが、彼はテロ活動にかかわっていて、もう会わないと去っていき、そのあとでアディラネが生まれた。暴力とのかかわりを断つため、父親のことは封印してきた。その後、鋳型工場で働いて、親しい男友だちもできたが、結局一緒になることはなかった。工場がつぶれ、父親のすすめで大学にもどって勉強し、今アドリアナは中学の教師をしている。

 アディラネは、帰ってきたとき、ジョンに空港まで迎えに来てもらった。ジョンは10代の頃からの友人であり、以前、恋愛関係にもあった男性。同郷の友人はみな、よそに出ていったが、彼は残っている。ジョンは結婚しているが、帰ってからも会う機会があり、アディラネのことを気にかけているようすを示す。だが、ジョンの話はいつも、彼女が今は娘を持つ母親であることに戻っていく。

 夫イバンとは、結婚前にバスク方面に旅行したこともあるが、そのときは故郷には寄らなかった。流産のあと、女の子ルットを出産した。だが、流産をしてから、何か暗いものが自分の中にはいりこみ、夫から心がはなれていった。授乳しながら窓の外をみて、言いようのない不安にさいなまれた。夜になって、くたびれて帰ってくる夫とは話すことがなかった。自分がマドリードに帰りたいのか、妻でいたいのか、母でいたいのか、アディラネはわからない。そんな気持ちをかかえながら、毎日、祖母の話を聞き、録音する。

 

 祖母ルットは、少しずつ、次のような話をしていった。

「母は二百キロ離れた山の中の出身で、ここのレストランで働いているときに、船員の父に出会い、すぐに3人の子ども、姉アメリアと私と弟マティアスを産んだ。1931年ごろから村で労働争議が起こり、漁師たちが働かないと、ガリシアから漁師が連れてこられた。治安警察隊が発砲し、7人の村民が死んだのは1931年のこと。父はそれなりの稼ぎがあり、うちはある程度生活に余裕があったが、父は無神論者で決して神に祈らない人だった。1936年になると、湾の入り口に軍艦がとどまって、村を砲撃するようになった。日に日に攻撃は激しくなり、父は姿を消した。食べ物がなくなり、漁に出られない男たちは家にとじこもり、配給の列ができた。私たちは「裏切り者」「ソビエト」と呼ばれ、略奪された。母は、アメリアと私のために身の回りのものを入れる布袋を縫い、疎開を申し込んだ。共和国支持者の子どもたちは、引率の教師とともに船に乗せられ、ロシアやベルギーに疎開した。
 生まれた場所と名前、両親の名前を書いた名札を胸につけられ、船に乗ったのはゲルニカの爆撃のあった年だった。姉はそのとき12歳、私は9歳。ハバナという名の船にのった。しらみがわくからと丸坊主にされる。目の前に軍艦があらわれたとき、引率の教師が「この船には子どもしか乗っていない、撃たないで」と懇願して難をのがれた。どこにつれていかれるかわからない船旅で、着いたのはベルギーだった。ロシアに連れて行かれた子たちもいた。別々の家にあずけられそうになったが、姉が連れていかれた家で問題が起き、二人一緒にあずけられることになる。引き取られた家のエリーゼと夫は子どもに恵まれなかった夫婦で、かわいがってくれた。だんだんとフランス語をおぼえ、なじんでいった。夜に家をぬけだすこともあったが、戦争の町には戻りたくなかった。

 故郷ではクリスマスプレゼントとは無縁だったが、ベルギーではエリーゼが人形をくれた。

 戦争が終わって家に帰ると、弟のマティアスがいなくて、母は黒い服を着ていた。弟は、年上の子に押されて入江に沈み、死んでしまったのだった。満ち潮で潮位が高かったため、橋より海側にいた船は入江に助けにこれなかった。マティアスは引き潮になってからようやく死体になって見つかった。

 女は高校に行かせてもらえない時代。アメリアは上の学校に行けず、やがて下宿人だった男と結婚したが、祖国に差し出すための子どもはいらないと思ったのだろう、子どもは持たなかった。私は午前中いつも、配給の列にならばされた。私たちは父親が国民軍ではなかったので、黒パンしかもらえなかった。一度、エリーゼ夫婦が突然きたことがあった。疎開先の家族との手紙のやりとりは当局が止めていたため、音沙汰がないのを案じて会いにきたのだった。エリーゼは、あのクリスマスにくれた人形を持ってきてくれた。私はベルギーにいって勉強したいという思いがつのった。」

 

 ある日、帰宅したアディラネにドアをあけた母アドリアナは、彼女の手首をつかみ、ひきよせる。子どもを置いて帰ってきたアディラネのことを、ずっと案じていたのだ。ハグはしないが、アディラネはされるがままになっている。

 互いに口を開かないまま時が過ぎていくが、ある日アドリアナはアディラネをルットがやっていたフランス語学校に連れていく。内戦後、ルットが自分ひとりできりもりしてきた語学教室。教室に残されたものを見てまわりながら、ようやくアディラネは母親に対して口を開く。こわいのだと。最初の子を流産したあと、暗さを自分でコントロールできなくなった。いつも悲しくて、いつも腹をたてている。母親になるのは簡単じゃない。イバンを愛せなくなった自分が娘を傷つけそうでこわいと。

 2月のある夜、祖母ルットが亡くなった。眠っているあいだの穏やかな死だった。

 アディラネは、マドリードに戻ると母親に告げる。

 バスにのりこむとき、母親がアディラネに、ルットの形見の人形を手渡す。ベルギーのエリーゼからのプレゼント。マドリードの自宅に着き、娘を寝かしつけてから、アディラネはイバンと話す。娘はイバンの手元において、自分は別のところに行くと。

 そして、「家に着いた。できれば手伝いにきてほしい」と、母にメッセージを送り、録音した祖母の声を聞きながら眠りにつく。

 

■所感・評価 

 言葉にできない痛みや沈黙、母であること、娘であることなどを細やかな筆致で綴った、静かで美しい作品。

 あらすじは時系列にそって整理したが、実際は21の章ごとに、アディラネ、母アドリアナ、祖母ルットのいずれかが視点人物となり、3人の女性の来歴や感情が時間も場所もばらばらに語られていく。パズルのように断片的に提示される各章を読み進めるうちに、彼女たちの今の沈黙や痛みの理由が理解されていく。ストーリーそのものよりも、次第に物語と登場人物の思考の奥深くに入りこんでいくところに本書のおもしろさがある。

「女性の声」「女性の視線」を伝えているのも読みどころだ。日本で翻訳出版されてきたスペイン文学は男性の視点のものが多く、歴史の影にかくれた女性の実像を女性の声で語ったものは少ない。『アコーディオン弾きの息子』(ベルナルド・アチャガ著 金子奈美訳 新潮社)の背景となっている内戦やフランコ独裁、テロの時代を、バスクのある女性たちが、いかに自分らしく生きようと格闘してきたかが垣間見られて興味深い。幼い我が子を夫のもとに残して自分は去るという、主人公アディラネの最後の決断は、子どもは母親が育てるのが一番とする社会通念への抵抗、女性観への問題提起ともとれる。

 ルットの疎開のエピソードは、著者が数年前にバスクで出会った読者から聞いた実話に基づく。バスクからベルギーにハバナ号で疎開した子どものことは、『ムシェ 小さな英雄の物語』(キルメン・ウリベ著 金子奈美訳 白水社)でも扱われている。

 著者のアロア・モレノ=ドゥラン(1981-)は、2017年に独裁時代に東ドイツに亡命した一家と当時のベルリンを描いた小説デビュー作『La hija del comunista(共産主義者の娘)』で注目を集めた若手作家。『共産主義者の娘』は同年、批評眼賞の最優秀小説賞を受賞し、英仏独伊ほかに版権が売れ、この6月に英語版が刊行されている。

 アドリアナとルットの章は一人称語りだが、アディラネの章は三人称で距離を置き、会話を引用符でくくらない緊迫感がある美しい文章で語られる。バスク地方北部、サン・セバスティアンの東にあるパサイアという町がモデルの、潮の満ち干により潮位が変わるリア(入江)をかかえた海辺の町という舞台設定も非常に魅力的だ。

 新しいスペイン文学として、日本の読者に届けたい作品である。

 

■試訳(p.25-p.27の6行目)

 あっちね、彼はくりかえし、彼女のあけすけな物言いをさげすむように笑い、ビールを長々とあおった。で、おばあさんはどうなの?

 祖母に昔のことを話してもらいにきたの。わかるでしょう。うまくたずねられないまま、祖母の一部を失いたくない。話す機会なしに、あの世に持っていってほしくないの。いつまでもそこにいて、私たちが知ってる家族のこと以外の人生なんてなかったって、きめてかかってるみたいにしてるけど、いついなくなってもおかしくないから。

 そんなのわからないさ。それとも、どこか悪いの?

 わかるときもあるって。あの年になって、どこも悪くないわけないでしょう。血液はどろどろだし、記憶はあちこちぬけおちてる、臓器は疲弊してるし。もうすべてが死にかけてる。もう見送る人もいない。私のめんどうを見てくれてたころみたいに、聡明で、わかるでしょう、乾いたユーモアがあって、はきはきものを言う女性に戻る日もあれば、突拍子もないことを言って、あれもこれもごっちゃにして、場所や名前を間違えて、自分のことか人のことかもわからなくなる日もある。かと思うと、物思いにしずんで、いきなり電話を切って、わたしを沈黙のなかにおきざりにしたり、何千回も同じ話をくりかえしたり。前の日に話したばかりのことまで何度もね。まるでしょっちゅうさよならを言ってるみたい。今日はここにいても、次の日はいない。今日は車を運転できるのに、次の日は手がふるえて口にスプーンさえ運べない。夜中に母親の名前をさけんだり、兄弟を呼んだり、ベルギー人を呼んだりするんだって。

 お母さんとは?

 だめだめ。母さんとは話してない。祖母のことは、うちの下の階に住んでるナイアの話で知ってるだけ。祖母が電話をかけてきてくれない日は、彼女にメールすると、彼女が自分の母親に聞いて、ようすを教えてくれるの。

 ややこしいことだな。で、いつまでいるの?

 だが、アディラネはだまっている。その質問にはどうこたえたらいいかわからないし、少なくとも、祖母の家、つまり母親の家であり彼女自身の家でもある家に到着して、中に入らないうちはわからないから。

 彼女は頭をふり、もやもやしたものをふりきって、現在にもどろうとする。そして、なぜ祖母と話したいかというほうに話をもっていこうとする。だが、彼はそこにいて、ほんの一メートルほどのところで彼女のスーツケースを両脚のあいだにかかえてすわっている。物理的にすぐそばの場所にいる。今回はメッセージではない。絶望の夜の大胆な誘いではない。最悪の瞬間に、彼女はよく考えもせずに彼を呼び出し、彼はそれにこたえてかけつけたのだ。

 彼は、肝心な瞬間にどんなふうに目を閉じるかを彼女がまだ記憶している相手であり、互いに流されあっていた時があったのも覚えている相手だ。窓にもたれた飾り気のない横顔も、押しつけられたすべすべした肉体も、襟足だけいつも長くしているくしゃくしゃの髪もおぼえている人物だ。ねえ、その髪型をするには、もう年をとりすぎじゃない、ジョン?

 彼女をむかえにきてくれた人。それは、現実にさしのべられた唯一の綱だ。彼は―そこに―いる。それは現実のようだ。けれど、昔の、おそらくは深い親密さを越えたこの出会いをどうとらえるか、今、挫折をかかえた彼女がすぐに考える必要はないと思う。

 彼は口元に浮かんだほほえみを、一瞬たりともまぬけな表情で曇らせはしない。彼女がそこにいるのを楽しんでいるような彼に、体じゅうが硬直している彼女は、こわばった笑みを返している。しまいに、せっかくの再会を緊張で台無しにすることはない、二つの額を分かつ線が床にひかれていること、つまり、体と体の間に距離があることを明らかにするときではないと悟る。

 一時間以上、彼らは昔の話をしてすごす。もう長いこと会っていないすべての友人たちの名がでて、千回も繰り返されたエピソードも、すべてもうはるか昔のことなので、再び目新しいものとなる。彼女は話の糸をどうつないでいくか、これといって意識せず、すべてなりゆきにまかせている。今かかえている計画のこと、自分の家族やほかの家族の歴史を語ろうという計画についても彼に話す。できる限り録音すること。証言を集めて、まだ生きている最後の記憶を書きとめておくこと。

 記憶のモザイクのようなものを作りたいの、と彼に言う。

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