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レオノーラ・キャリントン
タイトル:レオノーラ・キャリントン Leonora
著者:エレナ・ポニアトウスカ Elena Poniatowska
出版社 :セッシュ・バラル Seix Barral
出版年:2011年
ページ数:512頁
言語:スペイン語
読者対象:一般 / 美術に関心がある読者 / フェミニズムに関心がある読者
レポート作成:小原京子
概要
本書は英国生まれのシュールレアリスム女性芸術家、レオノーラ・キャリントン(1917-2011)の人生の断片をつなぎ合わせながら展開する物語である。レオノーラは、織物業実業家を父に持ち、裕福な家庭で育つ。小さい頃から自分は他の子とは違うと解っていた。他人には見えないものが見えた。そしてその能力が彼女を特別な存在にした。レオノーラは個人的にも芸術的にも自由な女性として生きる権利を勝ち取るため、社会のしきたりや両親や教師に抵抗し、宗教や思想のくびきを破る。レオノーラ・キャリントンは伝説的人物であり、シュールレアリスムの代表的な女性芸術家であり、その魅惑的な人生は私たちの夢を膨らませてくれる。レオノーラの稀有な人生を辿るこの物語は、読者をひきつけてやまない冒険、自由の叫びであり、20世紀前半の歴史的前衛芸術運動への見事なアプローチである。
主な登場人物
レオノーラ:英国生まれのシュールレアリスム画家、作家
マックス・エルンスト:ドイツ生まれのシュールレアリスム画家。レオノーラの恋人
ペギー・グッゲンハイム:米国の資産家で前衛美術の蒐集家
アントレ・ブルトン:フランスの詩人、作家。シュールレアリスム運動の指導者
マリアノ&ルイス・モラレス:スペイン・サンタンデールの精神病院の医師親子
レナト・レドゥック:レオノーラの最初の夫。メキシコ人外交官。ジャーナリスト
エメリコ・ワイツ(通称チキ):レオノーラの再婚相手。ハンガリー出身の写真家
レメディオス・バロ:スペイン出身、シュールレアリスムの女流画家
あらすじ・内容
英国ランカシャー地方《クルッキー・ホール》。自然に恵まれたこの邸宅でレオノーラ・キャリントンは幼少期を過ごす。父は繊維業実業家でインペリアル・ケミカル・インダストリーズの大株主、母はアイルランド人。4人兄弟の紅一点で、家庭教師や乳母に囲まれ裕福な家庭で育つ。レオノーラは小さい頃から自分は他の子とは違うとわかっている。自分は女の子の格好をした馬だと思い、動物と話ができ、乳母が語るアイルランド伝承に出てくる妖精シーなど、他人には見えない存在が見える。両手で自在に字を書き絵が描けるのが自慢だ。彼女の強い個性は父親譲りだが、その自由な魂は、厳格で高圧的な父の教育方針とは相いれない。両親はレオノーラを「レディ」に育てるべく良家の子女を教育する修道院に入れるが、反抗的な態度や喫煙により行く先々で退学になる。イギリス王ジョージ5世にバッキンガム宮殿に招かれ、社交界デビューを果たし、両親は美しい娘のために出費を惜しまないが、レオノーラは堅苦しい社交界に全く興味がなく、アスコット競馬場のロイヤルボックスでもオルダス・ハクスリーの『ガザに盲しいて』を読んで暇つぶしをする始末だ。
レオノーラは自分にとって一番大事なのは「絵を描く事」だとわかっていた。父を説得し、ロンドンのチェルシー美術学校、アマデエ・オザンファン絵画アカデミーで絵の勉強に打ち込む。母はレオノーラの中にある才能を感じ、ハーバート・リーがまとめた『シュールレアリスム』をプレゼントする。そこに描かれたマックス・エルンストの『ナイチンゲールに脅かされる二人の子供』に、レオノーラは自分の幻想世界に通じるものを見て衝撃を受ける。さらにロンドンで開催された「国際シュールレアリスム展」で、コラージュやフロタージュなど新たな造形的手法を駆使し意識の下にあるビジョンを描くマックスの作品を目の当たりにし、興味は益々高まっていく。そして友人の家のパーティーで運命的な出会いをしたふたりは恋に落ちる。レオノーラはイギリス、家族、財産全てを捨て、26歳も年上でしかも既婚者のマックスを追ってパリに行く。
パリでは、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール、マン・レイ、サルバドール・ダリ、マルセル・デュシャン、ジョアン・ミロ、パブロ・ピカソなどシュールレアリストたちと交際するが、彼らは若く美しく聡明なレオノーラをミューズにまつりあげる。アンドレ・ブルトンは彼女こそ「ファム・アンファン(子供のような女性)」のイメージそのものだとほれ込むが、レオノーラは怒って「私はファム・アンファンなんかじゃない。マックスがいるからこのグループに入ったけど、私は自分をシュールレアリストだとは思っていない。私には幻想的なビジョンが見えるから、それを描き、文章にしているだけ」と言い返す。マックスはレオノーラを「風の花嫁」と呼んで愛し、「彼女の芸術は、シュールレアリスト達の中でも最も大胆だ」と誇った。1938年パリで開催された「国際シュールレアリスム展」にレオノーラは2つの作品を出品し、最初の短編小説『恐怖の家』がマックスの挿絵つきで発表される。マックスは妻と別れ、ふたりは南仏のサン・マルタン・ダルディッシュで暮らし始める。ふたりは協力しながら精力的に創作活動に取り組み、お互いの芸術を極めていく。しかし第2次世界大戦が勃発し、ドイツ人のマックスは敵国人としてフランス当局に逮捕され収容所に入れられてしまう。レオノーラはフランスを脱出しスペインに救いを求めるが、不安と妄想にかられた彼女の精神は徐々にバランスを崩していく。錯乱して「ヒットラーを殺せ」「フランコに会わせろ」と叫ぶレオノーラ。父のはからいでサンタンデールの精神病院に入れられたレオノーラは、冷水につけられ、裸でベッドに拘束され、カルジアゾールを3回にわたり注射される。けいれん発作を引き起こす危険な劇薬だ。残酷な治療に耐えながら「私の中に持ち続けなければならない何かがあるの。それを破壊させてしまえば二度と取り戻すことのできない何かが」と語るレオノーラの言葉に、ルイス・モラレス医師は「我々が取り除こうとするものを彼女は守ろうと戦っていた。芸術家には違った治療をするべきなのかもしれない。もしかしたら描くことが治療かもしれない」と考える。父は娘を南アフリカの療養所に送る手はずを整え、レオノーラは看護婦に付き添われて退院する。1940年末、南ア行きの船が出るエストリル港に向かう途中停車したリスボン駅で、レオノーラは見張り3人をまいて逃走し、メキシコ人外交官レナト・レドゥックに助けを求める。リスボンでレオノーラはマックスと偶然再会する。彼はフランスの収容所を出た後、ペギー・グッゲンハイムの援助を受けて米国亡命のための飛行機を待っているところだ。マックスはペギーの恋人になっていた。
レオノーラはレナトと結婚し、ニューヨークに渡る。ニューヨークはアートのメッカで多くの亡命アーティスト達がいた。レオノーラは、マックス、ペギー、アンドレ・ブルトン、ジャクリーン・ランバ、マルセル・デュシャン、ルイス・ブニュエル、アメデエ・オザンファンと活動をともにし、雑誌「VVV」や「View」に短編や絵を発表してニューヨークで一躍注目される。レオノーラとマックスも頻繁に会い、ペギーはやきもきするが、私的感情は抜きにしてレオノーラの才能を認め、「20世紀の31人の女性」 展に『キャンドルスティック卿の馬』を展示する。
1942年レオノーラはレナトと共にメキシコに移住する。レナトはジャーナリストとして夜遅くまで働き、レオノーラは拾ってきた犬、猫を相手に孤独な毎日を送る。ある日、偶然、旧知の画家レメディオス・バロと、写真家のカティ・ホルナが近所に住んでいることがわかってからは、3人の友情が急速に深まって行く。1943年、メキシコにやって来たフランス人精神科医ピエール・マビルに説得され、よみがえる恐怖と闘いながらサンタンデールの非人間的な入院経験に基づいた『ダウン・ビロウ』を発表。レメディオスもレオノーラも人間の闇をみつめ、ふたりは双子の魂のようにお互いを理解しあい、共に創作活動をする。レオノーラの作品の根底にあるのは「幼児期、アイルランドの妖精シーの世界、馬の世界、ケルト文化」だ。レメディオスの家のパーティーでハンガリー出身のカメラマン、「チキ」エメリコ・ワイツに会ったレオノーラは、母に捨てられて孤児院で育ち、ロバート・キャパの友人というハンサムなユダヤ人青年に惹かれる。レオノーラはレナトと別れ、母からの送金でその日暮らし。父は彼女に財産を一切残さなかったのだ。チキと結婚し1946年7月14日長男ハロルド・ガブリエル「ガビー」、翌年次男パブロ誕生。妊娠・出産・育児中も、絵を描き続けるレオノーラ。アカプルコで会った英国人資産家エドワード・ジェイムスが彼女を訪ねて来る。暗く小さなアトリエに驚きながらも「レオノーラには独特のスタイルがあると聞いていたがこれほど素晴らしいとは思っていなかった。何にも汚されていないし、エルンストの真似でもない。彼女の内的世界は彼女だけのものだ。絵を描く宿命を負った自分自身の囚われ人だ」と絶賛する。育ちや好み、エキセントリックな性格までも似ているエドワードはレオノーラの良き理解者で、彼女の作品にもアドバイスするほどだ。「彼女の芸術は本物だ」と高く評価し、多くの作品を購入し、レオノーラについてのエッセイを書きニューヨークのピエール・マティス画廊で個展を開き、次々と作品を紹介する。
子供たちと英国へ里帰りしたレオノーラは、あらためて、自分はなぜメキシコにいるのだろう、自分が帰属する土地は英国だと感じる。『不思議の国のアリス』が彼女の世界なのだ。パリに移動し久しぶりにシュールレアリスト仲間に会うが、「君は男たちのミューズだった」と言うブルトンに、「私は誰かのミューズになっている暇なんかなかった。私の家族に反抗し、芸術家になるのに精いっぱいだったもの」と怒る。
1963年、メキシコ国立人類学博物館の壁画を依頼され、チアパス州サン・クリストバルで先住民の日常生活や民間療法治療師に触れ、動物園でスケッチをし、マヤ族の創造神話『ポポル・ブフ』を読んで研究の上、ケルトとマヤの神秘世界を融合させた壁画の大作『マヤ族の魔術的世界』を描く。この年、レメディオス・バロが心臓発作で急死。レメディオスだけが、「他人から全く理解されず、他人とあまりに違うというだけで火あぶりにされ、ジャンヌダルクのような気持ちになることがあった」レオノーラを理解してくれた。魂の友を失ったレオノーラは夜毎に泣き叫び苦悩した。誰のために彼女は絵を描くのか? 父親のためだ。絵を描く前にいつも父が脳裏によぎる。
息子達はまたたく間に成長しメキシコ自治大学へ進む。大学では社会変革をめざす学生運動が盛り上がり、1968年メキシコオリンピックを間近に控えて、政府は神経をとがらせる。ふたりの息子が学生運動に没頭しレオノーラとチキは気が気ではない。9月18日軍隊が大学を制圧。当局の追跡を逃れてレオノーラと息子たちは米国ニューオリンズに渡る。メキシコの情勢が落ち着き一旦帰国したものの、次男パブロがニューヨーク大学で病理学を勉強することになり「息子たち無しで生きていけない」とレオノーラもニューヨークで絵を描き始める。
メキシコに戻るとレオノーラは伝説的存在で、みんなが彼女と知り合いになりたがる。名声は高まる一方だ。欧米からもコレクターがやってくる。レオノーラの絵はどんどん売れて値段が上がって行く。ある日、ペピータという若い女の子のファンが家に押し掛けてきてレオノーラがどこへ行くにも付いてくる。「今まで苦しい思いをしたことがある?」とペピータ。マックスを失ったこと以上の痛みがあっただろうか? レオノーラは生きている。何物も失われていない。絵も、反抗心も、傲慢さも、イギリスの礼儀も、他人を見る目も、ビジョンも。知らないのは自分の死だけだ。レオノーラは言う。「死ってどんなものかしら。私はこの世に、全てがどんなものかを知るためにやってきた。でもまだわからない」。
所感・評価
この本は、フィクションである。女流画家レオノーラ・キャリントンの評論でもなければ伝記でもない。著者のエレナ・ポニアトウスカはキャリントンの50年来の友人で、彼女との会話やインタビュー、関係者への取材、キャリントン自身の著作、キャリントンについて書かれた本をもとに無数の断片をつなぎ合わせて綴った小説で、ジャーナリズムと文学が絶妙に融合している。
レオノーラをシュールレアリスムの世界に導いたマックス・エルンストを初めとして、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール、マルセル・デュシャン、マン・レイ、アンドレ・マッソン、ジョアン・ミロ、パブロ・ピカソ、サルバドール・ダリ、ガラ、ドロテア・タニング、ルイ・アラゴン、ロバート・キャパ、レメディオス・バロ、レオノール・フィニ、ディエゴ・リベラ、フリーダ・カロ、オクタビオ・パスなど綺羅星のごとく20世紀の前衛芸術をリードした芸術家たちが登場し、彼らの「会話」を聞けるのは興味をそそられる。そして「話すように書く」ポニアトウスカの文体がそれを助けている。
ポニアトウスカが女性を主人公に描くのはこれが初めてではない。その美しさ、純粋さ、聡明さ、才能ゆえに、シュールレリスト達の霊感の泉として「ミューズ」と讃えられたレオノーラ。そんな女性観に反発し、人間として芸術家として誇り高く自分の芸術に向き合い開花させていく彼女の生き方にエールを送る読者も多いと思う。一般読者はもちろんだが、美術やフェミニズムに興味のある読者は特に興味をそそられるだろう。
本書はセッシュ・バラル出版社の2011年度ビブリオテカ・ブレベ賞受賞作品で、審査員のひとりは『レオノーラ・キャリントン』は狂気と芸術の間に展開する本である、と語っている。そしてその言葉通り、この本の一番の魅力は、彼女が精神のバランスをくずし狂気の世界に落ちていく場面である。クライマックスは、スペイン・サンタンデールの精神病院のくだりであろう。私たちは彼女と共に混乱と痛みを体験する。
レオノーラ・キャリントンは、シュールレアリスト画家の最高峰のひとりであり2005年クリスティーズのオークションにかけられた『ジャグラー』は、71万3000ドルをつけ、生存するシュールレアリスト画家の作品としては最高額を記録した。日本では1997年に「レオノーラ・キャリントン展」が開催された。2011年5月25日、肺炎のため、メキシコ市の病院で亡くなったばかりで、そのことは本の中でふれられていない。94歳の大往生だった。追悼展や本書の日本語出版をきっかけにさらに注目されることを期待したい。